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臨時 vol 286 「公的医療受給権の否定――控訴審判決」

医療ガバナンス学会 (2009年10月12日 06:12)


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                 転移がん患者・混合診療裁判原告
                 清郷 伸人
1. 判決の要旨
 判決文は49ページにわたっているが、裁判所の判断は13ページほどである。そ
の判断部分について略述する。判決は、まず平成18年9月以前の旧健康保険法
(以下健保法)における特定療養費制度についての解釈を述べ、次に現行健保法
における保険外併用療養費制度についての解釈を述べ、最後に混合診療において
保険を給付しない国の解釈およびその解釈の基礎となる健保法に対する憲法判断
を述べている。
 特定療養費制度についての裁判所の解釈は、次のようなものである。?特定療
養は保険医療機関ではない特定承認保険医療機関で行われるものだから、「療養
の給付」は行われない。?特定療養費は、全額自費であるたとえば厚労大臣の認
めた先進医療に併用する基礎的診療部分(保険診療、すなわち療養の給付に該当
するもの)に支給される。?厚労大臣の認めた先進医療について特定療養費を支
給すると規定してあれば、たとえそれ以外の先進医療には支給しないという明文
の規定がなくとも、特定療養費は支給されないと解すべき。以上により混合診療
は原則として禁止されていると解するのが相当である。
 保険外併用療養費制度についての解釈は、次の通りである。?厚労大臣の認め
た先進医療は評価療養とされ、定められた保険医療機関でのみ保険診療と併用で
きる。?保険外併用療養費は、特定療養費と同じく基礎的診療部分に支給される。
?厚労大臣の認めた先進医療について保険外併用療養費を支給すると規定してい
るから、それ以外の先進医療には支給されないと解すべきである。
 憲法判断については、次のように述べている。憲法14条(平等権)違反に関し
て─保険の給付については、財源面や医療の安全性、有効性からその範囲を限定
することは合理性があるから、違反とはいえない。憲法25条(生存権)違反に関
して─健保法は患者の費用軽減を図る法である。医療の安全性、有効性の確保の
ために軽減の範囲を限定することは合理性があるから違反とはいえない。憲法29
条(財産権)違反に関して─保険受給権は法によって付与された権利である。法
の定めた範囲で認められるものであり、権利を奪ったものではないから財産権を
侵害しておらず、違反ではない。
2. 判決の感想
 私は法律の専門家ではないから、判決の緻密な評釈はできない。だから当事者
としての感想を述べる。
 私はこの裁判で、混合診療において健康保険受給権が奪われることの法的根拠
と違憲判断を求めたのであり、事件名は「健康保険受給権確認請求事件」となっ
ている。
 一審は、国の提出した書面や証拠を読み、法令を精査して保険受給権を奪う法
的根拠はどこにも見当たらないと判断した。国の主張した保険診療と保険外診療
の不可分一体論や特定療養費制度の反対解釈論を退けた。不可分一体論に対して
は法令を誤って解釈しているとし、反対解釈論に対しては明文規定不在を補うほ
どの力はないとした。その判断の根拠を慮れば、健康保険の受給権を奪うような
権力行為には、明確な法的規定が必要であり、あるべき法の姿からは現行の法令
はほど遠く、改善の余地があるということではないか。
 これに対して二審は、保険受給権を奪えるのかという問題に対し、現行の混合
診療論から入っていった。そして、その法令を解釈するに際し、国の提出した書
面や証拠を採用し、国の主張を全面的に認め、現行の混合診療を禁止している法
制度にはもともと保険受給権は付与されていないという結論を導いた。その内容
は、国が混合診療を禁止する理由としている不可分一体論については触れずに
(一審を反駁せずに)、国がもう一つの理由としている反対解釈論を法的根拠と
