医療ガバナンス学会 (2015年12月1日 06:00)
井上法律事務所 弁護士
井上清成
2015年12月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2.刑法における道具理論(間接正犯)
刑法の一般理論に、間接正犯という概念がある。背後の主犯が表面は下っ端の者を道具として犯罪を行わせた場合に、道具たる小者よりも影の主犯たる大物を裁きたい。そこで、その大物を間接正犯として処罰する、というものである。親分が子分や鉄砲玉を使って犯罪を行わせた場合に、親分そのものを正犯として裁く。検察実務上は、共謀共同正犯として一網打尽とすることも多い。
小松秀樹医師がよく使う比喩では、江戸時代には代官が岡っ引きや下っ引きを使って庶民の取締りをした、という例が挙げられるが、道具理論たる間接正犯概念もそれに近いように思う。
このように道具を上手く駆使すると、もしも公務員(親分や子分に相当)が自ら行うと、収賄罪(第三者供賄罪)・公務員職権濫用罪・公務員法による守秘義務違反罪・労働者派遣法違反罪・偽計業務妨害罪などに該当してしまうものを、自らの手を汚さずに上手く脱法できるかも知れない。いざとなったら、道具(小者たる鉄砲玉に相当)に罪を着せてしまってもよいのである。
つまり、公務員が脱法を指向し過ぎると、そこに厚生行政における法治主義の揺らぎが生じてしまい、国民皆にとって芳しくない。
3.公務員による民間病院を通じた人権侵害行為
ところで、亀田総合病院はかつて小松秀樹医師に対して、「メール、メールマガジン、記者会見等、手段の如何を問わず、厚生労働省および千葉県に対する一切の非難行為を厳に慎むことを命じます」という指示・命令をした。余りにも端的で素朴な指示・命令という感が強い。おそらく顧問弁護士にも何らの相談もしなかったのであろう。
それはともかくとして、その指示・命令は、単に亀田総合病院だけの発想・発案とも思えない。千葉県の医系技官の一部、そして、厚労省の医系技官の一部が、その発想・発案に関わっていると見るのが常識的であろう。
亀田総合病院は、厚労省や千葉県から多額な財政的援助を受け、厚労省や千葉県の広汎な監督に服さざるをえない民間病院である。他方、小松秀樹医師は厚労省や千葉県の厚生行政のあり方に対して,それこそ各種の政策分野について数多くの批判を行ってきており、特に医系技官の一部からは徹底的に嫌われていた。つまり、その指示・命令は、国家公務員の一部医系技官や地方公務員の一部医系技官による言論抑圧行為と評しうるものである。
もっと広く言えば、国家公務員・地方公務員による民間病院を通じた人権侵害行為とも評しえよう。
4.憲法における国家行為理論(人権侵害)
このような人権侵害状況に関しては、事柄の実質に即して憲法問題として扱われねばならない。たとえば芦部信喜(あしべのぶよし)元東京大学法学部教授(故人)「憲法論として考えるうえで参考になるのが、アメリカの判例で採用されている国家行為(state action)の理論である。この理論は、人権規定が公権力と国民との関係を規律するものであることを前提としつつ、(ⅰ)公権力が、私人の私的行為にきわめて重要な程度にまでかかわり合いになった場合、…(中略)…当該私的行為を国家行為と同視して、憲法を直接適用するという理論である(国家同視説と呼ばれる)。(ⅰ)の例として、…(中略)…国から多額な財政的な援助を受け、そのかぎり国の広汎な監督に服している私的団体が違憲的な行為を行った場合などが、挙げられる。…(中略)…このような理論構成によって、事実行為による人権侵害の憲法による救済を図ることも考えられてよい。」
表面上は、亀田総合病院vs小松秀樹医師の私的な労働問題と見えても、国家・地方公務員(医系技官)vs小松秀樹医師の公的な憲法問題として扱われねばならない、というのが事柄の実質なのである。
5.言論抑圧は刑法と憲法と言論で解消を
一般に、公権力による直接・間接の言論抑圧に対しては、刑法による公務員処罰、憲法による人権救済、そのもの言論活動による対抗によって、その抑圧を改めさせねばならない。刑法による公務員処罰は、通常の所轄警察署レベルではなく、警察の本部や検察の特別部(特別刑事部、特別捜査部)扱いによって行われることとなろう。もちろん、厚労省や千葉県自体の内部監査による内部処分も行われねばならない。憲法に基づけば、これは表現の自由(憲法第21条第1項)の侵害に対しての救済が行われるべきであるし、そもそも検閲の禁止(憲法第21条第2項)に違反しているので是正されねばならないものである。さらに、最も重要なのは、言論活動それ自体によって対抗することであろう。
医師の厚生行政施策に関する言論への抑圧であるから、ほかならぬ他の医師らによる言論活動も重要である。同業者であるだけに逆に小松医師を感情的に好まない医師も少なくないかも知れないけれども、事は好き嫌いのレベルの問題ではない。