【はじめに】
新型インフルエンザワクチンの接種に向けた動きが活発化してきた。厚労省はようやく先月から何度も意見交換会を開催し、様々な立場の人から意見を聴取した。9月4日、マスコミ各社に優先順位や輸入ワクチンも含めた「新型インフルエンザワクチン接種のあり方」の案を提示し、同時にパブリックコメントの募集を開始した。
2005年に新型インフルエンザ対策行動計画が策定され、その後改定されてきた。付随するガイドラインも策定され、同様に改定されてきたが、ワクチン接種のありかたについては、不明確な要素も多いこと、および優先順位付けイコール人の命の軽重の判断という批判への恐れなどから、十分に議論がされてこなかった。
今回の新型インフルエンザである2009年インフルエンザA(H1N1)に関して、ようやく様々な情報が集積されてきた。その結果、季節性インフルエンザでは毎年多くの感染者が出る高齢者にはあまり患者発生がなく、逆に10歳代あるいはその前後の世代の若年者に感染者が多いこと、妊婦や小児、基礎疾患をもった人たちの重症化リスクが高いこと、などがわかってきた。
これらの特徴に基づいて、今回の案では、妊婦や小児、基礎疾患をもった人たちをワクチン接種の高い優先順位に据えている。また、新型インフルエンザの流行の際に医療機関で欠勤者が多く出たり、医療従事者から患者に伝播したりすることも好ましくないので、医療従事者も同じ優先順位に据えられている。さらに、小中高生など罹患のリスクが高い(重症化のリスクは高くない)人たちに接種することによる流行の抑制も一つの選択枝であると記し、これらの集団を第二順位としている。順位付けは極めて妥当な線であり、議論が落ち着くべきところに落ち着いたという印象を受けた。この間、短時間で何度も会議を開催し意見聴取を行なって接種順位の案をまとめた、厚生労働省などの関係者に敬意を表したい。
【優先順位の次にくる議論】
優先順位に関する議論は落ち着いたが、実際にワクチンが接種されるまでのプロセスには問題が山積している。昨日(9月9日)、都内で行われた専門家や団体代表者などを交えた意見交換会では接種優先順位案について異議を唱える人はおらず、ほとんどの議論がそれ以外の部分に関するものであった。その中でも特に重要だと筆者が考える、3つの課題を以下に示す。
(1)ワクチン接種体制:特に、どこで誰がワクチンを打つか
(2)輸入ワクチンの確保
(3)輸入ワクチンの使用の必要性
【ワクチンの接種場所】
厚労省は、9月8日の都道府県への説明会において、医療機関と契約して接種してもらう方向性を打ち出し、これを都道府県に伝えている。契約対象は主に無床診療所(いわゆるクリニック)であると思われる。季節性インフルエンザであれば流行前に接種するので、これで構わないし、実際そのように行われている。しかし、新型インフルエンザワクチン接種は、これから流行するさなかで入荷した分から順次行われると考えられる。狭いクリニックの中でインフルエンザ患者とこれから接種して免疫を付ける者が同居することになる。言い換えれば、ワクチンを接種して免疫を付けたい人が、わざわざ自分が免疫のない病気の患者のそばに行く形になる。
これについて厚労省は昨日の席上で、接種場所は必ずしも医療機関に限らないと考えており、8日の説明会でもそう説明した、また、クリニックのような医療機関であっても場所や時間帯を分けることなどにより対応可能と考えている、とのことであった。
しかし、マスコミ各社などに配布されている資料には、接種場所に関して医師会に調整を依頼すると記載されている。どうみても医療機関での接種に限定しているようにしか思えない。また、対応可能というなら、より現場に近い群市医師会や開業医の声を聞くべきである。現時点ですでに、発熱患者とそうでない患者を場所や時間を分けて診療することに苦慮しているクリニックに、さらにワクチン患者も分ける時間・空間的余裕がどこにあるというのだろうか?(MRIC臨時vol234「簡単に発熱外来と言うけれど・・・」:長尾クリニック 長尾和宏先生の記事を参考にして頂きたい)発熱患者すら分離するのが困難な現状では、絵に描いた餅と言わざるを得ない。一度現場を見に行ってからにして欲しいし、自分がそのような場に接種しに行くかどうかよく考えて欲しい。
筆者は、発熱患者が来ない保健所や保健センターなどの行政組織における接種が適当と考える。特に保健センターに関しては、まさにこういう時のために存在する組織なのではなかろうか。もちろん、時間・空間的余裕のある医療機関が接種場所となることには賛成であり、インフルエンザワクチン接種が開業医にとって比較的コストパフォーマンスに優れた事業であることは否定しない。しかし、保健センターという既存のシステムを考慮しないのであれば、明確な理由が必要である。ちなみに民主党の足立政調副会長も私と同じお考えのようである(http://lohasmedical.jp/news/2009/09/07214332.php)。
【輸入ワクチンの確保】
国産ワクチンの数量が絶対的に不足しているのは前から明らかであり、輸入について検討するのは当然である。しかし、輸入ワクチンの確保については不透明な部分が多く残されている。まず、厚労省は交渉中ということを理由にその詳細を明らかにしない。本日の会議資料やパブリックコメントの資料でも、A社、B社という表現になっているが、うち1社がノバルティス社であり、日本で臨床治験の実施を検討していることはすでにメディアで報じられている。アジュバント(免疫増強剤)についても同社のワクチンであれば比較的使用経験の浅い、アルミニウム製剤ではないものであることは明白である。しかし、そのことも昨日の資料には記載されていない。
