医療ガバナンス学会 (2015年9月28日 06:00)
インペリアル・カレッジ・ロンドン公衆衛生大学院博士課程
野村 周平
2015年9月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
今月12日、兼ねてより南相馬市立総合病院と共同で行っていた、福島原発事故後の避難と初期内部被ばく(事故後4ヶ月時点)の関係を調べた研究結果が米国の保健政策雑誌Health Policy and Planningで発表されました[1]。論文自体は下記のリンクから購読可能です。
http://heapol.oxfordjournals.org/content/early/2015/09/11/heapol.czv080.full
原発から23kmの距離に位置する南相馬市立総合病院は、事故後4ヶ月目の2011年7月に市町村では県内初となる内部被ばく検査器(WBC)を設置し、事故当時の市内住民を対象に、内部被ばく検査を開始しました[2]。本研究は、福島原発事故後最も初期段階の内部被ばくデータの解析になります。
この解析は3の理由で重要な意味を持っていました。1点目は、避難が事故初期の内部被ばくリスクをどれほど下げる効果があったのかを知るため。2点目は、事故初期の内部被ばく経路が吸引に寄るものなのか、あるいは汚染食品の摂取が原因なのかを考察するため。そして、将来放射線事故が発生した際、内部被ばくリスクと、避難に伴う健康リスク(後述)とをバランスする際の一つの重要な情報であることです。
結果としては、事故後4ヶ月時点に内部被ばく検査を受けた521名の検査結果を解析したところ、福島県外へ避難した人の当時の内部被ばく量は、避難を行わなかった人に比べ、統計学的有意に低い値を示しましたが(相対リスク:0.86)、大きな差とは言えませんでした。県内の避難者と、避難を行わなかった人の間に差は見られず、また、避難日時や屋外での活動時間と内部被ばく量の間にも有意な関連は見られませんでした。
福島県外への避難者と避難を行わなかった住民との間で、内部被ばく量に大きな差が見られなかったことは、事故後の中央政府や地元自治体による迅速な汚染食品規制が効果的に働いた可能性が伺えます。さらに、屋外での活動時間と内部被ばく量との間に関連が見られなかったことは、空気中放射線物質の吸引による内部被ばくへの寄与は小さく、検査器の検出感度を下回る程度であった可能性を示唆していることになります(ただし、第一原発から放出された放射性物質のうち、物理学的半減期が約8日と短いヨウ素131は事故後4ヶ月の時点ですでに検出されず、その故ヨウ素の吸引リスクに関しては不確かです。)。
一方、原発事故後の避難に伴う健康リスクはすでに数編報告されています。例えば、南相馬市の高齢者施設の入所者約300名が避難した結果、一年以内に75名が死亡し、過去5年平均の3倍弱の死亡率となりました [3]。また、相馬市の仮設住宅では事故後半年以内に糖尿病や肥満、高血圧など慢性疾患が悪化していました[4]。国会事故調の報告書や、福島県立医大の安村誠司教授の研究チームらも、同様の報告をされています[5-6]。
当然ながら、こうした避難リスクとバランスすべき被ばくリスクは、内部のみならず外部も含まれます。事故直後の信頼できる個人の実測の被ばくデータが不足しているため、外部被ばくは推定値に基づく評価が専らではあるものの[7]、福島県民健康管理調査や世界保健機関によれば、大半の福島県民の初期外部被ばく量は総じて低かったと結論されています[8-9]。
避難すべきであったかどうかということは、今更議論すべきではありません。避難しなかった場合のリスク(例えば、精神的ストレスによる健康被害や、医療人材・医薬品の不足によるリスク)は不明ですし、単純に”避難するか” or “被ばくするか”といった比較はできません。本研究において主張したい事の一つは、原発事故に対する事前の備えとして、避難に伴う健康リスクを減らす余地が極めて大きいことです。例えば医療施設であれば、放射線事故時は職員ももちろん避難しますし、その場合多かれ少なかれ医療人材も不足します。インフラの崩壊で医療物資のサプライも止まる恐れがあります。仮に患者を避難させないとしても、その間の応援人材と物資の手配が必要です。また被ばくリスクを鑑みいざ避難するとなった場合でも、安全な移送手段の確保や受け入れ先の調整、そして誰が(各医療施設?市町村?県?)それらを主導するかという問題も含め、きめの細かい避難計画が必要になります[3]。
先月末に公表された、国際原子力機関(IAEA)の福島原発事故を総括する最終報告書においても、事故後初期対応としての避難が健康被害をより拡大させたとして、避難に伴うリスクとそれに耐えうる避難計画のさらなる議論の成熟を促しています[7]。
今回の研究結果が広く共有されることで、さらに避難リスクに関して議論が進み、避難には非常に大きなリスクが存在し、十分な避難計画が将来の防災・減災に不可欠であるという意識が、社会の中で広く共有されることを望みます。
