医療ガバナンス学会 (2015年7月29日 06:00)
日本はこの20年の間に2度も大きな震災を経験した。阪神・淡路大震災では6434人、東日本大震災の津波では二万人もの人が犠牲になった。火山の爆発や地震などの自然災害はある程度「予知」が出来るようになるかもしれないが、「予防」することは出来ない。我々にできることは、過去の災害からできるだけ多くを学び取り、犠牲や混乱を減らすことだけである。
過去、人類は生物の世界からも絶えずチャレンジを受けてきた。1917年から猛威を振るったいわゆる「スペイン風邪」では、世界で6億人の人々が感染し、2000万人もの人が亡くなった。日本でも人口の半数が感染し、およそ40万人が亡くなった。
世界の歴史を紐解けば、人類は生物の世界から大きな脅威にさらされながら生きてきたことがわかる。中世時代、ヨーロッパではペストで、人口の半分を失った。大航海時代、ヨーロッパ人がアメリカ大陸やオーストラリア大陸、太平洋の島々にハシカを持ち込んで、人口が激減した。ハシカは感染力が極めて強くて世界中の子供が誰でも罹るが、今では命を落とすことはまずない。しかし、まったく免疫がない人が感染したら、その死亡率は何と60%にもなったからである。
感染症はワクチンで防げるのではないかと思う人がいるかもしれないが、突然現れる未知の感染症はワクチンでは予防できない。最近、マース(MERS)やエボラ出血熱が関心を集めているが、これらの感染症のワクチンはないが対策は比較的容易である。なぜなら、潜伏期間が短いので隔離対策が有効である。エイズは人類がはじめて経験するレンチウィルス(HIV)の感染症だった。潜伏期間が10年以上もあったので、それと気がついた時にはすでに世界中に感染は広がっていた。たまたまB型肝炎対策として加熱製剤が開発されたことでその拡大はほぼ止まった。しかし、わが国でも数百人の血友病患者の命が奪われた。
そこで問われたのは、不完全な医療技術を我々の社会はどのようにして上手に使っていけばよいのか、安全確保の課題一つが示されたのである。我々の社会がその悲劇からできるだけのことを学び、どうしたらより良い仕組みづくりができるのかが問われたのである。しかし、ジャーナリズムと政治がそのような医療と社会の関係という本質的な問題の議論に蓋をしてしまった。医療関係者も皆首をすくめてただ嵐が通り過ぎるのを待った。そのため、医療は未だに人々の「医療幻想」に悩まされている。
エイズ騒動が問うたもう一つの重要なことは、どうしたら日本の民主主義社会を強靭化できるのか、ということだった。その騒動を通してジャーナリズムや民主主義政治のあるべき姿が問われたのである。民主主義はギリシャで生まれたが、衆愚政治も生み出したのである。その問いにまともに答えられなかったことが、未だに尾を引いている。
本書は、できるだけ多くの人々に読んでもらうために、厳密性はある程度犠牲にして、エイズ騒動の真実と全体像をはっきり書きたいと思った。
また、auto-ethnograpy という最近の社会学の方法論の発展に触発されて、本書はナラティブの形式をとっている。政策的な意思決定にかかわった「当事者の語り」である。その方が複雑な状況、不確実な情報の下での意思決定の経過をよく表わすことができるし、何よりも複雑なプロセスがわかりやすくなると考えたからである。巾広い議論をお願いしたい。
本書の内容は以下のようである。
第1章では、なぜエイズが日本に侵入し、なぜ主に血友病患者が感染したか、その背景と、当時厚生省の担当課長職にあった私がどう考え、どのように決断したかを述べている。
第2章では、私が他の課に異動になってから後の一年間は、エイズウィルスの研究では大きな進歩を遂げた時期である。たまたま安部英医師の刑事裁判でその時期の知見の進歩や関係者の考えなどが詳細に明らかにされた。しかし、360頁にも及ぶ判決文はほとんど読まれていないだろうし報道もされていないので、その内容をまとめた。
第3章は、民事訴訟が終盤をむかえてエイズは大きな社会問題となり、私の身の回りにも色々なことが起こった。また、多くのことが報道されてきたが、それらの中には問題の理解に誤解を与えるような大きな間違いもあった。当事者ならわかりきったことなので、ぜひ訂正しておきたいことなどをまとめた。
第4章は、エイズの問題に他の国々ではどのように対応したのか、他国と比較しての日本の特徴について記した。また、その後、日本ではどのような対策が進められたのか、概略をまとめた。
第5章「より良い社会づくりのために」は、血液事業にとどまらず、今後の医療という途上技術と社会の摩擦をどうしたら回避できるか、不確実を乗り越えるためのコミュニケーションの重要性、薬事制度の改善案など、広い意味での医療の安全と質の向上についての考察と提言である。また、裁判による社会問題解決の限界と、いわば日本の民主主義社会の強靭化などについて論じた。
第6章として、最後に、人類の知性が、憎しみや不安という感情を制御できるかどうかに、その将来がかかっていることについて私見を述べた。
郡司篤晃:
1965年東京大学医学部卒。1975年厚生省医務局総務課、課長補佐。その後環境庁、鹿児島県衛生部長、薬務局生物製剤課長、健康増進栄養課長を経て1985年東京大学医学部保健学科保健管理学教室教授。
2012年より東京財団、上席研究員、2013年~聖学院大学大学院客員教授、2014年~NPO医療の質に関する研究会理事。