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Vol.207 母乳と粉ミルク、赤ちゃんにはどちらがいいの?

医療ガバナンス学会 (2015年10月19日 06:00)


この原稿は日経トレンディネットより転載です。
(イラスト画像を含むオリジナル記事はこちら↓)

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20150904/1066233/

大西睦子

2015年10月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


食、医療など“健康”にまつわる情報は日々更新され、あふれています。この連載では、現在米国ボストン在住の大西睦子氏が、ハーバード大学における食事や遺伝子と病気に関する基礎研究の経験、論文や米国での状況などを交えながら、健康や医療に関するさまざまな疑問や話題を、グローバルな視点で解説していきます。
日本では偽物がインターネットで販売されるなど、「母乳」に関するニュースが飛び交い、母乳についての議論が活発ですが、米国でも「母乳神話」とも呼べる説が唱えられ、賛否両論が巻き起こっています。

◆WHOも米国小児科学会も厚生労働省も勧める母乳だが

WHO(世界保健機関)や米国小児科学会は、母乳栄養が、母子ともに体と心に良い影響を与えるとして、生後6カ月までは、赤ちゃんを母乳で育てることを推奨しています。厚生労働省もまた、できるだけ母乳で赤ちゃんを育てることを推奨しています。

■参考文献
WHO「Breastfeeding」
the American Academy of Pediatrics「Breastfeeding and the Use of Human Milk」
厚生労働省「乳幼児突然死症候群(SIDS)について」

これに疑問を投げかけたのが、ハーバード大学公衆衛生大学院のフィリップ・グランジャン(Philippe Grandjean)教授らです。WHOは環境中の化学物質による母乳の汚染を考慮していないというのが、教授らの主張です。

◆母乳は汚染されている!?

例えば、ゴミの焼却灰から検出されて問題になっているダイオキシン類。電化製品の絶縁にかつて多用されたPCB(ポリ塩化ビフェニール)。安価で効果の高い除草剤や殺虫剤として以前は広く使われていたDDT。これらに代表される有機塩素系(organochlorine;OC)農薬など、環境中の化学物質は、体内に蓄積します。子どもを産んだ母親も例外ではありません。そしてそれは赤ちゃんの体内にも、母乳を介して運ばれてしまうのです。

化学物質による母乳の汚染問題は、50年かけて顕在化してきました。例えば、4カ月間、母乳で育てた赤ちゃんの血液中のPCBの濃度は、同物質の母親の血液中の濃度を超えていたと報告されています。

■参考文献
US National Library of Medicine National Institutes of Health「BREASTFEEDING AND THE WEANLING’S DILEMMA」

このように、化学物質による妊婦や子どもへの汚染が問題になる中、グランジャン教授は、デンマークのコペンハーゲン大学の研究者らとともに、パーフルオロアルキル物質(perfluorinated alkylate substances:PFASs)による、母乳の汚染リスクを、2015年8月号の米公衆衛生ジャーナル(American Journal of Public Health)に報告しました。

■参考文献
Environmental Science & Technology (ACS Publications)「Breastfeeding as an Exposure Pathway for Perfluorinated Alkylates」
HARVARD T.H. CHAN「Breastfeeding may expose infants to toxic chemicals」

PFASsは過去60年間、水、油および汚れを洋服、食品の包装などに付きにくくする目的で、さまざまな製品に使われてきています。こうした製品を生産する施設付近では、飲料水が汚染されているため、人体がPFASsに汚染されることが分かっています。

またフェロー諸島では、鯨肉などを食べることで人体がPFASsに汚染されてしまうといいます。

■参考文献
US National Library of Medicine National Institutes of Health「Serum concentrations of polyfluoroalkyl compounds in Faroese whale meat consumers.」

PFASsは食物連鎖で生体に蓄積する傾向があり、体内に長時間とどまります。生殖毒性、内分泌かく乱作用、免疫機能の低下や発がん性が懸念されています。
乳児期のPFASsによる汚染は母乳から

教授らは1997年から2000年の間に、フェロー諸島で、まず妊娠32週の母親について5種類のPFASsの血中レベルを調べ、その後生まれた81人の子どもを対象に追跡調査をしました。対象者は出産時、生後11カ月、18カ月、5年後に、血液中の5種類のPFASs濃度を測定しました。

その結果、完全母乳栄養の子どもの血液中のPFASs濃度は、毎月上昇しつづけ、出産時と5歳で比べると、16%から31%まで高くなっていました。これに対し完全母乳ではなかった子どもは、増加の割合が低いことが分かりました。また、授乳終了までの間、PFASsの血清濃度レベルが母親より高い子どももおり、母乳を与えるのをやめた子どもは、5種類のPFASs全ての濃度が減っていました。つまり乳児期のPFASsによる汚染の主要な原因は、母乳であることが示唆されたのです。

さて、この研究ではPFASsという特定の化学物質が注目されていますが、母乳は母親の体液からできているわけですから、母親が摂取する、暴露されるものが母乳を介して赤ちゃんに影響するというのは、当然だろうと思います。

米国内の妊娠中の女性は、胎児の発育に影響を与えることが知られている43種類の化学物質、つまり農薬やPCB、フタル酸エステル類等にさらされていることが別の論文でも報告されています。

■参考文献
US National Library of Medicine National Institutes of Health「Environmental Chemicals in Pregnant Women in the United States: NHANES 2003-2004」

