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臨時 vol 257 「新しい治療の臨床応用は、ゴールではなくスタートライン」

医療ガバナンス学会 (2009年9月22日 09:17)


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ベイラー研究所フォートワースキャンパス
ディレクター
松本慎一
新しい治療の臨床応用は、ゴールではなくスタートライン
ベイラー研究所フォートワースキャンパス・ディレクター
松本慎一
◆山中教授のラスカー賞受賞によせて
iPS細胞研究の業績により、京都大学の山中伸弥教授がラスカー賞を基礎医学部門で受賞した。ラスカー賞はアメリカ版ノーベル賞とも言われ、実際にラスカー賞受賞者の2割がノーベル賞を受賞している。山中教授は、私にとって神戸大学の先輩であり、今回の受賞は我々にとっても誇りであり、こころから称えたい。
iPS細胞が注目される前は、胎性幹細胞(ES細胞)が注目されていた。ただし、ES細胞はヒトの受精卵から作り出されるため、倫理的な問題が常に問われた。そのため、米国では、ブッシュ元大統領は承認しなかった。そのような中、iPS細胞が、ES細胞に変わり研究分野を活気づけることになった。iPS細胞は、万能細胞と呼ばれ、皮膚細胞に特殊な遺伝子を導入し作り出された細胞である。皮膚細胞から作りだされることから、倫理的な問題が問われることなく、研究者にとって扱いやすい細胞として脚光をあびている。
◆iPS細胞は、移植医療にも恩恵があるのか
iPS細胞から必要な細胞を作り出し患者さんに移植することで、細胞の機能を失い発症する病気を治すことが可能になる。失われた機能を持つ細胞を作り、移植で補うことが、iPS細胞に期待される移植医療での臨床応用である。
私の研究分野では、iPS細胞の研究は、血糖値を下げるインスリン産生細胞(ベータ細胞)が失われる糖尿病の治療につながると考えられる。この病気は、膵臓にある膵島細胞を構成するベータ細胞が失われるために、血糖値が上昇し様々な合併症を引き起こす。現在、ベータ細胞を補う治療として、脳死ドナーを利用した膵臓移植と膵臓から膵島を分離して移植する膵島移植が臨床で実施されているが、仮にiPS細胞からベータ細胞が作り出されると、脳死ドナーに頼る必要がなくベータ細胞が移植できる。まさに、次世代の夢の治療につながる発見である。ただし、この夢を現実にするまでにかなりの距離があることは、日本ではほとんど認識されていない。
◆研究者の憂鬱
糖尿病治療において、ベータ細胞を作り出す研究はかつて3度大きな発見があった。
1度目は、2000年にハーバード大学のウイヤー博士から発表された膵臓にある幹細胞の発見である。ウイヤー博士は、膵管に膵臓のベータ細胞になる幹細胞を発見し、その幹細胞からベータ細胞を作る方法を発表した。その後、世界中の研究室でこの方法の追試が実施されたが、技術的に難しく未だ臨床応用の目処が立っていない。
2度目は、2001年から2002年にかけてES細胞からベータ細胞作成の成功の発表が相次いだ。ところが、2003年にハーバード大学のメルトン博士が、いままでのES細胞の論文を追試したところ、ES細胞からベータ細胞が作られたのではなく、作る過程の培養操作によって瀕死になった細胞に培養液中に含まれるインスリンが染み込んだだけであったと発表した。この後、一気にこの分野の熱が冷めてしまった。
最後は、ベータ細胞を増やす研究である。ベータ細胞は、増やすことが極めて困難な細胞である。だが、ベータ細胞に癌遺伝子を導入し、癌化させることによりベータ細胞を増やすことができる。しかし、この方法は癌細胞をいかに制御するかというとても難しい問題が残されている。
iPS細胞は、皮膚の細胞由来の擬似ES細胞である。研究者は、ES細胞からベータ細胞を作り出すことが極めて困難であることを知っている。そのため、iPS細胞の出現は新しいチャンスではあるが、世間からの大きな期待は、今までの過去を振り返ると研究者を憂鬱にさせる。
◆インスリン依存状態糖尿病は治らない病気?
私の研究分野である膵島移植は、ベータ細胞の補充療法の一つとされるインスリン依存状態糖尿病患者に対し提供する治療である。ベータ細胞補充療法とは、生命の維持にインスリン注射が不可欠であるインスリン依存状態糖尿病(1型糖尿病など)患者にベータ細胞を移植する治療である。インスリン依存状態糖尿病は、発症時「治らない病気」と説明を受ける。終生、インスリン療法が必要であり、そのインスリン療法では、血糖値のコントロールが困難な方に提供されるのが、この膵島移植である。
膵島移植は分離した膵島を点滴で患者さんに移植する治療であり、手術や全身麻酔が不要なことから患者さんの負担が軽く大いに期待されてきた。しかしながら、インスリンが不要な状態は5年で1割ほどになること、インスリン離脱するためには複数回の移植が必要なこと、膵臓から膵島を分離する技術が難しく分離成功率が低いこと、いわゆる拒絶反応を抑制するための免役抑制剤に副作用が多いことなど克服すべき課題があり、現在も標準治療を目指して様々な研究が実施されている。ただし、すでに、臨床応用が実施されたことにより、臨床治験を重ねることで年々課題は克服され、成績の向上は目覚ましい。
