医療ガバナンス学会 (2015年10月21日 06:00)
山形大学医学部医学科
茂藤 優司
2015年10月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
山形大学医学部のカリキュラムでは二年生が最も大変だと言われている。毎日夜遅くまで教室の電気がついていて、皆一生懸命勉強や課題をしている。一年生のときに、二年生以降はなかなかまとまった休みを取ることが難しいと聞いていたので、時間のある一年生のうちにいろいろと行動しようと考えた。まずは、長期の休みを使って一度海外に行きたいと考え、昨年の夏に山形大学のプログラムで三週間ほどケニアに行ってきた。プログラムは山形大学と交流協定を結ぶ世界六カ国の大学のうちの一つに行き日本語を教えるというものである。
例年であれば一つの大学につき数人で行くのだが、昨年は私以外希望者がおらず、私一人で行くこととなった。なぜケニアを選んだのかと言えば、途上国、特にアフリカの生活や医療に興味があったことと、まだ行ったことがない土地に行き、英語を使って日本語を教えることなど、これまで経験したことが無いような新しいことに挑戦したかったからである。もちろん食事、感染症、治安など不安も多かった。また、前年に行った学生などから食事代は一緒に行った全員分を払っていたということも聞かされ、金銭面はある程度覚悟しておいたほうがいいという、貧乏学生にとっては少し堪えるアドバイスもいただいた。
ケニアでは想像していたより普通に生活ができた。宿泊は大学内の寮だったのだが、たまに停電するものの電気は通っているし、上下水道もある。プロパンガスもあり料理もできる。スーパーも近くにあり、欲しいものはある程度そろう。日本語クラスに来ている学生たちはみんな親切で、毎日朝から私を誘ってくれて、どこか行きたいところはないかと聞いてくれ、案内もしてくれた。食事もおいしかった。少し気がかりだった食事代のことも、なぜか皆の分を払わずに済んだ。むしろ自分の分までおごってもらっていた。これにはプログラムの担当教授も驚いていた。
感染症については、現地でやはりマラリアについてよく耳にした。ただ、予防薬はすぐに手に入るし、万が一かかったとしても三日ほどで良くなると聞いた。一度だけ、ケニアに着いてすぐに蚊に刺されたのだが、夜見てみると手のひら程度の大きさの真っ青な痣になっていた。マラリアかと思ったが発熱もなく、翌朝には痣は消えていたのでとても安心したことを覚えている。ケニアの蚊は少し毒性が強いようだ。また、ちょうどエボラ出血熱が流行していた時期で、連日ニュースで西アフリカ地域のことが報道されていた。
日本語クラスの中にナイジェリア出身の学生がいたのだが、ナイジェリアでは数人の死者が出ているにもかかわらず、たいした数字ではないと楽観的であったのが印象的であった。日本では感染疑いのある人がいるだけで大騒ぎになるほど関心は高く、危機感も強いのに対し、熱帯地域では多くの感染症があるので、その地域の人にとってみれば、そのうちの一つという程度なのかと思った。
ただ、治安に関しては少し怖い思いをした。休日にタクシーでナイロビの中心街へ向かうハイウェイの途中で、中央分離帯にいた数人の男が道路にタイヤを投げ込み、火をつけたのだ。ドライバーがうまく避けてくれたので何事もなく通過することができたが、もし車が多くて避けきれずに止まっていたら強盗の被害に遭っていたかもしれなかった。
ナイロビは高層ビルも多くありとても発展している印象を受けたが、犯罪率が高い。どこのスーパーに行っても銃を持った警備員がいて、入るためにボディチェックが必要であった。昨年参加した学生は買い物中に付近でテロがあったそうだ。犯罪率が高い背景には貧困があると聞いた。街だけ見れば先進国とさほど変わらないように感じたが、やはりまだまだ貧しい人は多いようである。
私が滞在していた大学内に小さな病院があった。そこの大学に医学部はあるが医学科は無い。少しだけではあるが、大学内の病院で働く医師に話を聞くことができた。ケニアでは日本で言う医学部医学科を持つ大学は三校だけであり、定員は全部で300名ほどであるようだ。ちなみにケニアの人口は約4,400万人である。人口がケニアの約三倍である日本の医学部医学科の定員は9,000名程度であったと思う。今、日本でも医師不足が問題となっているが、これを見るとケニアでの医師不足がいかに深刻であるかわかると思う。さらに、医師になれるような優秀な人材はケニア国内よりも海外のほうがより稼げることから、ヨーロッパなどの先進国に行ってしまうため、医師不足はなかなか解決しないという。また、ケニアの医療において最も深刻な問題は何かと聞いたら、貧困であると答えが返ってきた。そのときの正直な感想は、それは医療の問題ではないのではないかということであった。医療を提供する医師が貧困に対して何か解決策を示すことができるとは考えにくいからだ。
ケニアの他にも、昨年の夏と今年の三月に福島県の医学生対象地域医療体験研修にも参加した。今年三月の相双地域の研修では南相馬市立病院にお邪魔した。そこで研修医の方や先生とお話をさせていただいた。研修医の方との話で印象的だったのは、この病院を選んだのは、震災の被災地だからとか、原子力発電所の事故が起きたからという理由ではなく、病院の人と交流する機会があり雰囲気が良かったことや、たまたま空きがあったからという理由で選んだということであった。このような考え方で研修先を決めるのは医師と地域の双方にとっていいことではないかと思う。何か具体的な目的を持って臨むと、その土地のニーズに合ってなければ、成し遂げたところで本当にその地域に貢献できたかはわからない。その地域に行ってから、その地域の人と触れ合うことで課題を見つけていく方がより地域貢献につながりやすいのではないだろうか。
また、震災以降南相馬市立病院で内部被爆検査を続けている坪倉正治先生の話では、一部の地域を除き、南相馬市での放射線量は国内の他の地域と大差ないということであった。ただ、慣れ親しんだ土地を離れる、あるいは大切な人と離れて暮らすという決断をした方に、その数字を示して、戻っても大丈夫ですとか、目に見えない不安はある中でその土地に残るという決断をした方が外から批判を受けることに対して、数字の上で安全だから堂々として大丈夫ですと言えるかというと必ずしもそうではない。そこが非常に難しいところだと言っていたことが印象的だった。
ケニアでの貧困問題や福島県の放射線の問題を通して感じたことは、医師は医療を行っていく上で、その土地の問題に無関心では良い医療の提供は難しいのではないかということである。放射線に関しては医療に通じる部分はあるものの、そこで生活するか、あるいは他の地域に行くかということは医療とは直接関係はない。貧困に関しても同様に直接の関係はない。ただ、関係がないからと医師は無関心でいていいのだろうか。私は良い医療の提供には患者の話に対する傾聴や共感が重要であると考えている。その地域が抱えている問題に対して関心を持ち、解決に向け取り組むことで、患者の状況を理解する一助となり、より深い傾聴や共感につながり、良い医療の提供につながるのではないだろうか。
【略歴】
2001年3月石川県立金沢錦丘高校卒業
2002年4月名古屋大学理学部入学
2007年3月名古屋大学理学部物理学科卒業
2007年4月名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻入学
2009年3月名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻卒業
2009年4月株式会社ニコンシステム入社
2012年8月株式会社ニコンシステム退社
2014年4月山形大学医学部医学科入学