最新記事一覧

Vol.253 「非専門家」による科学研究「参加」のこころみ―排泄介護をめぐる経験より

医療ガバナンス学会 (2015年12月9日 06:00)


杉野実

2015年12月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●はじめに

現代社会においては、大学その他の研究機関あるいは私企業ないし官公庁で科学研究がおこなわれているが、そのような機関に所属する専門家が実施する研究は、日々さまざまな問題に直面する一般人の要求から、隔絶したものになってはいないであろうか。この種の問題への対策としてまず、非専門家が専門家に依存するのをはじめからやめて自分で科学研究をおこなうという、「自分の問題は自分で解決する」方法が考えられる。これはまさに理想的にもみえるが、ならば専門家がそもそもなぜ存在するのか、非専門家に科学研究など本当にできるのか、といった疑問をもおこさせる。とすれば次に考えられるのは、非専門家が専門家に対して、研究内容について直接に要求するという方法である。

●「専門家以外の市民による研究」は可能か

「一般市民による研究」という話題に関する既存文献は多くない。「市民科学」などの用語をくりかえすだけで、具体的な事項をのべない論文が多いとある論文(倉本2003)がいうように、多くの論文の内容は、問題の具体性にくらべて抽象的すぎる。イギリスの羊飼いが「死の灰」研究チームのあやまりをみつけた(中村2002)とか、日本の河川工事において、専門家がないといっていた高潮が実際にはあることを、地元住民は知っていた(鉾山2002)とかいうように、「市民」がすぐれた感覚を示した例は指摘されているものの、それも散発的なものでしかない。各分野の専門家が自発的に知識を公表することが重要である(小川2002)とか、さらに専門家は市民運動団体と提携すべきだ(Caputo 1972)などの議論もあるが、それは専門家を逆に市民に従属させようとする議論ともみられる。
筆者はまた考えうるかぎりのキーワードでインターネットを検索し、実際に3団体と接触することができた。それらのうち、テキサス大学人文科学研究所と、東京・アジア太平洋資料センターの「自由学校」においては、少数の特定メンバーだけが活発に活動するという傾向が顕著にみられた。
「科学技術と社会との関係を考察」し、いくつかの会員による「研究グループ」からなる東京の市民科学研究室は、特別な言及にあたいする。この団体は、科学技術と一般人の日常生活との関係を再考するために、日常生活にもとづいて専門知識を再編し、その成果を市民に還元する具体的方法を開発することを内容とする「生活の科学」概念を、その独特な「市民科学」活動の理論的な核にすえている。

●排泄介護をめぐる問題―友人の話

2008年に以下にのべる話をしてくれた筆者の「友人」は介護士である。彼に介護される利用者のなかに中高年の独居男性がいて、そのなかにはアルコール依存症から、視覚ないし肢体不自由をふくむ糖尿病後遺症をわずらう者も多い。
どういう型の便器が、どのように使用されたときに、よごされやすいかというのが第一の問題である。利用者の多くが男性であれば、まず尿によるよごれが問題となる。特に「きんかくし」のない洋式便器だと、「照準をさだめる」のがむずかしく、小用時に周囲がよごされやすいと友人はいう。その意味では公共施設に多くみられる縦型男性小用便器の方が使いやすく、それを実際に家でも使用することにした利用者がいる。より容易な対策として、小用ときには縦型以外の便器にはすわることにした利用者もいるという。
さらに深刻な問題として、視覚と肢体の両方が不自由な利用者にとっては、ある種の医学的検査を受診することが事実上不可能であることがあげられる。そのような利用者にとっては、近年一般化している、大腸癌潜血検査のためのスティック検便キットを使用することが、大変困難なのである。この検査では大便にスティックをさして検体を採取するが、視覚と肢体が不自由な者にとっては、「照準をさだめる」のがやはりむずかしく、大便を水中に落とすことにより、有効な検体をえることができなくなりがちである。友人は状況を熟考して、便器にこびりついた便を検体として提出したという。
以上の件に付随して筆者はまた、この手の問題が介護に関する専門書やマニュアル等に言及されていないと、友人がいったことにも関心をもった。この問題は福祉・医療・工業のすきまに落ち込む事項であり、したがっていずれの分野の専門家にも注目されることがないのではないかと、筆者は思ったのである。