たとえば、我々の最新の方法を用いると、膵島分離成功率はほぼ100%となり、一度の膵島移植でインスリン離脱が達成可能で、副作用が多いとされている免疫抑制剤の中のラパマイシンも一切不要となっている。
◆最高のシナリオは、インスリン依存状態糖尿病の根治である
私の所属する研究所でも、ベータ細胞補充療法への応用を目指し、iPS細胞からベータ細胞を作り出す研究を行なっている。
iPS細胞の魅力は、無限に増える増殖能力と自身の細胞から作り出す場合は拒絶反応を起こす可能性が低い点である。最高のシナリオは、インスリン依存状態糖尿病患者の皮膚からiPS細胞を作り出し、そのiPS細胞からベータ細胞を作り、更に増殖させて、患者に移植する治療である。このシナリオが実施されれば、脳死ドナーに頼らずにベータ細胞補充療法が実施できる。
しかし、iPS細胞の研究には、まだいくつかの克服すべき課題があり、簡単にはシナリオ通りにはいかない。効率よく血糖値に反応するベータ細胞を作り出すことができるのか。そして、最
も重要な安全性の問題として、作り出されたベータ細胞が、ベータ細胞のまま止まらず、更に変化し奇形腫や最悪のシナリオとなる癌化する可能性が否定できない。このような課題を克服するために、iPS細胞の研究は大いに推進されるべきである。ただし、これらの研究は、基礎的な研究であり臨床応用には、まだ距離がある。
◆膵島移植の次に来る糖尿病治療法治療―バイオ人工膵島移植―
最近、ニュージーランド政府がバイオ人工膵島移植(異種移植)の臨床治験を承認した。この承認のもと、ブタの膵島を用いたバイオ人工膵島移植が実施された。移植を受けた7名のインスリン依存状態糖尿病患者のうち2名がインスリン注射から離脱したという報告は、この分野を活気付けた。
同種膵島移植が標準治療になったとしても、ドナーの数には限りがある。臓器提供が盛んな米国でさえ、年間7000例ほどしか臓器提供がない。それに比べて、ベータ細胞補充療法が必要なインスリン依存状態糖尿病患者は米国だけで100万人を越えており、提供臓器が全くたりない。ブタの膵島を利用したバイオ人工膵島移植は、臓器提供不足の切り札となることは間違いない。
米国では、ブタの膵島を用いたバイオ人工膵島移植は大きな期待がよせられており、ミネソタ大学では数十億円の巨額の研究費が投資されている。これは、ブタを大量に繁殖することにより供給源の問題が解消され、1型糖尿病はもとより、インスリン分泌が欠損しているタイプの2型の糖尿病にも応用できるからである。米国においても、2型糖尿病患者は2千万人を突破し、その医療費は国の財源を圧迫している。糖尿病の根治的治療の開発はきわめて重要であり、同種膵島移植の有効性が示された今、次世代のバイオ人工膵島移植が切り札になると考えられている。
◆臨床応用はスタートライン
糖尿病はコントロールできるが、根治できない病気とされてきた。ところが、膵臓移植や膵島移植は、実際に1型糖尿病患者をインスリン注射から解放し、根治とまではいえないものの、ほぼ普通の日常生活を送るレベルにできる治療である。
最近、患者さんから写真が送られてきた。その写真には、ご本人と最近購入した真っ赤なスポーツカーが映っていた。膵島移植を受ける以前は、彼女は1型糖尿病の急性合併症のひとつである低血糖発作に悩まされていた。特に、自動車を運転中に低血糖発作により意識がなくなり交通事故を起こし、それ以降運転ができなくなってしまった。テキサスという広大な土地で、車の運転ができないことは日常生活への支障が大きい。移植後2年経過し、彼女は、低血糖はなく、再び運転ができるようになったのである。この状況を彼女に維持してもらうために、研究段階にある膵島移植には、解決すべきいくつかの課題がある。
新しい医療を開始すると、その治療の限界や、合併症、副作用など様々な問題が浮き彫りになる。これらの限界をいかに乗り越えるか、合併症や副作用をいかに最小限にするかが標準治療へ向けてきわめて重要な研究となる。つまり、新しい治療にとって、臨床応用はゴールではなく、標準治療へ向けてのスタートラインなのである。
◆最後に
iPS細胞の発見は、医学の進歩に多大なる貢献が期待される。ただし、現時点では基礎段階であり臨床応用そして標準治療への道のりは、簡単ではないことを認識すべきである。臨床応用への研究は、精力的に行なうべきであるが、安全性の問題は決して軽視してはならない。
相対性理論の応用として原子爆弾が作られたことに、心をいためたアインシュタインが湯川英樹先生に謝罪したことはあまりにも有名な逸話である。新しい医学の発見は、患者さんへ恩恵として届いたときに初めて称賛されるべきなのかもしれない。
参考)
1)ニュージーランドのバイオ人工膵島移植を実施したLiving Cell Technologies社のホームページ http://www.lctglobal.com/
MRIC Global

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