医療ガバナンス学会 (2016年1月11日 06:00)
この原稿は相馬市長立谷秀清メールマガジン 2016/01/02号 No.294からの転載です。
2016年1月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●こども放射線防御・震災復興国際シンポジウム
東日本大震災発生以来の相馬市や近隣の市町村が、住民と一緒になって復興と原発事故対策に取り組んできた様子はこれまでのメルマガで紹介させていただいてきた。また毎年調査を続けてきた、子どもたちを始めとする住民の内部・外部被ばくの実態や空間線量の精緻な調査結果はすべて、相馬市のホームページで発表してきた。それは今回の事故の教訓をわれらの子孫たちに残すばかりでなく、世界中の放射線被ばくと健康の関連を研究する方々に、包み隠さず情報公開しようとしたからである。
特に原発事故直後は、住民の不安心理による必要以上の過剰な反応が見られた。そこには政府や地方行政への不信感が根底にあったように思う。「放射能は正しく怖れ、賢く避ける」ことが原発事故対策の基本中の基本なのだが、地域住民の一人ひとりに「正しく怖れる」ための知識を要求することは不可能である。だから行政がその判断を住民に提示しなければならないのだが、そのための基準は原発事故から5年も経とうとするのに未だに曖昧である。
「子どもの学校での被ばくを年間1mSv以下に抑える」とか、「長期的には追加被ばく線量を年間1mSv以下になるようにする」などの政府のもの言いは、対策を実行しなくてはならない地方自治体にとって難解きわまりない指示だった。学校での被ばく線量だけを論じたところで、学校の滞在時間を含め地域で24時間365日生活する相馬の子どもの年間許容被ばく線量を、どのように決めたらいいのか?また長期的に1ミリと言っても、その長期とは何年を意味するのか?さらに追加被ばくの1mSVを空間線量に換算した場合、毎時0.23μSvという単純計算式の数値が適切だったのか?
原発事故から5年も経って、我われの社会は未だその答えを出していない。そればかりか、もともとの生活環境を追われた人々は帰還の判断に苦しみ、風評被害は漁業・農業・観光産業・食品産業を強く圧迫したままである。
残念なことに、今回の原発事故による避難のあり方や、事故以前の対策の不備についての検証は相変わらずなされていない。日本中あるいは世界中に現に原発が数多く存在し、否が応でも原発との共存を余儀なくされている我われの
社会にとって、チェルノブイリの教訓同様、今回の事故体験を整理・検証する努力は必要である。再稼働した原発近隣の地方自治体に、より現実的な危機管理の準備をさせるためにも、またその住民の方々がこころ安らかに暮らしていくためにも、個人個人の身体的被曝のみならず避難政策の社会的影響も含めて、今回の事故による被害実態を踏まえた提言が求められている。特に我われ相馬地方の市町村が心血を注いで取り組んできた、相馬と日本中の子どもたちの将来のために。
相馬地方市町村会はWHOとの共催でこの課題に取り組むべく、「こども放射線防御・震災復興国際シンポジウム」を本年5月7~8日の二日間、相馬市民会館で開催することにした。WHOの他、IAEAの委員の方、世界的な甲状腺がんの権威の学者による講演をはじめ、相馬地方での子ども全員に対する内部・外部被ばく検査の研究発表や震災前後のがんの発生頻度の比較研究を踏まえたパネルディスカッショなど、有意義なシンポジウムになるよう準備を進めている。
趣旨に御賛同戴いた日本医師会からは特別後援のかたちで、日本中の医師たちに発信してもらう予定である。福島県にも内堀知事のご厚意で、後援団体として開催費の一部を「未来を描く市町村等支援事業」として補助して戴くこと
になった。また読売新聞社をはじめ、地元の福島民報社、福島民友社などのマスコミ関係、震災直後から子どもたちの為にご支援いただいた世界こども財団、国際NGOである難民を助ける会、エル・システマジャパン、ルイ・ヴィトンジャパン、震災直後に薬品の供給がストップする中で滝田社長の厳命により必要な分だけは届け続けてくれた恒和薬品、その他有志の方々のご後援を戴き、震災・原発事故5年の節目として研究発表・ディスカッションの場を設ける予定である。