●本当にのっていないのか―文献調査

日本語文献についていえば、「介護・生活・技術」・「介護・工学」あるいは「福祉・科学」等のキーワードでは、国立国会図書館で多数の文献がえられたが、その多くは福祉上の問題を「技術的に」解決しようとする工学論文であった。「福祉・工学」は数百本の論文をもたらしたものの、その大部分は、障害者との意思疎通に電子機器などを利用しようとする、「コミュニケーション」関連の研究であった。「些細なこと」に気づくことが、異分野間の連携には重要であることを、示した論文も少数ならばあった。たとえば医学と工学との連携を強調したある研究者は、患者の体位をかえるだけで、超音波検査が気泡で邪魔されることがなくなるという例を示している(棚橋2007)。ある建築家が個人的体験から気づいたのも、かべや天井が寝たきりの人の注目を集めすぎてしまうとか、あるいは寝たきりの人の部屋であっても、椅子などをおいて「場の公共性」をたもつことが大事だとかいう、「些細なこと」であった(水野2002)。
英語文献のなかでは、インターネットを通じて、キーワード「看護・工学」により「人間工学」論文を、「看護・科学」により「カオス看護学」および「異文化間看護学」論文を、それぞれえることができた。技術論的な分野である人間工学においては、圧倒的多数の論文が車椅子に言及していた。だがより興味深く思われたのは、スウェーデンでは福祉機器の開発に際して、障害者やその家族の意見が参考にされる(Eriksson and Johansson 1996)のに対して、ポーランドでは障害者の体形データすらなく、それが必要なときには西ヨーロッパやアメリカから借用される(Jarosz 1996)ということである。

●産・官・学の反応―書簡による調査

前述した排泄介護の問題、およびそれに関する非専門家との連絡について、関係者に直接に質問をぶつけるために、文献調査のすぐのち、筆者は日本の40団体に質問状をあて、その一部から回答をえることができた。
筆者が自分の電話番号を明記していなかったにもかかわらず、日本機械工業連合会はそれをわざわざ調べて電話で回答している。しかしその内容は、同会は近年、主として「機械の安全」に関する「調査」を、他団体に「委託」したというものであった。日本医療機器学会は、書留郵便を筆者に送付してきたものの、日本福祉用具生活支援用具協会・日本介護福祉士会または日本医療福祉設備協会に質問すべきだと回答した。全国ホームヘルパー協議会も、普通郵便で、テクノエイド協会ないし共用品推進機構に質問すべきだと回答している。日本衛生機器協会も、書簡ではよくわからないから電話で技術的詳細について確認するようにと筆者にいったあとで、「ユニバーサルデザイン」については、日本の2大便器メーカーであるTOTOとINAXにたずねるのが最適だと答えた。日本リハビリテーション医学会もまた、TOTOにたずねるべきとしている。
上記2企業のうち特にTOTOは、たとえば独立の研究所を設立するなど、この領域で多大な努力をしているようであり、そのサイトはまた、新製品開発に協力する「モニター」は障害者をふくむと明記している。だがこの企業からの直接の回答は、検便その他の目的のために水位を下げることのできる便器の商品パンフレットであった。患者が従来型の洋式(?)便器に照準をさだめて、その上にトイレットペーパーをおき、ペーパーの上に排便すべきだとした日本泌尿器科学会は、筆者の質問に具体的対策で答えた、TOTO以外では唯一の団体である。日本大腸肛門病学会は、便器の改良について、「メーカーとの関係もあるため...複雑な問題も危惧されます」と答えている。筆者が問い合わせをするべきと示唆された前述の諸団体のうち、(TOTOをのぞくと)共用品推進機構が、筆者の(二度目の)問い合わせに答えた唯一の例になった。同機構の回答でもっともおもしろかったのは、「公衆便所でみられる男子小便器が自宅にもあれば便利だと感じる方が、いらっしゃることを認識しました」という部分である。
「専門家・非専門家間の意思疎通」という、筆者の第二の関心事については、予想外に多くの団体が関心を示した。たとえば日本大腸肛門病学会や日本社会福祉学会などは、セミナー・討論ないしシンポジウム等に、実務家や一般人を招待している、あるいは招待することを検討している、と答えている。特に電子情報通信学会は、介護関係者をふくむ、文字どおりだれもが無料で参加できる、セミナーを開催しているという。筆者の質問に答えるために、みずから他団体への照会の労をとった団体もある。たとえば日本規格協会はTOTOと日本衛生機器協会に問い合わせをしているし、空気調和衛生工学会は、「便器メーカーその他の関係者に情報提供をよびかけた」とのべている。

