医療ガバナンス学会 (2016年3月28日 06:00)
ところが今年2月24日のNHKクローズアップ現代「広がる“混合診療”患者は救われるのか」を見て、筆者は初めて患者申出療養制度の実体を知り、その本質が既存の制度と何も変わっていないことがわかり、愕然とした。制度のスタート1か月前でも厚労省のホームページで患者申出療養の情報は、中医協で発表した2015年11月までのものしかない。
制度の枠組みでは、患者が申し出た保険外治療は、日本で前例がない場合、国が設置した専門家会議で、原則6週間以内に患者申出療養として認めるか否かの結論を出すことになっているが、番組によると、審査の判断基準はその治療に一定の有効性や安全性などが確認でき、かつ保険収載を前提に臨床研究が行えるものに限定されるというのである。
これは、現在の保険外併用療養費制度で評価療養とされる先進医療を認定する判断基準とほとんど同じである。ただ先進医療が、医師の提案によって国の定めた医療機関できわめて厳格な条件に合致した患者を対象に臨床研究を行う点が違うのみである。入口は二つになったが、出口は一つで、狭き門であることに変わりはない。政府の決定では、患者申出療養は、患者の立場で混合診療を大幅に拡大するものだったはずである。
患者申出療養の判断基準が先進医療のものと同じになるのは当然で、妥当だと考える人も多いと思う。しかし、患者申出療養の本質は、難治患者の治療である。評価療養が治療より研究に重点が置かれているのに対し、治療を最優先とする医療なのである。そうなるはずの患者申出療養が厚労省官僚によって骨抜きにされ、内閣も通過した。
臨床研究重点の判断基準と治療最優先の判断基準が、患者にとってどれだけ大きな違いか。番組では、先進医療への樹状細胞ワクチン療法の臨床研究が紹介されていた。現在は大腸、すい臓、乳がんなど5種類のがん患者を対象に行っているが、国から有効性をさらに明確にするためにより厳しい基準で臨床研究を行うよう求められたため、今後はすい臓がんのみを対象に他のがん患者は対象から外すことになるらしい。医師は保険収載のためにはやむを得ないがジレンマを感じるという。この例が示すように、医師本位の先進医療では、難治患者は救われないのである。
治療を最優先とする本来の患者申出療養では、このワクチン療法はすべてのがん患者が対象になるであろう。また筆者の乏しい知識で挙げても、先進国承認の薬剤などは個人輸入されているようなものも含めて付帯情報に注意しながらもほとんど認められるだろう。現在日本に設置されている重粒子線などの放射線療法も、ある程度科学性のある免疫療法も対象になるだろう。
患者申出療養といっても、患者が無知盲目的に申し出るのではない。自らも探求し、主治医とも十分に協議して、経済的にも考慮し、納得して申し出るのである。さらに判断基準である有効性は、難治患者にとって科学者や医師とは異なる意味を持っている。臨床研究の結果、たとえば薬剤は20%前後を境に有効性が決められるらしいが、患者は自分が10%のうちに入るかもしれないと考える。安全性についても治験に臨むのと同じである。治験でさえ患者は試験や研究のために参加しているのではない。治りたい、助かりたいのである。
番組で明らかにされた患者申出療養制度は、保険治療の尽きた難治の患者の期待を裏切り、希望を挫くものである。治療の選択肢は広がらず、患者たちは、旧態依然の惨状に留め置かれることになる。患者申出療養が難産の末誕生した時点で、混合診療の不毛な神学論争には終止符が打たれたはずである。
命が金次第になる、医療平等が壊れる、有効性・安全性のない医療が跋扈する、不当な医療費を請求される、患者がモルモットになる、先進医療の保険収載が遠のく、国民皆保険が崩壊する等々―患者申出療養の当初の制度設計ではそれらに配慮して、実施する医療機関を限定し、承認の審査機能を確立したのである。
それにもかかわらず内閣の作った新しい器に盛られた中身は、神学論争に戻った時代の、患者の治療向上に寄与しない、カビの生えたものだった。しかも国の専門家会議での審査はたった10人程度で行われるという。厚労省は制度が患者の思いに応えるものと胸を張るが欺瞞であり、恥知らずである。内閣も官僚に制度設計を任せるとどうなるかを知り尽くしているのに、みすみす骨抜きを見逃したわけで、国民本位の規制改革はポーズだったといわざるを得ない。
(2016/02/26)