医療ガバナンス学会 (2016年3月9日 15:00)
このプログラムは現在、多様な分野における最先端の思考プロセスに触れ、自分の思考能力の飛躍的向上を目的としています。世間では「受講料600万円の教養プログラム」と誤解している向きがありますが、分野を超えて多様で実際的な、最先端の思考能力を身に着けることが目的です。全体として注力しているのは、サイエンス・リテラシー、ダイナミック・システム・リテラシー、理系、文系思考の融合の三つです。「教養」は目的ではなく、このような思考能力の訓練を経た6か月後の自然な結果でしかありません。
医療分野を例にとってみますと、新たな医療・介護技術の発展の背景には遺伝子を中心にした生命科学、そして診断等に関わるビッグデータやAIに関わる情報科学、治療等のデバイスを作る物質科学の新たな展開があるわけです。このような状況に後れを取らないためには伝統的な医療の領域を超えた知識と思考が必要になってきています。
また、これまでのような、経験的な性格の技術を科学が後から認知するという時代が終わり、20世紀の半ば以降、「科学から技術へ」の時代になってきています。すなわち、科学の理論が出来上がってからそれを技術で具体的に展開するという順序になったということです。その典型はアインシュタインのE=mc²から原子力技術の展開になったことです。医療分野においても同様のことが起こっています。その意味合いは、健康維持や病気の予防、そして、栄養の摂取などにこれまでのような素人の経験則による「常識」が成り立ちにくくなってきたということです。
また、これまでの交配を続ける品種改良とは違う、遺伝子組み換え作物が果たして問題なのか、あるいは具体的にどういう問題なのかも経験則が効かず、判断もできなくなっています。一方で、バイオ医薬と言われているものも、例えば、遺伝子組み換えをした大腸菌が作り出す生理活性物質は問題ないのかということも素人は判断できません。素人だけでなく、多くの医療関係者も同様ではないかと思います。このような状況が新たにサイエンス・リテラシーを身に着ける重要さの一側面です。
我々の体はダイナミック・システムであると定義できます。言い換えると過去が現在に影響するシステムということです。生活習慣病とはそういうシステムとしての現象です。当然、我々の集合である社会や経済もダイナミック・システムです。そして、地球の気候もダイナミック・システムです。我々はダイナミック・システムに取り囲まれて生活をしているわけです。そのようなシステムをうまく捉え、理解することが最近とみに重要になってきています。医療分野においても疾病の予防や健康維持、環境による影響、社会の医療行為に対する判断などは事象の動態的理解、すなわち、ダイナミック・システムのリテラシーが必要になっているのです。
また、科学の発達は哲学的、社会学的、そして、倫理学的な問題をあらためて考えさせるようになってきています。地球の気候変化が典型ですが、医療における遺伝子治療やES細胞の扱い方もその例です。また、宇宙物理学の最近のテーマである暗黒物質や暗黒エネルギーは宇宙の始まりと、銀河、星の創世メカニズム、そして、我々の存在の意味をあらためて考えないといけない時代です。「私は理系で文系のことはわかりません」とか、その逆の言い訳ができない時代になっています。
このような視点から分野横断的に講座を組み立てている教育プログラムは、実は世界を見渡しても未だ存在していません。特に社会人相手のプログラムは全くないのが実態です。東大EMPはビジネス・スクールでは通常扱わないテーマと最先端の知識だけでなく思考プロセスを扱う、世界でもユニークな「唯一無二」のプログラムなのです。
講師陣の大半は東大教授や准教授です。約3000人の教官から130人程度選んでいます。そういう意味では贅沢といえば贅沢なプログラムであるといってもいいと思います。多分、マスコミなどで有名な先生はあまりいないと思います。それぞれの分野では大変有名でも、ほとんどは一般的には知られていない学者です。そういう教授に直接触れる、すなわち、講義を聞き、議論をすることは極めてまれな機会であるといえます。
例えば、ノーベル賞受賞者の梶田教授の講義が2月末にあります。(ついでですが、その後の講義は私の『「社会システム」としての原発システム・デザイン』です。)梶田先生にはこれまでも時々、講義をしていただいていましたが、その頃は世間的には無名でした。その他、数人、世間では知られていないが、ノーベル賞候補者とみんなに目されている教授が講義をしています。
東大教授はひとくくりにして理解することはできないほど多様なテーマを追求している、多彩な学者の集団です。例えば、菅裕明教授は最近では知られているかと思いますが、彼はがんの免疫薬の創薬の新しいアプローチを開発し、ペプチドリームというベンチャーを立ち上げ、株の評価が1000倍になったそうです。このような、学者でありながら、社会貢献的な意味での企業家精神旺盛な教授もおられます。