●結論―専門家・非専門家間の提携の可能性

筆者が最初に想像した「一般市民による研究」は継続的に実施するのが困難なようである。そしてそのような状況をみてから、介護に従事する友人の話を筆者は聞いた。排泄介護は、介護の現場でこそ日常的なことであるものの、いわば医療・福祉・工業のすきまに落ちるため、著書や論文を書く専門家の関心を滅多にひかない事項でもある。実際に文献をみると、研究者の個人的関心のみが前面に出ており、現場で出会うような地味で生活くさい問題は、まれにしかとりあげられないように見受けられる。
しかし他方では、質問票を用いた調査からあきらかになったように、企業・業界団体あるいは学会など関係者は、この種の問題にとおり一遍という以上の関心をいだいている。だが私企業の態度が予想外に積極的だったとはいえ、ある企業からの回答は商品パンフレットであったし、企業の積極的態度を実際に示すものは、障害者「モニター」の商品開発への参加を示すホームページ記事とか、あるいは筆者が企業に問い合わせするべきだとする、他団体からの回答でさえあった。「専門家・非専門家間の意思疎通」問題に関していえば、実務家やまたは文字どおり一般人を、招待することを実施ないし考慮していると、複数の団体がのべたことが特に印象的である。
専門家による一般市民との意思疎通・情報交換のこころみはまだ始まったばかりであって、関係団体のすべてが積極的なわけではないし、積極的な団体ですらも暗中模索の段階をこえてはいない。市民科学研究室は「エンハンスメント」、つまり科学技術を利用した人間の身体的・精神的能力の増強に関する本を翻訳しており、同書によれば、人間に自然な欲望があるかぎり、その種の技術を道徳的手段により規制するのは困難である(上田・渡辺2008)。だが市民が研究者に対して「こういうことを研究してほしい」ということが一般的になれば、そういう問題に対してもちがう接近法がえられるかもしれない。「なんのために研究するか」という問いをつきつけられることを、いまの研究者は必ずしも拒否しないのではないであろうか。

参考文献
Caputo, D.A. (1972) “Academic Advisors and Citizen Participation” Public Administration Review 32(3), 220-222.
Eriksson, J. and G. Johansson (1996) “Adaption of Workplaces and Homes for Disabled People Using Computer-Aided Design” International Journal of Industrial Ergonomics 17, 153-162.
鉾山泰弘(2002)「現代社会に求められる学力を考える方法」『鳴門教育大学学校教育実践センター紀要』17。
Jarosz, E. (1996) “Determination of the Workplace o Wheelchair Users” International Journal of Industrial Ergonomics 17, 123-133.
倉本由香里(2003)「ツカえる科学論へ」『生物科学』55(1), 15-21。
水野靖子(2004)「寝たきりからの視界を楽しくするヒント」『婦人公論』89(21), 31-33。
中村征樹(2002)「ハイテク社会における市民の役割」『理戦』71, 160-173。
小川正賢(2002)「科学技術主導社会に生きる市民として」『URC都市科学』51, 29-36。
棚橋善克(2007)「21世紀の医工学連携に求められるもの」『日本機械学会誌』1058, 6-10。
上田昌文・渡辺麻衣子編(2008)『エンハンスメント論争―身体・精神の増強と先端科学技術』(Miller, P. and J. Wilson eds. Better Humans? DEMOS 2006.の翻訳を収録)社会評論社。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