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Vol.034 喉頭狭窄の治療の可能性と限界 -気道センター立ち上げの経験を通して

医療ガバナンス学会 (2016年2月4日 06:00)


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山本一道

2016年2月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

筆者は縁あって2015年2月より11月までスイスのベルン大学病院胸部外科に日本で言えば助教代理?(stellevertretender Oberarzt)という肩書きで勤務する機会を得た。ここでのミッションは気道狭窄、特に喉頭狭窄を含む喉頭気管疾患の治療センターの立ち上げに参加することで、胸部外科のスタッフとして仕事をしながら耳鼻咽喉科、呼吸器内科、小児呼吸器の医師たちとともに気道狭窄や喉頭疾患の検査や治療を行った。

ここに至るまでの経過は以前この場で書かせていただく機会があり詳細は以下を参照していただければと思うが、

http://medg.jp/mt/?p=1632

http://medg.jp/mt/?p=2178

ローザンヌを去り、ベルンのポストにつくまでに約1年間日本で医療に携わる機会があり、短い期間ではあったが日本で成人および小児の気道狭窄の手術や検査を行う機会を持ち改めて日本におけるこの疾患を持つ人たちがどれほど苦境、さらに言えば絶望に晒されているかということを実感した。この病気の悲劇という意味では年齢の差はないとはいえ、気道狭窄を持って生まれた赤ん坊の両親の不安と絶望を考えるとやるせなくなるとともに、気道狭窄に限らず稀な疾患を持つ人々がこのような状態にあるのはやはり日本社会の一面を表しているとも考えている。

組織としては始まったばかりで症例はまだ多くはないものの順調なスタートと言えると思うが、種々の理由により1年弱で続きは他の同僚たちに任せて任を辞することとなった。わずかな間ではあったがやはり組織の立ち上げには多大な困難を伴うことを再確認した。ここではスイスの大学病院でのmultidisciplinary organizationの立ち上げを通して感じた、喉頭狭窄の治療を取り巻く問題点を提起してみたい。

1)修練の難しさ

1995年に大学を卒業以来、当時のストレート研修の元に京都大学呼吸器外科の関連病院にて研修を行った。当時の指導者の影響で肺がんに対する気管気管支形成に興味を持ちひたすらこの分野での研鑽を行った。卒後7年目にスペインの胸部外科に臨床留学する機会を与えてもらい、ここで成人の喉頭気管狭窄の外科的治療を学んだ。気管支の吻合を安全に行う技術と知識が非常に役立ち、ここで喉頭の特殊性や単純気管吻合にはない喉頭気管吻合のテクニックを徹底的に学ぶことができた。
日本に帰国しこの手術を始めたが小児の狭窄の相談を受けることが度々あり私自身小児の経験がなかったため、スペインの時の指導者の紹介でスイスのローザンヌに臨床留学する機会を得た。ただし研修は耳鼻咽喉科であり呼吸器外科医として独り立ちしていた時期にそれを捨てて気道の手術だけに集中することに迷いもあったがまたとないチャンスだと考え思い切って飛び込むこととした。
ローザンヌでは小児喉頭狭窄に対する手術のみならず喉頭内視鏡治療を中心に胸部外科医としては学ぶことのできない気道狭窄に必要な全てを学ぶことができた。自分としてはようやく気道狭窄という名のつく全ての病態に相対する準備が整ったと感じた。

しかし以上のようなやや例外的な経緯を経て、果たして気道を治療するのに必要な知識や技術は現行の医療体制で持続可能なのだろうかという疑問を抱くようになった。気管の手術は胸部外科の中でも稀で、自信を持って遂行できる外科医は極めて少ない。しかしその単純気管吻合の知識だけでは喉頭気管吻合をはじめとする喉頭狭窄には全く不十分であり、実際にローザンヌでもヨーロッパで著名な気管手術の大家の術後のトラブルをいくつか治療する機会があった。しかし喉頭を担当する耳鼻科医にとっては気管吻合は通常は守備範囲外でありトラブルシューティングや困難症例などの場合は対処が難しいであろう。それに加え喉頭疾患というのは耳鼻咽喉科の中でも一つのサブスペシャリティであり耳鼻咽喉科医であれば誰でも治療できるという訳ではない。このように通常は双方の知識経験を十分に積むことは現状の医療体制では非常に難しいと言わざるを得ない。

こう考えると自分が習得した知識や技術は恒久的なこの分野の発展につながるのだろうかという大きな疑問を持つようになった。ある一時期に優秀な医師の元に多くの患者の治療を行ったもののその医師の引退後は後継者が育っておらず瞬く間に業績が落ちていくというのはよく目にする事であるが、気道の場合そもそも後継者などを作ることができる構造になっておらず偶然その分野に並ならぬ情熱を持った個人がいろんな偶然の元に組織を作り上げることができた場合のみ、一時期その施設は患者を治療することができるという極めて偶然性の高い次元で止まっていると感じた。

