医療ガバナンス学会 (2016年4月22日 06:00)
産婦人科医としての研修を積みつつスポーツ医学を併行して学ぶ中、私のイメージしていたスポーツ医学はとても偏っていたと、すぐに気づきます。「一流アスリートの故障を治す」ことはもちろん大切ですが、それよりも、スポーツに関わる全ての人を対象に、故障を起こさせない「予防医学」が重要視されていたのです。医学界の中でも「治療」から「予防」にいち早くシフトしていた分野でした。
その視点を日々の産婦人科診療に持ち帰ってみると、特に婦人科では早期発見・早期治療が可能な疾患が多いにも関わらず、予防の取り組みが立ち遅れていることが気になりました。早期発見のための検診受診を推進しても、多くの女性たちが「産婦人科の敷居が高い」と感じており、検診の受診率もなかなか上がらず、症状があってもギリギリまで我慢してなかなか受診されない。ようやく受診されたときには病状が進行しており、治療に難渋し、時には妊孕性や生命も脅かす状態になっている。そして医師側も、重症の患者さんやいつ急変するかわからない妊婦さんへの対応で手いっぱいな上、訴訟の問題も大きく報じられたことからも産婦人科医自体が減少し、マンパワー不足でなかなか予防に手が回らないという現実があります。
そしてこの20年は、妊娠・出産と女性疾患の診断・治療を行ってきた「産婦人科」が、女性の心身の健康を生涯にわたってサポートする「女性医学」へシフトする大きな変革期にも当たりました。大学5年生だった1994年、エジプト・カイロで国際人口開発会議が開催され、人口に関する問題を経済、社会、政治、環境だけでなく、女性の健康も含めて総合的に議論され、リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)およびリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)という考え方が初めて提唱されました。それを受け、我が国では1996(平成8)年、戦後から続いてきた「優生保護法」(1948(昭和23)年制定)から「優性思想」が排除されて「母体保護法」になり施行されました。人工妊娠中絶の権利は、母体の安全を損なう場合や、経済的理由、暴行等による妊娠など事由が限定され、配偶者の同意が必ず必要など問題点は多々あるものの認められています。しかし、肝心な避妊法はコンドームなど男性に依存する方法が主流で、女性が自分の意思で避妊法を選択したければ子宮内避妊リングを入れるか、副作用が強い中用量ピルの処方を受けるなど、若い未婚の女性には特に非常にハードルが高いものでした。
そして1999年。ようやく避妊薬としての低用量ピルが国内でも解禁されます。低用量ピルは、卵巣から分泌される女性ホルモン(エストロゲン・プロゲスチン)を内服することにより排卵を抑えることによる確実な避妊効果はもちろんのこと、子宮内膜を薄く保ち、月経痛を軽減し経血量を減少させる「副効用」があります。中学時代からひどい月経痛に悩み続け29歳になっていた私も早速試してみましたが、その劇的な効果に感動したことは今でも忘れられません。そして2008年には低用量ピルの「副効用」が認められ、同成分の薬剤(エストロゲン・プロゲスチン配合薬(LEP製剤))が月経困難症の治療薬として保険収載されました。
初経の若年化、出産数の減少、初産の高年化に伴い、現代女性が一生に経験する月経の数は非常に多く、明治生まれの多産女性に比べると5~10倍に上り、このことは子宮内膜症の増加につながっていることが知られ、現代女性の10人に一人がこの疾患を有するとされています。子宮内膜症は強い月経痛を引き起こし、QOLを低下させるばかりか、妊孕性の低下の原因になること、卵巣に子宮内膜症が起こると卵巣癌のリスクを上昇させることが知られています。また若いうちから月経痛が強かった人は、月経痛がなかった人に比べ2.6倍子宮内膜症になりやすいというデータもあり、月経痛を我慢せず低用量ピルやLEP製剤を早期から適切に使うことで、子宮内膜症の発症リスクを抑えることも大いに期待されています。