7月30日の意見交換会の場では、海外メーカーとワクチン輸入の交渉中であることが紹介され、上田健康局長が「ワクチンを輸入することに強い反対のご意見がないことをこの場で確認したい」と述べていた。出席者は基本的にワクチン輸入に反対していなかった。それならば速やかに輸入に向けた条件整備を行なうのが当然であり、その後5週間以上かかっても交渉が成立しないのであれば、その理由を明らかにする必要がある。
7月30日の会議では、海外ワクチンメーカーが日本にワクチンを売る条件として免責を求めてきており、これが最大の障害になっているとの説明がなされた。本ワクチンは十分な使
用経験のない状態で多数の人に接種される。10000人程度の臨床試験を行なっても、まれな副反応は検出されないだろう。何千万人もの人に接種してはじめてわかるような副反応などにより、接種者である医師や医療機関、国、製薬メーカーが責任を問われて訴訟の対象になるのなら、誰も本件に関わりたくないであろう。今回のワクチンに限り、無過失補償・免責制度を制定すべきである。しかし、それについても厚労省内で議論した形跡があまり見えない。筆者は昨日の会議でこの点を質問したが、一応検討しています、という程度の回答であった。厚労省はこのままのスタンスで交渉を続け、時間切れを待っているのだろうか。専門家や各種団体の代表者を集め、何度も会議の場に呼び出しているのに、公開する情報があまりにも少なすぎる。
【輸入ワクチンの必要性】
本日の会議でいみじくも、国立感染症研究所・インフルエンザウイルスセンター長の田代氏が「こうなることがわかっていながら、なぜ輸入に関する交渉がここまで遅くなったのはどうしたことか」という趣旨の発言をしていたが、まさにその通りであり、輸入ワクチンの検討や交渉開始がなぜここまで遅くなったのか、交渉がまとまらないのはなぜなのか、これらの疑問はしかるべき時に徹底的に検証されるべきであろう。新政権には落ち着いた時点でもよいので、この点を特に期待したい。
一方で同じ田代氏が、国産ワクチンを最大限に活用すれば輸入は必要ないのではないかという発言をしている。国産ワクチンは現時点で約1,800万人分が供給可能と厚労省は推定しているが、これは2回接種、かつ1mLバイアルで出荷した場合の数値である。まず1mLバイアルを10mLバイアルに変更すれば、瓶の底や壁に付着して失われるワクチンが相対的に減少するため、供給可能なワクチンの人数分が若干増加する。さらに2回接種をやめ1回とすれば、2倍の人が接種可能となる。これによって、最大6,000万人分のワクチンが供給可能になり、輸入分は不要という理論である。
これらの方法は一見良さそうにみえるが、1人あたり0.5mLずつ瓶から吸うため、1本の瓶を20回穿刺することになり、それだけ微生物による製剤の汚染の機会が増す。どこか一点で汚染すれば、それ以降に接種を受けるすべての人にリスクが生じる。小児はこれより少量の接種なので、さらに穿刺する回数が増える。また、このような製剤は通常のワクチン接種で行われていない。慣れない方法での接種は注射器の取り違いや再使用による血液媒介性疾患(B型肝炎やHIVなど)の被接種者間伝播のリスクを増す。しかし、取り違いなどが発生した時、国はその責任を取らず、接種者である医師に帰するであろう。
問題はまだある。バイアル製剤の使用の原則は、一旦使用を開始したバイアルを速やかに使い切ることである。冷蔵庫に保管し翌日まで持ち越すことは好ましくない。とすれば、接種医療施設では20人単位で接種者を集めなければならない。その調整も医療機関が行うのであろうか?1mLバイアルであれば2人単位でよいので、接種人数が中途半端になっても廃棄するワクチンは最大1人分である。もし20人ずつ接種ということであれば、それこそ保健センターで予約制にて行なうべきではないだろうか。田代氏には、日本のインフルエンザワクチン研究の中枢にいる人物として、製造や供給、接種体制など広い視野からの発言が求められている。
接種回数については、日本の国産ワクチンと同じアジュバントなしの製剤を使用する予定のアメリカにおいて、CDCは接種回数の勧告を行っていないが、幼児や小児は2回接種が必要である可能性が高いとしている。それ以外の年齢層について接種必要回数は不明としているが、ほとんどの人が免疫を持たないと考えられるため、2009年インフルエンザA(H1N1)に対するワクチン接種が2回必要だという前提で議論してきた方向性が急に転換するのもいかがなものかと思う。様々な議論は必要だとは思うが、輸入ワクチンは掛け捨て保険であり、輸入しても使わないことも想定しておくべきと言ってきた田代氏がなぜここにきて輸入反対(不要)論を唱えているのか、理解に苦しむ。
【おわりに】
早ければ10月末にも期待される国産新型インフルエンザワクチンの最初の出荷に対して、接種体制には問題が山積している。優先順位に関する議論が一段落した今、関係者が力を合わせて接種体制や輸入ワクチンに関する問題を一つひとつクリアしていく必要がある。特に輸入ワクチンに関しては厚労省が情報公開せずすべてのカードを握っている状態であり、メーカーとの交渉の時間切れで輸入できないことになると厚生労働行政に大きな禍根を残すことをあまり意識していないように思われる。とにかく、残された時間は長くない。