有名な教授の講義がまったくないわけでもありません。例えば、宇宙物理学の村山斉教授は現在の最先端の課題に対してどのようにアプローチしようとしているかなどの評判の高い講義をしておられます。彼は東大数物連携宇宙研究機構(IPMU)の機構長ですが、その所員の半分以上が最先端の研究をしている外国人学者です。ちなみに、彼らとの交流とディスカッションもEMPプログラムの一部です。
その他、ファイト・プラズマの発見者であり、東大農学部に日本初の植物病院を作って運営している難波成任教授や、ES細胞の分化をコントロールするアクチビンという、世界の学者が60年間追求していて見つからなかった物質を発見し、ノーベル賞対象になっているともいわれている浅島誠教授、また、AIMという新しい蛋白質の発見を通じて、病気治療の伝統的な発想とアプローチを大きく変えようとしている宮崎徹教授など、世界での最先端の追求をしている沢山の教授がEMP積極的に参加しています。
哲学に関しても、東洋思想、日本思想、そして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの宗教思想などの講義をするだけでなく、それらの教授の間での議論、また、科学分野の教授との分野横断的な討論を通じて、我々が現在直面している多面的な理解を目指しています。一例として、英語圏、フランス語圏でも講義をしている東洋哲学の中島隆博教授は日本独特の思想としての、多国語に訳せない「共生(Kyousei)」の思想を受講生と一緒に議論し追求しています。
どの先生も自分の研究を進める発想法がとても魅惑的で、「目から鱗」の経験もたくさんあり、「結構すごい人が東大教授にいるねー」というのが受講生の印象のようです。彼らもEMPに来るまでこのような学問的活動を全然知らなかったわけです。EMPに来なければ一生知らないまま過ごしたのでしょう。
いずれにしても、講義のクオリティは圧倒的に高いというのが参加者の評判です。それは、品質保証をするため、緊張感を講師、受講生、スタッフが持ち続け、常に細かい改良を続けることを基本としているプログラムの組み立てが効いているのだろうと思います。EMPのユニークなアプローチとして、2008年秋の開講から今まで、私を含めて3人の先生が金曜日と土曜日をつぶしてすべての講義を聞き、先生方に不断の改善をしてもらうとともに、プログラム自体の改良と次の展開の発想を常に考えています。
それに加えて、修了生がボランティアで教授を担当し、当日は講義進行と議論の盛り上げをやっているのですが、その前にどういうレベルと内容の講義がいいかを先生と何度か相談をし、時間をかけて講義を組み立て、結果をもとに毎回改善していることも受講生の満足度を高めているようです。
かといって、市民講座レベルに内容を易しくしているということはありません。本にもまだなっていない最先端の思考方法をしゃべってもらうのが目的です。「分らないが分る、分るが分らない」のすれすれのレベルですから、内容は結構むつかしいと思います。
ばらばらに提供される160コマの講義すべてが3か月くらいすると、えも言われぬ形で自分の頭の中で段々とつながってくるようデザインされていて、それが快感につながり、満足感の高いプログラムなるわけです。そのつながり方は自分のこれまでの思考パターンと融合するため、みんなが画一的な思考にならないということも実はとても重要なことです。これは経験してみないとわかりません。
ついでですが、どこの誰が受講しているということは積極的には公表していません。
先生が「ここだけの話」として、先端状況での工夫、研究体制の実態と率直な批判、自分の思いと野心、逡巡などを率直にしゃべってもらうようにしていますが、そのためには講義中に聞いたことを軽々しく外に漏らさないという良識を持った受講生で構成しているという安心感が必要だからです。
修了生はすでに350人を超えましたが、最初、想定した以上に極めて親密なグループに育っています。同窓会は東大コミュニティの一部であるEMP倶楽部として活動し、「ポストEMP」と名付けた勉強会を自分たちが講師になったり、先生を囲んだりしながら、月に数回もの頻度で集まっています。私も横山塾と称して「社会システム・デザイン」の実地訓練をしていますが、残念ながら、なかなか育ちません。デザイン・マインドを皮膚感覚までにする訓練は時間がかかります。
この修了生ネットワークは実際の仕事に役立っているようです。そのネットワークには当然ですが、多くの教授も参加し、例えば、修了生のベンチャーの立ち上げにも協力しています。教授と修了生との間の年齢差も世代差もあまりないこともお互いの交流の基盤になっているようです。先生方の反応も、講義中での受講生とのやり取りはたいへん刺激になり、役に立つということです。
長期的には、東大の中に、歴史的に教育・学習の原点である「教師と受講生、修了生の共同体」が出来上がることを目指しています。そのような動きを支えるような受講生が多様な分野から参加してくれるよう常に努力を重ねています。
このプログラムが「唯一無二」であることを理解していただいて、医療関係者もぜひ参加していただくよう望んでいます。
http://expres.umin.jp/mric/yokoyamamric.pdf