8万を超える化学物質が体内に侵入している

米国内に商業目的で使用される、あるいは存在する化学物質は、8万を超えています。化学物質は家庭や職場で、空気、水、食品などを介して私たちの体内に侵入しています。

製薬会社は販売前に自社製品について厳格な試験を行わなければならないのに、化学メーカーの多くにはこうした制約がありません。つまり米国内の工業用化学物質の中には、潜在毒性について全く試験が行われていないものもありますし、他の化学物質との組み合わせによる潜在毒性についてはほとんどが試験されないまま使われています。広く使用されている有毒化学物質でも、妊婦や子どもへの影響について試験されていないものもあるわけです。

■参考文献
UPLOS ONE「Counseling Patients on Preventing Prenatal Environmental Exposures – A Mixed-Methods Study of Obstetricians」

ところで、母乳の質に影響を与える要因には大きく以下のものが挙げられます。

■栄養(母親の食事)
■母親の体調
■母親の住む環境(地域、経済要因、文化要因、社会的要因など)

これらのうち、食事と体調はある程度母親自身でコントロールできますが、環境をコントロールするのは極めて困難です。しかも環境は、母親の食事や体調にも影響を及ぼします。

例えば、米国では妊娠中も授乳中もマルチビタミンの服用を勧められますが、授乳中にマルチビタミン剤を服用していて、それに含まれるビタミンB群の作用で母子ともに尿が黄色くなる、ということもあります。授乳中の母親たちが良い母乳のためにと一生懸命、食事に気をつけて栄養を摂るのも、母乳を介して栄養を赤ちゃんに届けるという目的があるからでしょう。授乳中の喫煙が敬遠されるのも、主たる目的はタバコの有害物質による母乳の汚染を避けるためですよね。良いもの(栄養素)も悪いもの(有害化学物質、内分泌かく乱物質、放射性物質など)も母乳を介して赤ちゃんの体に取り込まれ、それが脂溶性のものなら蓄積するわけですから。

3カ月児の米国の完全母乳栄養率は40.7%! “どちらがベスト”という安易な結論付けはしない

一方、粉ミルクの品質についてはどうでしょうか。

消費者は、最新の研究に基づいた配合成分、厳密な品質管理、という企業のうたい文句を信じて購入しています。しかし残念ながらこの信頼が裏切られることがあるのは、古くは森永砒素ミルク事件、近年では中国でのメラミン混入粉ミルク事件が物語っています。その他にも輸送・保管中の品質劣化、原材料の汚染による二次汚染など、リスクがないとは言い切れないわけで、しかもそのリスクは消費者がコントロールできません。

ハーバード大学で肥満の研究をされている、管理栄養士の佐藤佳瑞智博士は、次のようにコメントされます。

「母乳育児の場合、お母さんが食事から摂取する栄養素は赤ちゃんの成長にとっても必須ですが、食品や環境暴露などにより図らずも摂取してしまった毒性物質による母乳の汚染はできるだけ少なくしたい、と考えるのは当然です。
だからといって、このような研究結果から、母乳は危険だ、人工ミルクのほうが安全だ、と結論付けてしまうのは安易過ぎると思います。
また、母乳育児が母子双方にとってベストだとはいえ、母子の体調や住環境、働く環境など、実現するにはさまざまな制限があるわけです。その中で親がすべきことやできることは、赤ちゃんに対して自分が実現しうる最良の栄養を与えることです。その手段が母乳でなければならないとか、粉ミルクでなければならないということはないと思います。
米国の赤ちゃんの生後3カ月時点での完全母乳栄養率は、2011年のデータで40.7%、これは日本と同水準です」

■参考文献
Centers for Disease Control and Prevention「Nutrition, Physical Activity and Obesity: Data, Trends and Maps」

粉ミルクで補うことに罪悪感は必要ない

佐藤博士は自身の育児経験も考慮して、次のように続けています。

「米国でも、出産入院中も母乳教室がありましたし、プレママのセミナーなどでも母乳をトピックとしたクラスがあります。専門医からももちろん母乳のメリットの説明を受けました。みんな母乳のメリットを理解しており、決して母乳育児に関して冷めているわけではありません。ただしどんなときも、誰からもプレッシャーをかけられたことは一度もありませんでした。デイケア(日本の保育園のような施設)では搾乳した母乳を持っていっても、調整済みのミルクを持っていっても構わいませんでしたし、それぞれが好き好きに、という感じでした。
自分にできる範囲で何が最良か考え、母乳のメリットを生かしたいと思い、できる環境にあるならそうすればいいでしょう。また住んでいる地域や諸事情により母乳育児が難しいなら、粉ミルクにすればいい。基本母乳にしたくても、完全母乳は無理というなら、粉ミルクで補うことに罪悪感を持たなくてもいいと私は思っています。
母乳か、粉ミルクか、どちらか選ぶのではなく、両方のメリットとデメリットを知って、うまく使い分けていくのでいいのではないでしょうか? 米国の母親たちも、日本の母親たちも、一生懸命に子どもを育て、慈しんでいるのに変わりはないはずですから」。

大西睦子(おおにし・むつこ)
医学博士。東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて、造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月より、ボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。2008年4月より、ハーバード大学にて、食事や遺伝子と病気に関する基礎研究に従事。著書に『カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側』(ダイヤモンド社)。

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