最後に話が戻りますが、2011年7月当時南相馬市立総合病院が導入したWBCは座椅子型と呼ばれるもので、周辺環境の放射線の遮蔽(しゃへい)が弱く、被ばく量推定の正確性を少し欠いていました。WBCは体内から発せられる微量の放射線を検知し、単位時間当たりの検出数から体内の内部被ばく量を逆算します。そのため、環境中の放射線の遮蔽が弱い場合、それらが体内からの放射線の検知を邪魔し、正確な逆算が出来ないという事態が発生しました。ですが昨年、東京大学大学院理学系研究科の早野龍五教授や研究室の学生によって適切な補正が行われました[2]。本解析はその補正データを使用したものになります。そして市立病院の放射線対策室,医療技術部,医事課スタッフの方々は勿論,金澤院長・及川副院長を始め,東大医科学研究所の坪倉先生・上教授,東大医学系研究科国際保健政策学教室のスチュアート先生,東大理学系研究科の早野教授・渡辺先生のご支援を賜り、本論文は発表に至りました。
【参考資料】
[1] Hayano R, Watanabe, Nomura S, et al. Whole-body counter survey results 4 months after the Fukushima Dai-ichi NPP accident in Minamisoma City, Fukushima. Journal of Radiological Protection 2014; 34(4): 787-99.
[2] Nomura S, Gilmour S, Tsubokura M, et al. Mortality risk amongst nursing home residents evacuated after the Fukushima nuclear accident: a retrospective cohort study. PloS one. 2013;8(3):e60192.
[3] Tsubokura M, Takita M, Matsumura T, et al. Changes in metabolic profiles after the Great East Japan Earthquake: a retrospective observational study. BMC public health. 2013;13:267.
[4] 国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(2012)「第4部 被害の状況と被害拡大の要因」『報告書』、380頁 10.
[5] Yasumura S, Goto A, Yamazaki S, Reich MR. Excess mortality among relocated institutionalized elderly after the Fukushima nuclear disaster. Public health. Feb 2013;127(2):186-188.
[6] Satoh H, Ohira T, Hosoya M, et al. Evacuation after the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant Accident Is a Cause of Diabetes: Results from the Fukushima Health Management Survey. Journal of diabetes research. 2015;2015:627390.
[7] IAEA. The Fukushima Daiichi Accident Report by the Director General. Austria: International Atomic Energy Agency; 2015.
[8] Ishikawa T, Yasumura S, Ozasa K, et al. The Fukushima Health Management Survey: estimation of external doses to residents in Fukushima Prefecture. Scientific reports. 2015;5:12712. 2.
[9] WHO. Health risk assessment from the nuclear accident after the 2011 Great East Japan earthquake and tsunami, based on a preliminary dose estimation. Geneva: World Health Organization; 2013.
【略歴】
野村周平(のむら しゅうへい) インペリアル・カレッジ・ロンドン公衆衛生大学院博士課程。
昭和63年、神奈川県生まれ。平成23年東京大学薬学部卒業。同年、同大学大学院国際保健政策分野の修士課程に進学し、福島県南相馬市・相馬市の災害復興支援に従事。国会事故調の協力調査員、及び国連開発計画(UNDP)タジキスタン共和国事務所の災害リスク事業でのインターンを経て、平成25年秋より現大学院へ留学。高齢者の避難リスク、及び災害後中長期における慢性疾患リスクに関する研究を行っている。昨秋、世界保健機関(WHO)本部の災害リスク・人道支援部門政策実施評価局におけるインターンを修了。