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Vol.131 チャレンジの宝庫福島に、熱く燃える国内留学生たち

医療ガバナンス学会 (2015年7月3日 06:00)


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※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44022

相馬中央病院内科医
越智 小枝

2015年07月03日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


被災地、特に福島では、この3種類の人間の立場は非常に難しいものになっています。住民の不安を払拭するために必要とされる一方で、この4年間にこれらの職業には悪いイメージもまたついてしまいました。

有識者=社会的地位だけあって現場を知らない人
専門家=知識だけあって行動を伴わない人
研究者=人を人間扱いしない人

そのような印象を持たれる住民の方々も、大勢いらっしゃいます。

そのようななか、福島では新しい形の知的活動を追求する人々が増えています。とくに、行動する30代、「ぶつかる」ことを始めた専門家たち、この2つの集団が今、福島に新たな「道」を作りつつあります。

◆行動する30代

今、福島「留学生」がアツい。そのように感じるのは私だけではないでしょう。様々な形で外部から福島に移り住んだ若者が今、福島と関わることで自身も変化し、ポジティブな福島の形を世界へ発信しています。

たとえば、震災直後から南相馬市に入り、住民の方の内部被曝・外部被曝検査システムを立ち上げた坪倉正治医師。
彼の専門は血液内科ですが、現地で暮らすうちに、一番の問題はがんよりもコミュニケーションである、ということに気づき、住民の方に放射能についての分かりやすい知識をフィードバックする活動を4年間続けています。

元東京電力のたたき上げ職員の吉川彰浩さんは、震災の後、東電を退職して「アプリシエイト・フクシマ」を立ち上げ、次世代へと託せる福島のふるさと作りを目指して活動されています。
住民の方が原発事故後の福島と「共存」するためには、福島第一原発の現状を皆が知らなくてはいけない。その信念のもと、ご自身の人脈を生かして、一般の人々の福島第一原子力発電所の視察ツアーを初めて組みました。
現在はその活動をさらに教育支援、健康支援にまで手を広げ、地域創生に励んでいます。

世界における福島の風評被害を払拭しようと、海外との交換留学を通じて福島の現状を発信し続けているのが、福島大学国際交流センターの副センター長、ウィリアム・マクマイケルさんです。現代の新渡戸稲造を目指す、日系カナダ人です。
国際交流という分野から始まり、ジャーナリスト学科の学生などを福島に呼ぶことで、福島の現状を英語圏に発信しようという試みを続けています。
直にお会いしたことはありませんが、小高で帰還困難区域周辺で働く方々のための飲食店「おだかのひるごはん」の経営を始めた元システム・エンジニアの和田智行さんは、都会ではできない新たなビジネスモデルの創設者とも言えます。

また福島出身の社会学者で、「はじめての福島学」や「俗流福島論批判」などを書かれている開沼博さんは言うまでもないでしょう。いずれも震災の後福島で行動する30代の「有識者」たちです。

彼らに共通して言えることは、
●自分が学ぶことを大切にしている
●目的のためには専門の外まで手を伸ばすことを厭わない
●行動を伴っている
ことではないかと思います。知識は目的を達成するための手段でしかない、そのように割り切って行動し始めた彼らが、新しい「有識者」の形を生み出していると感じます。

◆混じり始めた専門家たち

では年配の有識者は何もやっていないのか、というと、実はこちらはさらにアツいことになっています。

「専門の異なる人、意見の異なる人を敢えて語らせよう」

そういう試みが広がっているからです。先日福島市で、そのような試みの1つに出席しました。
これは、地産の山菜・イノシシを「自己判断で食べてよし」とする人と、「そのようなことは推奨すべきでない」と主張される2人を討論させる、というものです。
意見を戦わせた2人はいずれも震災直後より被災地に入り、地域のアドバイザーとして今でも活躍されています。出会うと口論の絶えない2人をあえて研究会と言う場で語らせてみよう、というのがこの会の主旨でした。

企画をされたのはこれもまた30代の社会学者、標葉隆馬さん。

「ネット上でけんかをしているよりは、いっそオープンにぶつかり合ってみればいいと思った」
とのことでしたが、議論を調停する第三者まで招聘されたうえで、研究会を開催しました。
「こういう研究会を行うことは、今だから価値があるんです」
企画者の1人からはこのような言葉も聞かれました。
「なぜかというと、災害直後に大量に放出された研究助成金の多くが、3年で期限が切れるからです。つまり、研究費に飛びついて入ってきた研究者たちが一掃され、意識の高い方だけが残ったとも言えます」

