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臨時 vol 259 「今こそ、『自律』した医師会をつくろう。」

医療ガバナンス学会 (2009年9月24日 06:18)


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健保連 大阪中央病院
顧問
平岡 諦
はじめに;
   「富国強兵」をスローガンにした明治新政府も、「敗戦後の復興」をめざした昭和新政府も、官僚組織による統制を必要とした。その果たした役割は大きかったが弊害もめだつようになった。そこへでてきたのが、「脱官僚依存の政治」をスローガンにした民主党主導の平成新政府である。明治以来の方向転換である。
   日本医師会も、時の流れにそってその役割を担ってきたが弊害もめだつようになってきた。おおきな政治の転換点にあたり、医療界もおおきく変ることが求められている。ひとつは敗戦直後に定められた「医師法」、「医療法」を、現在の医療にあわせるための改定である(http://www.ahiraoka.com/ コラム欄(3) 「『医療崩壊』と医師法『応召義務』規定」を参照)。もうひとつが本稿で述べる「自律」した医療界への転換である。
1.世界医師会「マドリッド宣言」の実行を。
   世界医師会は、1947年の第一回総会いらい、医の倫理や社会医学に関連する協議をかさね、必要におうじて宣言として発表してきた。日本医師会も1951年に加盟している。世界医師会が発表してきた宣言の基礎には、ナチス政権下のホロコーストにおける医師の戦争犯罪にたいする反省がある。第一の反省は、患者の人権蹂躪にたいする反省であり、第二は、時の権力に組みしかれたことに対する反省である。第一の反省にたいしては、患者の人権擁護のための宣言(ヘルシンキ宣言など)をおこない、第二の反省にたいしては、医療界がいかなる権力にも屈しないための宣言をおこなった。それが1987年の「professional autonomy and self-regulation」に関するマドリッド宣言である。
マドリッド宣言では、医療界の「autonomy=自律」、すなわちprofessional autonomyの重要さを述べるとともに、「self-regulation=自己規制」を効果的かつ効率的に実行する責任を各国の医師会にもとめている。残念ながら、現在の日本医師会はこの世界医師会の期待に答えていない。自民党だのみ、すなわち「他律」的といえる現在の日本医師会に「自律」を期待することは無理である。ナチスによるホロコーストと同様に、日本においても関東軍731部隊による人体実験がおこなわれ、おおくの日本人医師がこれに加担した過去がある。戦時下の医学犯罪を教訓にして、時の権力に屈することの無いよう、そして世界につうじる「自律」した医師会を、今こそ日本につくるべき時ではなかろうか。
2.自律と自己規制は、表裏一体のものである。
   「自律」を最初に述べたのはカントである。カントの考えかたは次のようになる。神(理想)に近づくためには、第一におのれが従うべき「道徳律」を持つこと。しかし神ではないので、その「道徳律」を踏みあやまることがある。そこで第二に、「絶えざる反省」をすること。踏みあやまらないための「自戒」、踏みあやまった時の「自省」である。その結果が「自律」したことになる。自戒・自省という自己規制なくして、自律はあり得ないのである。踏みあやまったとき、「自律」が無ければ、他が律する(「他律」)ことになる。(カントのこの考えは、フーフェラントの「医の倫理」となり、そのオランダ語訳が幕末日本にもたらされて緒方洪庵の「扶氏医戒之略」となった。緒方洪庵の私塾である適塾に学んだ福沢諭吉らにおおきな影響を与え、明治維新の日本のかじ取り、いわば列強からの日本の自律、において彼らを活躍させ得たといえるのである。しかしながら、官僚統制を必要とした明治新政府、さらに昭和新政府のもとでは、医療界の(医療界だけではなく多方面での)自律は不可能であった。脱官僚政治の平成新政府のもとでこそ、やっと医療界の自律が可能とな
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カントの考えを医師集団にあてはめると、「道徳律」は「医師の職業倫理」となり、「絶えざる反省」は「健全なる医師間の相互評価=peer review」となる。「医師の職業倫理」の中身は患者の人権擁護であり、「健全なる医師間の相互評価=peer review」とは、患者の人権蹂躪(ナチスのホロコーストや関東軍731部隊の人体実験など)、あるいは日常診療での医療ミス=誤った治療(「誤治」)、が起こらないように相互に自戒し、あるいは起こったときは相互に自省をする、すなわち「自己規制」し合うことである。(たとえば「対診」やセカンド・オピニオンは誤治をしないための自戒装置といえる。)
世界医師会の患者の人権をまもる宣言は「道徳律」に相当し、マドリッド宣言が「絶えざる反省」に相当する。マドリッド宣言において「自己規制」の重要性をのべ、各国の医師会にその効率的かつ効果的な実行をもとめているのである。日本医師会はマドリッド宣言に対応していないのであり、日本の医療界は「自律」できていないのである。
3.日本の医療界の現状。
日本の医療界の「自省」の無さの一例をしめす。
「非人道的な人体実験を行ったナチスドイツや旧日本軍731部隊など、医学を修めた者による戦争犯罪の講義やゼミを設けている大学医学部・医科大は、回答を寄せた43校中の2割にとどまることが、医師グループによるアンケート調査で分かった。ドイツでも同じ調査を実施し、回答した医科系大学のほとんどが、医師の戦争犯罪について教えていると回答。日独の医学教育の違いが浮き彫りになった。」これは、2007年8月15日配信の毎日新聞の記事である。「薬害エイズ事件を引き起こした旧ミドリ十字の設立に731部隊員がかかわったように、戦後繰り返された薬害や医療過誤の背景の一因には、医師や医学界が戦争に加担した責任に向き合ってこなかったことがある。負の歴史を踏まえた医学教育を施すことが、医の倫理の確立に欠かせない」という原文夫・大阪府保険医協会事務局参与の言葉を載せている。
つぎに日本の医療界の「他律」の一例をしめす。
日本最初の心臓移植をおこなった和田壽郎札幌医大教授(当時)は、殺人罪および業務上過失致死罪で告発された。札幌地検は「起訴にいたる十分な証拠が無い」として不起訴処分とした。しかし、「心臓移植事件調査特別委員会」をもうけて人権問題として検討してきた日弁連は、不起訴処分後、和田教授にたいする警告をだした。「対診」なくして心臓移植をおこなうべからず、という内容である。「対診」とは「健全なる医師間の相互評価=peer review」であり、日本医師会の「医師の倫理」(昭和26年定)において「必要なる対診は、努めてこれを行うべきである」と記載されている。すなわち、日弁連の警告は、和田心臓移植が倫理違反である事を指
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