医療ガバナンス学会 (2016年1月7日 06:00)
吉野ゆりえ
※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45395
2016年1月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
その日は、朝からタレントの北斗晶さんの乳がん手術が行なわれており、夜には女優の川島なお美さんの死も伝えられるなど、ニュースが「がん」のことで持ちきりでした。
肝内胆管がんであった川島さんが抗がん剤を拒否していたことや、北斗さんが手術後の適切な時期に抗がん剤治療に臨むことを公表していたこともあり(実際には、11月4日に投与開始)、それ以降抗がん剤治療に対する様々な意見が飛び交っています。
私は、がん患者の当事者*1として、「抗がん剤治療を受けるべきかどうか?」という課題に関する意見を述べさせていただきたいと思います。
●抗がん剤治療を拒否してきた2つの理由
私は、がん患者として「10年選手」です。その間に、19度の手術と5度の放射線治療を経験し、そして今回、初めての抗がん剤治療を受けたわけです。普通なら、最初の手術の後に補助的療法として抗がん剤治療を受けるのではないか? と不思議に思われた方もいらっしゃるのではないかと思います。
実は、私も川島さん同様、否、川島さんよりも長い「10年」という期間、抗がん剤を拒否し続けてきたのです。そんな私が、今回抗がん剤投与に至った過程をお話しします。私が10年もの間、抗がん剤治療を拒否し続けてきた理由は、大きく分けて2つあります。
1つは、私の罹患している希少がんである「肉腫(サルコーマ)」は、元々抗がん剤が効きにくいがん種であるということでした。
肉腫の中でも小児が好発年齢であるものには抗がん剤がよく効くものもありますが、私のがんである「後腹膜平滑筋肉腫」には効きにくいのが実情でした。もちろん、奏効率*2が高いがん種の方は、受けてみる価値があると考えます。
*1=筆者は、東京大学大学院経済学研究科の松井彰彦教授の「社会的障害の経済理論・実証研究」(REASE)プロジェクトメンバーとして、がんの長期療養者の当事者研究に携わっている。
*2=治療の実施後にがんが縮小したり消滅したりする患者の割合のこと。
もう1つは、いわゆる「殺細胞性」の抗がん剤*3投与による吐き気や脱毛などの副作用は、それ以降のQOL(生活の質)を下げてしまうと考えたからでした。
もちろん、「生命」が最も大切なのは言うまでもありません。しかし、私は人前に出る仕事をしているため(競技ダンスの指導・審査、司会業、講演活動など)、副作用によって現在の仕事や活動ができなくなってしまうことを危惧したわけです。
「できる限り、これまでと同じ生活がしたい!」というのが、がんと共存しながら生きていく上で、私が最も大切にしてきたことなのです。
これに関連して、QOLに加え、QALY(質調整生存年、Quality Adjusted Life years)*4という概念にも着目しました。この観点からも、私の場合は、抗がん剤の副作用による不利益を重要視しました。
●拒否できなくなった理由
上記の理由から、「殺細胞性の抗がん剤は使用しない、私のがん種に有効な分子標的薬ができた際(当時は存在しなかった)には検討する」ということを、お世話になっているがん専門病院の電子カルテに記入していただきました。
身体中どこにでも転移をしてしまう可能性のある肉腫の特性上、私には主治医をはじめ各部位の外科医や放射線治療医など多数の医師が関わってくださっていますが、このことは医師たちとよく話し合ったうえで、最終的には自分で決断したことでした。しかしながら、そうも言っていられない状況になりました。
おかげさまで、私は今年の2月に「10年生存」を達成することができました。がんの三大治療のうち、抗がん剤治療を除く、手術と放射線治療とで10年間「生命」をつないできたことになります。
しかし、今年の6月の初めに、肺転移をしていた悪性腫瘍が大きくなって気管を塞ぎ、右肺が無気肺(空気が入らない状態になること)になってしまったのです。
肺以外でも、再発・転移の箇所が増え、その速度も速くなっていきました。これまでのように、手術や放射線治療で1つずつ叩くのではなく、「全身治療」の必要性が出てきたのを感じました。
前述のような理由により抗がん剤治療を拒否してきた私でしたが、とうとう首を縦に振らなければならない時期が来たことを痛感しました。
*3=抗がん剤には大きく分けて、「殺細胞性」のものと「分子標的薬」とがある。簡単に言うと、良いも悪いもすべて攻撃してしまうのが殺細胞性で、悪い標的だけ攻撃するのが分子標的薬。それぞれに違った副作用がある。
*4=簡単に言うと、この場合は、抗がん剤治療を受けないで一定期間生きるのと、抗がん剤治療を受けることによって副作用はあるが生存期間が延びるのとを、質×量の面積で表し、どちらが大きいか(どちらが患者にとって利益が大きいか)を比べる。QALY:経済評価を行う際に、評価するプログラムの結果の指標として用いられる。単純に生存期間の延長を論じるのではなく、生活の質(QOL)を表す効用値で重みづけしたもの。QALYを評価指標とすれば、生活の質(質的利益)と生存期間(量的利益)の両方を同時に評価できる。効用値(utility)は完全な健康を1、死亡を0としたうえで種々の健康状態をその間の値として計測される。例えば、抗がん剤治療をうけた場合に、その後の効用値を0.6とし、5年間生存期間が延長すると仮定すると、QALYは0.6×5(年)=3(QALY)となる。