このように、避妊の心配や月経痛に悩む女性たちの福音であるはずの低用量ピル。発売から16年が過ぎましたが、本邦での普及率はLEP製剤を含んでも3%程度にとどまります。ドイツ、オランダ、フランスなどでは40~50%、アメリカでも20%程度の女性たちがピルの恩恵に授かっているのに、です。
日本で低用量ピルが解禁されたのは1999年と書きました。海外でピルの開発が始まったのは1960年代、そして安全性を高めるための改良が進み、私が生まれた1970年には低用量ピルが既に存在していたといいます。なんと30年遅れ!「ドラッグ・ラグ」にも程があります。なぜそれほど遅れたのかを調べるとさらに愕然とします。「ピルを解禁すると日本女性の性が乱れる」「性感染症が蔓延する」と危惧されたというのです。実際には、ピルを飲んでいる女性ほど、定期的に婦人科に通院する習慣につながり、様々な婦人科疾患にいち早く対処できている印象があるのですが。
私が月経痛に悩んでいた学生の頃、ピルという選択肢があることすら知らされず、ただ鎮痛剤を飲んで痛みを抑えるしか方法がありませんでした。もし10代の頃から飲むことができていたら、毎月あれほど苦しんだ月経痛から解放されたばかりか、子宮内膜症や子宮腺筋症にもならずに済んだのかもしれない、と思った時の無念さは言葉になりません。「せめて次の世代にはこんな思いをさせたくない」という思いがその後の私の行動を変えたのは間違いありません。「生まれた国と時代が悪かった」と、そう言って次の世代にあきらめさせることはしたくないのです。
さて、日本において低用量ピルがこのようになかなか普及しないのは何故なのでしょう?理由はいろいろあると思うのですが、女性たちが、自分の体、とくに性に関する正しい知識を得る機会がないこと、そして性に関する自己決定権を持つことに慣れていないことが大きいのではないかと私は考えています。
そこで、当院では、女性たちが十分な知識を持ったうえで選択できるよう、日々の外来では月経の仕組みからピルの成分と作用機序、作用と副作用について十分に説明し、患者さんに選択してもらうことを心掛けています。最初は「ピルなんてなんとなく怖い」と言っていた患者さんも、理屈がわかると「じゃあ試してみようかな」に変わり、試してみるとその良さを実感し、継続するようになります。他院で「とりあえず飲んでみて」と十分な説明を受けず処方され、飲んでみたら吐き気がひどくてやめてしまった、でも月経痛が強いから診てほしい、と言って来院される方も結構多いのですが、十分に説明してから飲み始めると「今度は大丈夫でした」と継続できる方がほとんどです。もともと誤解や偏見が根強い薬であることに加え、知識不足からくる不安や医師に対する不信感が身体症状を増幅させるのだろうな、と実感しています。
このように、自分の体について知り、考え、判断し、治療を選択するなど行動を起こすためには、正しい知識を得ることが必須です。しかし、残念ながら今の教育制度では社会に出るまでに体(特に性)に関する正しい知識を得る場は限られており、さらに日々の医学の進歩をキャッチアップする機会もないのが普通です。そこで当院では苦肉の策で十分な時間を取った完全予約制で説明、診療を行っているのですが、当然受け入れられる数に限度があり、すべての医療機関でこの取り組みを行えば、産婦人科医療が崩壊するのは目に見えています。またどれだけ時間をかけて説明しても診療報酬には反映されないので、経営上は非常に苦しいのが現実です。なにかよい方策はないものでしょうか?