して採用しているものである。すなわち保険外併用療養費の法令に費用を軽減す
る医療の範囲を列挙してあるから、それ以外は軽減する対象とならないことを読
み取れというのである。健保法上で反対解釈が可能なのか、その当否を論ずべき
なのに、それにはまったく触れていない。これが公的医療を受けるという最も基
本的な国民の権利を奪うに足る法律といえるのであろうか。一審判決は法令をく
まなく精査して、判断の根拠を詳しく述べて、権利を奪うには不十分な法律であ
ることを明らかにしているのである。これを覆すのだから、一審判決に一言も触
れないのは不自然で、片手落ちといわざるを得ず、一審判決の問題から逃げたと
いうそしりを免れない。
 判決は私には次のような姿に見えている。国民の社会保障を定めた法律の中に
明文の規定がないことを利用して、行政が条文を強引に解釈して国民の重要な権
利を制限、剥奪しているとする。苦しめられた国民がついに声を挙げ、国を訴え
た。しかし、立法、行政を監視すべき司法は、行政の法解釈が正しく合理的かと
いう本質的な検討をせず、既成事実化された法解釈に見直す余地はなく、現実に
即すべきという理由で、国民はそれに黙って従えというのである。それなら裁判
所など要らない。実際、控訴審では、法令の自然な解釈より法令は行政が執行し
ている現実に即して解釈すべきだといわれたのである。
 また二審は憲法判断において、国の解釈や健保法に違憲性は一切ないと述べて
いるが、その理由は財源や医療の安全性、有効性の確保というものである。そう
いう合理的な政策目的、政策理由があれば、公的医療の受給権が否定されること
も違憲でないというならば、合理的な目的や理由があったとされるらい予防法も
国籍法も違憲ではないはずである。法制度の目的や理由だけで合憲を判断しては
ならない。裁判所が判断すべきものは、法制度の目的や理由とその法制度がもた
らしている人間や社会の現実が憲法で容認できる範囲か否かである。私の裁判に
おいては、自由に治療を選べずに死を待つ患者の惨状である。健保法がそのよう
な違憲状態に国民を追い込んでいるなら、立法に瑕疵があるのである。司法は、<
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国民の権利が法律によって規定されているか、法律や行政行為が憲法に叶ってい
るかを判断するところである。問題があると判断されたならば、その解決は立法
や行政が負うべきである。一審判決は、保険受給権剥奪には法的問題があると判
断した。それを解決する混合診療問題は、政治に委ねられたのである。
 また判決では、保険給付に範囲を限定することは合理性があり、違憲ではない
としているが、医療をいったん保険収載と規定したからには、いかにも合理性の
ありそうな理由をつけて、さらに恣意的に限定することは、国民皆保険の原則か
らも許されない。
 一審で否定され、二審で触れていない不可分一体論は、混合診療が禁止されて
いるという国の解釈の根本的な理由となっているものである。国の解釈によれば、
厚労大臣に認められていない先進医療はなぜ保険診療と併用できないかというと、
そういう先進医療は保険診療に悪影響を及ぼすから、その併用医療は不可分一体
のものとして、全部に保険は給付されなくなるのである。したがって、この不可
分一体論が否定されたままで、保険外併用療養費制度の法的根拠正当性や合憲性
を措定することはできない。保険外併用療養とは、保険診療と安全で有効な保険
外診療との併用の療養を指す。それらが一体として安全で有効だから療養費を支
給するというのが健保法の趣旨である。不可分一体でないなら、保険外併用療養
費制度など設けなくても、個別の保険診療と個別の保険外診療(その中には安全
で有効なものも多い)があって、個別に費用を支払えばよいのである。また混合
診療を禁止する解釈の合憲性について、国は次のように主張している。禁止は立
法の裁量範囲内で、訳の分からぬ保険外診療は併用による一体化から排除して保
険診療の安全性、有効性を担保するという合理的理由があるから憲法に違反しな