そして今年の6月中旬、とうとう抗がん剤治療を避けることができない状態になりました。そこで、吐き気や脱毛などの副作用のことを鑑み、「分子標的薬であれば挑戦してみようかしら」と、抗がん剤に対して初めて前向きに考え始めました。実は、2012年に私の軟部肉腫に対する初の分子標的薬が日本で認可されていました。しかしながら、お世話になっているがん専門病院が、私の今の状態ではこの分子標的薬はパワー不足であるという理由で、「殺細胞性の抗がん剤治療をする」と、「病院として」の治療方針を決定したのです。そこで、腫瘍内科医から、この抗がん剤に関する詳しい説明を聞きました。
今回の、いわゆる「インフォームドコンセント」*5に対して、心情的にはいろいろとありました*6が、がんに罹患してから抗がん剤を10年間拒否し続けてきた私が、最終的に抗がん剤治療を決意した理由を以下にまとめてみました。
●抗がん剤治療の最善のタイミング
1つは、選択の余地がない状態になったことです。右肺が無気肺になり、ただ歩くだけでも苦しい状態で、治療をしなければ悪化するばかりでした。
最も大切なのは「生命」だと考えられるかどうか?そう考えられれば、もちろん残念ではありますが、脱毛などの副作用は副次的なものであると捉えることができました。
次に、今こそ、抗がん剤治療の最善のタイミングではないか、と考えられたことです。私の「肉腫」に対しては奏効率がかなり低かったのですが、再発・転移の速度が速くなって(細胞分裂が激しくなって)おり、その中では効きやすい状態であると考えられました。そこで、「どんなに低くても、可能性があるのなら挑戦してみよう!」と、自分を鼓舞しました。
もう1つは、支持療法*7が以前と比べて、かなり発達していることでした。
副作用である吐き気の程度については、薬によっても違い、かつ人それぞれで、やってみなければ分かりません。しかし、制吐剤(吐き気止め)で大変良く効く薬が5年ほど前にできたことを知り、制吐剤できっちりと吐き気のコントロールをしてもらうよう、お願いしました。
*5=正しい情報を得た・伝えられたうえでの合意。
*6=この心の揺れは、筆者が連載している『かまくら春秋』(かまくら春秋社刊)の2015年8月号以降に、「初めての抗がん剤治療」というタイトルで詳しく掲載されている。
*7=がんそのものに伴う症状や治療による副作用に対しての予防策、症状を軽減させるための治療。
また、白血球数が下がった際に、その期間を短縮しかつ早期に上げるようにする注射で、1クール*8に1度だけのものが、半年ほど前にできたことを知りました。
なので、感染症予防のために抗生剤を服用することと、この注射を打ってもらうことを、お願いしました。特に私の場合は、右肺の無気肺のため、感染すると、最も大切にしようとした「生命」自体が「近々に」危うくなるかもしれないことを知らされていました。
「もうこれ以上苦しむ必要はないのではないだろうか? 残された時間を楽しく過ごすことは赦されるのではないだろうか?」と苦悩していた私にとって、これは朗報でした。
●優先順位は何かをはっきりさせる
「がん」というのは、たとえ「がん種」が同じであっても、場所や大きさや悪性度などが違い、人それぞれです。同じく、抗がん剤の効き方も副作用の程度も人それぞれです。
なので、最善の治療法も、手術なのか? 放射線治療なのか? 抗がん剤治療なのか? または、その組み合わせなのか? は人によって違ってきます。
それを見極めるためには、一番は、自分の主治医とよく話し合うことだと思います。他の患者さんの「例」はあくまでも「例」であって、全く同じではありません。
また、主治医だけではなく、緩和の医師や病棟医やレジデント(研修医)、がん専門看護師や薬剤師などからも、良いアドバイスをいただけたりします。そうすることによって、今自分にとって最善の治療にたどり着いていければいいと思います。
また、話し合う際に、「自分はどう生きたいのか? 優先順位は何なのか?」ということを、自分自身ではっきりしておくことが必要だと思います。本人がどうしたいのかが分かっていなければ、患者として一番重要な「納得」に到達することができないでしょうし、不要なドクターショッピング*9をしてしまうことになるかもしれません。
価値観も、人それぞれで違います。主治医とよく話し合い、自分の病状やそれに対する治療法などを正しく理解した上で、自分の価値観と照らし合わせて、最終的に自分にとって今「最適な」治療法を選択すれば良いのではないでしょうか?
そして、そうやって自分が納得して選択したことは、結果としてどのようになったとしても、あまねく「すばらしい生き方であった」と尊敬されるべきことなのだと、私は「がん患者」の当事者として、そう考えています。
*8=この場合、「クール」というのは、投与と投与の間の期間をいう。私の場合は、1クールは3週間で、当初5クールを予定していた。
*9=精神的・身体的な問題に対して、医療機関を次々と、あるいは同時に受診すること。 別名「青い鳥症候群」とも。