さて、この20年間に産婦人科分野で大きな進歩を遂げ、予防と治療に大きな変化が起こった疾患がもう一つあります。それが子宮頸がんです。この原稿を書くに当たって、学生の時に使っていた国家試験対策に使っていた参考書を引っ張り出してみました。子宮頸がんの疫学として「ウイルス(HPV;human papilloma virus)感染も関与」とぼんやり書かれていました。多産、性行動が活発な女性に多く、修道女や男性器に割礼をする習慣がある地域での発生が少ないことなどから、ウイルス感染の関与が強く疑われる、と。授業でトピックスとして取り上げられていた「HPV16,18型」は赤字で手書きされていました。
子宮頸がんとHPVの関与を発見したのが2008年にノーベル医学生理学賞を受賞したドイツのハラルド・ツア・ハウゼン博士。1970年代からHPVに関する研究を続け、1983年に子宮頸がん患者からHPVのDNAを検出、翌年には子宮頸がんの原因となる16、18型の分離に成功します。この後、研究が進み、今では150型ほどあるHPVのうち、16,18型をはじめとする15種ほどが子宮頸がんの原因になることが判明しており、子宮頸がんとHPVの関与は疑う余地がありません。
「原因がわかれば対策が取れる。子宮頸がんに苦しむ患者さんをゼロにできるかもしれない」。産婦人科医の多くが大きな期待を抱く中で開発されたのがHPVワクチンです。まずは子宮頸がんの患者さんの6~7割から検出されるvery high risk群の16,18型の感染を予防する2つのワクチンが2006年に海外で承認され、日本では2009年、2011年に承認されました。しかし3回接種が必要で費用が5万円前後と非常に高価なであり、接種を受けられる人が限られることを危惧されました。そこで2013年度からは小学6年から高校1年生に公費負担による「定期接種」が始まり、経済的な問題で接種をあきらめなければならない人が無くなることを私たちは大変喜びました。
当院でも100人近くの方が接種を希望して来院され、上記のピルと同様、子宮頸がんとHPVの関係、ワクチンの作用・副反応について十分説明し、接種するかどうか、自分で(中高生の場合は同伴されたお母様と一緒に)考えて決めてもらいました。「まだしばらくセックスすることはないと思うので、公費負担が受けられるギリギリの高校1年でまた来ます」という方も何人かいらっしゃいました。接種を選択された方では、接種部位の痛みなど想定されていた副反応がみられた方は何人かいらっしゃいましたが、比較的すぐに回復され、現時点では報道されているような副反応に苦しむ方はいらっしゃいません。
2013年6月に、厚生労働省から「積極的な接種勧奨の差し控え」の通達が出てからもうすぐ3年が経過します。現在、公費でも自己負担でも接種を受けることは可能とはいえ、このような現状では接種を希望されるかたはほとんどいないのが現状で、当院でもそれ以降の接種希望者はゼロです。しかし、その間にも性交を経験してHPVに感染し、将来的な子宮頸がんのリスクにさらされる人は増えていると思われます。10年、20年後に、「あの時に接種していれば」と思う患者さんを一人でも少なくしたいのです。
国が「積極的な接種勧奨の差し控え」しているなかでは、HPVワクチン接種を「考慮する」ことすらも非常にハードルが高いものです。まずは「差し控え」を早期に見直し、HPVワクチン接種を「選択肢」として検討できる状態に戻してほしいと思います。メリットとデメリットを天秤にかけ、打つか打たないかを検討し、決めるのは本人というのが正常な形です。
また、「差し控え」の間に接種できずに年齢が対象外になった人に対する「救済措置」は必ず行っていただきたいものです。さらに、日本でHPVワクチンの動きが止まっている間に、9価ワクチンができ、海外では承認されて使用できるようになっています。これは16,18型に加え、高リスク群のうち31、33、45、52、58の5型、そしてコンジローマの原因である6、11型を加えた9つの型のHPV感染を予防するもので、予防効果がさらに上がることが期待されています。この承認も急いでいただきたいものです。
そして、「積極的な接種勧奨」が再開されたとき、我々医療職は、これまで以上に丁寧に子宮頸がんとHPVの関係、ワクチンの効果と副反応、接種してもしなくても子宮頸がん検診が必要であることなど説明しなければなりません。
せっかく使える薬があるのです。「知っていて使わない」のと「知らなくて使えない」のは大きな違いです。
このワクチンが、若い女性の「婦人科デビュー」を促し、「自分で知り、自分で考え、自分で決めて行動する」女性を育むこと、そして将来は、医療職が詳しい説明をしなくても、「体について性についての知識を普通に持っている」世の中になるきっかけになることを、私は期待しています。