医療ガバナンス学会 (2016年1月8日 06:00)
2.「匿名」による一方的な「事故調査」
KIFMECに対しては,日本肝移植研究会が症例調査検討委員会を立ち上げて,報告書をKIFMECに一方的に送り付けましたが,この報告書は,なんと作成した委員の名前,日付けすらないもので,日本肝移植研究会からKIFMECに対しては「委員の名前を公表しないように」との強い要請がなされていました。ちなみに作成者や日付のない文書は弁護士の間では,「怪文書」と呼び,特に作成者が不明・匿名の文書は裁判所でも証拠として全く信用性がない書類として扱われます。 なぜなら,作成者が生体肝移植の分野でどの程度の専門性と経験を有するのか,彼ら自身の手術成績はどの程度なのか,中立性を有するのかといった評価も不可能ですし,何よりも自ら反論・批判を受けることのない立場で述べた意見など,「物陰から投げた石」と同じで信用性がありません。
また,日本肝移植研究会による報告書では,レシピエントが亡くなられたケースにつきあろうことか,「救命の可能性が高かった」「救命の可能性があった」などという結論を出しています。生体肝移植の適応になる患者さんは相当重度の疾患を抱えており,生体肝移植自体非常に高度な医療です。にもかかわらず,当該患者さんを診察したわけではなく,わずか数時間の検討会を経たのみで,このような無責任な意見を匿名で述べることは亡くなった患者さんや家族の一人を喪ったご家族に対してもきわめて失礼であり,許されるものではありません。さらには,KIFMECから患者さんの情報についてはプライバシー保護のために公表しないよう日本肝移植研究会に強く要請したにもかかわらず,メディアが患者さんの個人情報を報道し,メディアから日本肝移植研究会の報告書の送付日より前にKIFMECに報告書の内容を踏まえた問い合わせがあるなど,患者個人情報の漏えいが強く疑われる状況もありました。
日本肝移植研究会の報告書は一方的に糾問的な「調査」が行われた経緯も含め,前述のように事故調査・報告としてはレベルが低いものといわざるを得ません。しかし,そのような報告書であっても,読売新聞・神戸新聞を中心としたメディアからは「KIFMECの医療に問題があった」と断じる報道を招き,KIFMECでの医療継続を困難にするものでした。
3.KIFMEC独自の体制評価委員会の立ち上げとさらなるバッシング
KIFMECでは,バッシングのさなか,生体肝移植のためにより安全な体制を整えることを目的として,独自に生体肝移植体制評価委員会を立ち上げ,委員として外部から医療安全,生体肝移植,肝臓内科,外科,周術期管理,医療倫理の専門家と,生体肝移植のレシピエント・ドナーの経験者を招きました。各委員による多くの時間をかけた真摯な議論が行われ,2015年9月15日には体制評価委員会からKIFMECに対して中間報告書をもって安全な生体肝移植体制確保のための提言がなされ,改めてKIFMECでの生体肝移植が再開されました。
もちろん,体制評価委員会の各委員は実名で議論を行い,KIFMEC職員からの聞き取りも重ねています。しかし,一部メディアによるバッシングは継続し,2015年9月30日放送のNHKクローズアップ現代では,KIFMECの医療にいかにも問題があったかのような報道が繰り返されるとともに,「生体臓器移植は行ってはいけない医療」と連呼されるなど,きわめて偏向し,これまで生体臓器移植を受けてきた患者さんやそのご家族,これから受けようとする患者さんやそのご家族を冒涜するような内容でした。
KIFMECではこのようなバッシングが続く中,患者数の低迷が続き,残念ながら前述のように診療体制を縮小して支援者を募ることとなってしまいました。
4.「治療成績」と「治療を選択する権利」
今回の問題の根底には,医療者が「治療成績」を向上させようとすることと,患者さんの「治療を選択する権利」との対立があります。
よく言われるように,「治療成績」を向上させるシンプルな方法は,リスクが高い患者さん,合併症のある患者さんに対してその治療を行わず,確実に成功する患者さんだけを対象とすることです。もちろん,手術を行う場合には術前に一定の成功率が見込まれ,かつ一定の治療成績を残すことが求められます。特に,生体臓器移植ではドナーの負担があるため,非常に低い成功率しか期待できない場合には原則として手術適応とすべきではないでしょう。
しかし,生体肝移植を受ける患者さんは,それが最後の治療となっておられることがほとんどです。他の治療法では,あと数ヶ月以内といった生命予後だが,生体肝移植を受ければ,年単位で生きられる,長期生存ができるという患者さんにとって,「生体肝移植という治療を選択できる」ことは非常に大きな意味があります。特に,胆道閉鎖症で初期治療にも関わらず肝不全になる小児の場合を考えると,本人,ご両親の気持ちはいかばかりかと思います。
リスクのある患者さんは適応外とすることを「標準」とし,日本全国の医療機関が同様の判断をするとどうなるでしょうか。たとえば見込まれる成功率が「80%」を切ると手術はしないとした場合,「60%」の成功率の患者さんは結果的に日本全国の医療機関で手術適応なしと判断され,治療を選択する機会すら与えられないことになります。
「標準」や「治療成績」を踏まえつつも,それにとらわれず「目の前の患者さんを救命したい」という医師の本分に従って,難しい患者さんにもチャレンジする考えの医師を守ることは,患者さんに「治療の選択の機会」を残すことになります。最終的に成功率の高くない治療を選ぶのかどうかは,患者さんご自身が説明を十分聞いてから判断すべきことです。「標準」と「治療成績」を偏重する風潮は,結果的に患者さんの治療を選択する機会と権利を奪いかねないことを考えるべきでしょう。
5.最後に
筆者である私自身医師の資格を持ち,母校の京都大学で臨床実習・臨床研修を受けましたが,医療者の大半を占める「誠実な医療者」を守ろうと医療側の弁護士となりました。田中紘一医師は,昔から,「患者さんとご家族のことだけを考える医師」であり,私は医師として一つの理想の姿だと考えています。このように目の前の患者さんを救いたいという医師の本分に立つ人が,現在のような苦境に立たされていることに強い憤りを覚えます。
KIFMECは前述のように実質的に休院状態となり,支援者を募っている状況ですが,KIFMECの医師たちは,他の医療機関に流れず,田中医師の下での再開のために待機している状況です。意気に感じれば,是非ご支援をお願いいたします。
本件は,事故調査としても大きな教訓を残しました。今後も学会や専門家団体による「事故調査」が行われることが考えられますが,ポイントは,「委員は実名で責任をもって発言しなければならない」こと,「委員は決して患者情報を漏えいしてはならない」ことです。事故調査に名を借りて,心ある医療者を傷つけることのないよう,切に祈ります。