2)multidisciplinaryの難しさ

ベルンでは胸部外科に属し胸部外科医としての仕事をしながら患者がいれば気道狭窄の患者を診るという形式になっていた。ほぼ全ての患者は呼吸器内科、耳鼻咽喉科、小児呼吸器科のいずれかから来ていたが、気道外科として独立しているわけではないので必要に応じて筆者が出向いて治療に参加する形と成った。なので毎回違う場所で違うスタッフと違う器具を使って治療を行う形となるなど横をつないでいるのは私一人であり気道カンファレンスというものを月に一回催している以外はそれぞれのメンバーが顔をあわせる機会はほとんど無い。もちろん大学病院特有の縦割りは国に関係なく存在しそれぞれの思惑も大きく異なっていることは容易に想像がつくところであろう。

従って協力して一つの治療体系を作ろうというよりはやはり各自の興味ある分野をやるのに足りないあるいは不安があるという分野だけカバーしてもらえればいいという感じとなり全員が気道をより知りたいということにはならない。科という垣根があるとその垣根を越えてでも知識を得ようという発想になり得ないのはやはりそうしたところで自分の肩書きや仕事上に得になることがないからなのだろうと考えている。またそれぞれのセクションが独自の体系をもっている場合は、他分野のやり方を”とにかく否定”するのが一番簡単な精神的自己防衛であるようで、胸部外科、耳鼻咽喉科の両科で比較的長期に修練を行い双方の手技を行う筆者は双方からそのような扱いを受けることに閉口することが度々ある。境界領域の疾患に関しては多くの場合、協力というよりも関連科のパワーゲームとなりがちで関心があれば症例の取り合いとなり、興味がなければ押し付け合いとなるのが常である。このmultidisciplinaryというのは日本にいる時から実感しているがそれぞれの習慣、プライド、実利などが絡み合う極めて厄介で難しい問題である。

3)組織立ち上げの難しさ

言葉で言うと組織の立ち上げという一言で終わってしまうが、実際には各科で治療に困った気道疾患の評価、治療について報告を受けそれに対して治療方針を提案し、その通りに計画を立てるという臨床面、データ管理や関係各位との定期的な意思疎通といった組織面、及び実際に名のついたセンターとして認可を受けたり連携病院を増やしていくなどのアドミニストレイションに関する面を同時に行う必要があるが、特に最後の項目は筆者のドイツ語レベルでは限界があり、耳鼻咽喉科のカウンターパートの医師の協力を得ながらそれぞれをこなしていた。
これは国、分野を問わない問題であるが、すべての人間は知らず知らず(あるいは意識して)自分がイニシャティブを握ることを望むため、最終的にはリーダーの決断が重要となる。そのためには最後はそのセクションのリーダーシップを取る人間に責任とともに裁量および情報、時間を集中させないと船頭多くして、というパターンに陥りがちである。しかしこれは全体の長と中間管理職との関係でもあり、その難しさは古今東西大きな違いはない。以前から日本でも感じていることであるが、科として多様な人物が活躍しているように見える組織はトップの影はむしろ薄い。これに対し絶対権力を持つトップのいる組織においてはトップ以外の部下の顔が全く見えないことは皆が感じることであろう。
どちらにしてもこのような組織のリーダーには医学的能力は必要最低限の条件であり、それに加えて権限と調整能力は必須であると痛感することとなった。

4)最後に

筆者は国内外で全国あるいは世界中から患者が集まる施設にて働く機会を複数回持つことができた。このいずれの施設も患者が集まる最大の理由はトップの個人的な技術的能力であった。また、私が勤務した施設ではいずれも一人が一代で築いたものであった。その施設にはトップの技術や人柄に惹かれた人間が多く集まりやがて派閥や確執が形成されながらも絶対的なカリスマの元に組織が拡大していくが、トップ亡き後にそれが表面化し組織が弱体化していくというのを繰り返し見ることとなった。

私が学んだ指導者達はその技術もさることながら、純粋に患者が自分の手で治っていくことに喜びを感じている面が大きいと思っている。そしてそれは医療者側の単なる思い込みによる自己満足ではなく、いずれの指導者も引退の直前までがむしゃらに新しいことに挑戦していたように技術に裏打ちされた客観的な事実が蓄積していくことによって自然に評価が上がるようなもので、自己顕示欲や名誉欲、政治力といったものとはまさに対極ものであった。医療に従事するものであれば世間的な立場と実際の乖離するケースは頻回に経験することであろう。

以上のような経験を経て、理想の組織とは上から決定して作るものではないという単純な結論を持つに至った。確かに気道疾患の外科的治療の発展の歴史を見ると、世界中のあらゆる施設でブレイクスルーをもたらしてはまた別の施設が現れ、それぞれの栄枯盛衰の歴史を経て現在に至っていることが明らかである。それは気道疾患のようにルーチンな疾患ではない病気の治療にとってはある意味仕方のないことなのかもしれないと思うに至った。

とりあえず理想を掲げて箱物や組織を作ることから始めることも時には必要であるかもしれないが、地道にヒトを育てずして抽象的な結論や目標だけ先に決定してもそれでは考えているようなものはできないということであろう。近年の日本における偽装や捏造の問題も結局はこういう態度から来ているのだろうと感じている。15年に及ぶ喉頭狭窄の治療への経験を経て、今の日本でどのように治療のための組織を作ることができるのかという結論を得ることはできなかったが、それはある程度社会の状態を反映するものであろうと考えている。

略歴)1995年京都大学医学部卒。前ベルン大学付属病院胸部外科助教。

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