医療ガバナンス学会 (2015年6月26日 06:00)
現案では医療機関が行った院内調査を第三者機関が収集分析し、「原因の究明と再発防止」に努めるとしているが、これに対し患者側からは「(ミスの)責任を明確にしないと再発防止につながらない」という意見があり、医療側は「個人への責任追及ではなく、システムエラーの防止こそ重要」と主張しているようだ。
確かに、明らかな医療ミスと思われるケースで家族や肉親を失った患者遺族の心情を考えれば、医療スタッフのミスは「決して許されない」と思うのも無理はない。一方、なぜそのミスが起きたのかを探っていくと、単純に個人のケアレスミスとは言い切れないシステムエラーが潜在するケースが多いことも事実で、どちらの意見にも同感させられる。
問題は、第三者機関の報告を聞いて納得しない場合は、結局司法に頼ることになる点だ。しかし、裁判とは言葉による武力衝突に他ならない。「戦争は外交の失敗」と同じで、武力衝突する前に「話合い」が重要になるが、この「話合い」を有効に行うには双方が同じ知識や「話し合おう」とする心情を共有していないとならない。だからこそ丁寧な説明や医療メディエーションなどの対話の促進が大切になる。
そもそも、ミスやエラーで再発防止が本当に可能なのだろうか。最近、面白い話を聞いた。米国NY州でクリニックの院長をされる日本人医師の方とこの話をしていた時のこと。その方曰く、「錦織選手のリターンがネットにかかると、(米国のTV中継でも)“リターンミス!”と言われるが、錦織でなかったら200km/hを超える超高速サーブなどラケットに当てることも出来ず、当たらなければ単純に相手の“サービスエース”となる」。加えて、「錦織のミスの原因を追究し再発防止しようとすれば、ラケットに当てなければいいということになって試合などできなくなる」と仰る。
また、先日配信されたMRICメルマガでは、小松秀樹医師が「20年後の医療介護への提言」と題した寄稿の中で、「医師の感覚としては1945年まで、病気は治せるものではなかった」と書かれている。つまり、戦後数十年かけて医療は錦織選手並みに世界水準で戦うようになったわけだが、それが我々一般の感覚では当たり前になってしまっている。メディアが煽って錦織選手に常に優勝を期待してしまうように、医療の結果にも過度な期待を持ってしまっているように思える。
そう言えば、昔の話で恐縮ながら野球少年だった頃、長嶋選手のファインプレーに喝采していたらコーチから「あれが長嶋でなく広岡だったら、あんな打球はファインプレーでなく“普通のプレー”で取れる。おまえらは広岡のプレーを目指せ」とたしなめられ、以来巨人の野球が見世物に見えた。(因みに、この広岡という人は長嶋と三遊間を組んでいた遊撃手で、地味ながらエラーの少ない選手として有名だった)。
厚労省やメディアには、患者に対してこうした少年野球のコーチ役をしてもらいたい。現代の医療は錦織のような世界水準のプレーを広岡のような“普通のプレー”で行っているようなもので、そこには必ずミスと同時に大きなリスクがあることを多くの患者は認識していない。それどころか、高度に発達した医療にさらにファインプレーのようなハッピーエンドを期待するから、医療側がリスクを説けば説くほど「責任逃れの言い訳」に聞こえてしまう。
今医療法改正でやるべきは、労基法との整合性に鑑みた医療スタッフの労働条件改善と、医薬品や医療機器・設備の整備を併せたシステムエラーの撲滅など、環境整備とマネジメント自体の問題解決が先決で、少なくとも医療における刑事罰は除外されるべきだ。錦織選手だって前の晩に寝ていなかったら、普通のプレーすらできないのですから。