い。
 以上のように、二審判決が不可分一体論を一審で否定されたままにしておいて、
混合診療禁止の法的根拠を認めたことは、皮相であり、偏頗である。不可分一体
論は、特定療養費制度の創設以来、この制度の拠って立つ基礎である。厚生官僚
が受け継いできたこの制度の根幹をなす考え方である。したがって、不可分一体
論が否定されたままでは、保険外併用療養費制度は、条文はともかく実質は崩壊
するのである。反対解釈論は、保険外併用療養費制度が混合診療の例外的措置と
いう解釈に基づくものだから、基盤である保険外併用療養費制度が崩れればその
反対解釈も成り立たない。
3. 公的医療受給権とは何か
 ちょっと判決とは離れて、公的医療の受給権という社会保障の根本をなす法制
度について考えてみる。混合診療を行うことで被保険者の保険診療への保険受給
権を奪うことは、保険診療という公的医療を奪うことに等しい。(控訴審判決で
は、奪うのではなく、付与が限定されるとしているが、保険受給権は強制徴収さ
れた保険料の対価として得た強い権利であるから、国が奪っているのである)国
民の社会保障の根幹ともいえる権利を一撃で問答無用に奪うことの正当性は、ど
こから出てくるのだろう。
 保険受給権を奪うことで混合診療を禁止する理由として、国や医療関係者や学
者や患者団体が挙げるものを列挙する。医療受療の平等性、国民皆保険制度が壊
れる、安全性・有効性の疑問な医療がはびこる、患者が不当な医療費を支払わさ
れる、保険財政を圧迫する、医療の保険収載が滞る、他にもあるが、こんなとこ
ろか。それらはほとんど杞憂であるか、対策の講じられるものか、誤解である。
もしくは多少は発現するリスクである。
 しかし、その程度の理由で、公的医療の受給権を奪っていいのだろうか。混合
診療を解禁すると、難病・重病患者が世界の科学的先進医療を選び、受けられる、
保険診療まで全額自費になる現状より合理的に、安価に受けられる、先進医療の
臨床データが蓄積、公開でき、より質の高い医療へと進化する。こういうベネフィッ
トの方がはるかに大きいと考えられないだろうか。現状でも隠れて、露見しない
よう工夫して混合診療は行われている。それは危険だし、医療も進化しない。だ
が、何よりも重要なのは、解禁することによって国民が等しく公的医療を受けら
れる、その程度の理由で奪われなくなるということである。
 「その程度の理由」を説明する。医療受療の平等性とは保険診療だけしか受け
られない状態のことか。では高額な自由診療はなぜ存在するか。それは誰でも受
けられる。保険医療機関で自由診療をやることが問題なのか。皮膚科、外科、産
科、歯科では混合診療は普通に行われているし、公認された混合診療である選定
療養は差額ベッドをはじめ厚労省自身が進んで悪用していると見られているリハ
ビリの日数、回数制限など拡大する一方である。それなのに患者が命を懸けた治
療を行うときだけ言いがかりをつける。国民皆保険制度も皆が保険診療だけを受
けることを指すなら、もはや夢物語である。心配すべきは自由診療を受けにくく
することより、国民が等しく受けるべき保険診療さえも受けられない無保険者や
貧者が激増していることではないか。
 患者が不当な医療費を払わされるというが、公定価格ではない自由診療では事
前の説明で価格も提示するのがサービス業の基本である。自由診療は結構高額だ
からイヤなら受けなければよい。混合診療を解禁すると自由診療が受けやすくな
るというのは俗説である。要は、治療を受けている病院から自由診療の情報も知
らされずに倒れるのか、知らされて自分が受けるか否かを選んで倒れるのか、ど
ちらがいいかの問題である。命の沙汰も金次第になるというけれど、保険診療が
等しく保障された上で、人々は少しでも良い治療を受けようと日ごろから預金や
保険などで準備するのである。そのどこが問題なのか。最低保障に全員があわせ
て、少しでもハミ出てはならないのなら、それこそ全体主義ではない
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