単に意見が異なるのではなく、等価の熱意と行動力を持つ方々だからこそ、一堂に会することで何かが生まれる可能性が出る、というのです。

◆前向きな「ぶつかりあい」

そうは言っても、これまで福島で見飽きるほど見た、平行線の言い争いにならないだろうか・・・。研究会の前まではそのような心配がありました。しかしそのような不安に反し、議論は終始前向きで、緊張感を漂わせながらも白熱したものになりました。
「人々が思想もなく原発マネーにあやかり、不幸を売るような一部の風潮をなんとかしたい。だから現地で明るいニュースを発信するのが大切。食べたいお年寄りが食べて楽しむことは大切だ」
という主張に対し、

「食文化はその食物を囲む家、歴史的背景、文化まであわせて食文化。その背景を経験もしていない人間がただその場に行って地元の山菜を食べる、というのは文化のつまみ食いであり、文化に対する暴力だ」
また、地域にアドバイザーとして入るなかで、
「皆が迷って何も進まないなかで、誰かが『これだ』と少し方向性を決めてまず動いてみる。それがいま大切だと思う」
という意見と、
「専門家の意義は、物事の複雑さに対し逡巡することだ。行動に迷いがない、という態度には疑問を感じる」
という意見が真っ向から対立。その後も侃々諤々と議論が交わされました。

議論を聞くうち、聴取の方々の意見もどんどん熱気を帯びてきました。

「あまり積極的すぎる行動はお母さんの不安をあおることになるのではないか」
「科学的エビデンスでは線量が大丈夫って言うけれども、専門家の言う『エビデンス』ではなく、私たちはいわゆる情報のリソースとして論文を読んでいる。そういう意味ではエビデンスレベルの低いと言われるジャーナルだって情報として等価に公開すべきではないか」
など、ユニークな批判が数々飛びました。
今回の研究会で画期的だったことは、政府批判や個人の人格批判などが一切出なかったことです。面白いことをやりたい、前向きなことをやりたい、笑って話をしたい。専門家・有識者も攻撃し合うだけの議論に飽き飽きしていたのだな、と感じました。

最後は、標葉氏の、
「どういう議論になるか、我々社会学者としてとても興味深かった」という言葉に、登壇者から、「なんだ、私たちはモルモットだったのか?」と冗談が飛ぶなど、おおむね笑いの中に研究会が終了しました。

◆同じ方向、異なる意見

実は、討論された2人の話をよく聞いてみると、その方向性は驚くほど似通っていることが分かってきます。

●個人の価値観は異なるのだから、画一的な解決法はない。
●科学的な事実よりも地元の文化を尊重することが大切。
●地域の活気と自信を取り戻すことが優先事項。

これだけ同じ方向性を持ちながらも、「食文化」と「専門家のあるべき姿」に対し、2人の考えがどうしても相容れない。この会では、その差異がきれいに浮き彫りにされたと思います。
聞いているうちに、実はこの2人は違う道から同じ山を登っているだけなのではないか、そう感じた方は多かったのではないでしょうか。
「道の道とすべきは常の道にあらず」(老子)
2人の議論を聞き、そんな言葉が心に浮かびました。どちらの経路にも間違いはない、むしろ皆がいろいろな登り方をすることこそが大切なのかもしれません。

◆福島からの「道」

このような海千山千のベテラン有識者の前向きかつ強烈な議論を、福島で活躍する若手が伝承することで、さらに発展した知的コミュニティが生まれる可能性がある。そのような意味からも、震災5年目を迎えた今だからこそ福島はアツい。そう思います。

新渡戸稲造は道の形成につき、こう述べています。
「首に辶が道である。首の走るところが道である。脚で歩まず首で歩むのだ。頭の中で考えた目的地点に向かってあるく、これが道である。」(道はいずこにありや)
「考える」ことに「あるく」ことが伴って、初めて道が生まれます。今福島で生き残った知識人たちは、みなこの両方を備えているように見えます。福島から生まれる様々な形の道が、今後どこへ続いていくのか。その伸びていくさまを見届けるのもまた、福島に住む楽しみの1つです。

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