日本骨髄バンクを介した移植が最初に行われたのは平成5年1月だが、沖縄県で骨髄バン
クを介した移植が開始されたのは平成11年10月で、琉球大学医学部附属病院(以下「琉大
病院」という。)が県内唯一の骨髄バンク認定施設になるまで、6年もかかった。
しかし、認定されて1年後の平成12年9月に、非血縁ドナーからの骨髄採取において、かな
り大きな血腫ができるという重大な健康被害が発生し、同施設での骨髄バンクを介した骨髄
採取は中断され、移植も自主的に辞退した。この間、同施設での移植数は3例で、採取数は7
例であった。
採取事故は不幸な出来事であったが、これを反省してより安全な体制を構築して再開すると
信じていたが、琉大病院が再度骨髄バンク認定施設となったのはそれから6年後、熱心な小
児科移植医が赴任した年の平成18年10月であった。
当会が所属する全国骨髄バンク推進連絡協議会は、骨髄バンクを介した患者負担金の軽
減を求める署名運動を何回か展開してきた。当会も同活動に参加したが、沖縄県内では患
者が県外に移植に行くための負担はさらに大きかった。
多くの沖縄県民にとって本土は遠いところで、さらに生死をかけた治療に行くのは大変な覚悟
がいる。交通費や宿泊費等の経済的負担に加えて、なじみがなく身寄りもない地域での移植
は患者・家族にとって精神的な負担も大きい。
再認定となった琉大病院での移植・採取は順調で、ほぼ毎月のように移植や採取が実施され、
今年4月までに再開後の移植数は21例、採取数は18例と増えた。しかし、今年3月に小児
科の移植チームリーダーが辞任し、内科は移植チーム全員にあたる3名が6月には辞めた。
個々の辞任理由を詳しくは把握していないが、忙し過ぎて疲弊したという理由以外に病院の
体制も問題があったと思う。私たち「沖縄県骨髄バンクを支援する会」と「がんのこどもを守る
会 沖縄支部」は、琉大病院長と2度会見し移植体制を早急に再整備するように要請したが、
満足がいく具体的な回答はなかった。
このままでは、また県内での骨髄バンクを介した移植が困難になるという事を県民に訴える
ため、沖縄県知事あての要望書という形で署名活動を展開することとした。具体的な要望事
項は2つで、次のとおり。
1.県立南部医療センター・こども医療センターが早期に日本骨髄バンク認定施設となるため
の施策を講じる(血液腫瘍専門医の増員等)。
2.琉大病院が骨髄移植体制を再構築するよう働きかける。
1.は、骨髄バンクを介した移植では採取は別の施設ですることになっており、従来から県内
ドナーが県内患者に提供する場合は、どちらかが県外にいく必要があったので県内に認定施
設が2カ所は欲しい。また、県立南部医療センター・こども医療センターは、県内で高度医療を
行う目的で設置されたが、新型インフルエンザが流行する以前から一次救急に追われて医
療現場は疲弊している。現在、将来の県立病院のあり方を検討中だが、高度医療を求める
県民の声があることを県知事に訴えたい。
2.は、本来は大学病院が自ら考える問題だが、県内唯一の骨髄バンク認定施設の問題を知
ってほしいとの思いがある。実は、琉大病院は骨髄バンク認定施設が取り消されたわけではな
い。しかし、何年も移植・採取が行われないと、認定は消滅するだろう。
全国的に血液腫瘍専門医は少なく、どこでも専門医の確保は難しいと聞いているが、沖縄県
は離島県のため、隣県でも陸路では行けず、取り分け患者及び家族の精神的、経済的負担
は他県に比べ大きいことを知ってほしい。
なお、署名用紙は支援する会のホームページからダウンロードできる。
http://www.marrow.or.jp/okinawa/nintei-youbousho.pdf