医療ガバナンス学会 (2016年4月27日 06:00)
いかに「間違い」に気づき修正し「正解」に早く辿り着くか、が「名医」の名医たる所以です。かつて東京帝国大学第三内科を率いた冲中重雄教授は、1963年の最終講義で自身の誤診率(14.2%)を発表しました。これに対する一般の見方は「高い」、医療者の見方は「低い」というものでした。実態を知る者と「世論」の間には必ず乖離があります。医療の「不確実性」「複雑性」を理解すればするほど、無謬であり続けることはできないと気づくはずなのです。
一方で「原発」や「航空管制」で自ら働いて得た「安全知識」を医療に持ち込む「専門家」が日本にはいます。私は福島第一原発事故前に「医学部教授」になっていた彼と対話した時、「常に同じ核燃料を相手に日々同じことが行われるシステムと、何者が来るか同じことが一日もないシステムを同列に論じることはできない」と指摘しましたが、頭の固い彼に十分響いたとは思えず、原発事故後も残念ながら彼の真摯な懺悔を聞いたことがありません。
司法の世界においては、何故か日本の警察・検察・裁判所は、結果として誤捜査・誤起訴・誤判決になっても「被害者」に謝ってきませんでした。「足利事件」や「袴田事件」において、数十年の時と苦闘を経て「被害者」の無実が晴らされても、当初関わった者たちは一人も「被害者」に会って(公的でなく個人的にすら)謝っていません。
福島県立大野病院事件で逮捕・起訴され無罪となった医師は、患者の墓前で遺族の求めに応じて土下座し、逃走する気もなかった彼を診療現場に踏み込んで「逮捕」した警察署長は福島県警本部長賞(!)を受け(無罪判決後も賞は取り消されず)、それでも彼はこう語りました。
「私を信頼して受診してくださっていたのに、亡くなってしまう悪い結果になって本当に申し訳なく思っております。亡くなられてから一日中、初めて受診した日からお見送りした日までの色々な場面が頭に浮かんで離れませんでした。ご家族の方に分かっていただきたいとは思っておりますが、なかなか受け入れていただくのは難しいのかなと考えております。こういう風にすれば良かったのかなとか、いい方法はなかったかなと思いますが、あの状況で他のそれ以上の良い方法が思い浮かばないでいます。亡くなってしまった現場に私がいて、その事実に対して責任があると思われるのも当然だと思います。できる限りのことは一生懸命しました。亡くなってしまったという結果はもう変えようのない結果ですし、私も非常に重い事実として受け止めております。申し訳ありませんでした。最後になりましたが、Aさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。」
私たち医療者は患者に悪い結果が起こるのを望むわけがありません。「悪い結果」は本人が辛いのと同様、私達にも辛いものです。
私は日米の小児病院で10年弱働きましたが、今も脳裏を過るのは「心臓手術中、あの1歳児の心室細動をあと1秒早く見つけて除細動すれば助かったのかもしれない」「ICUにいたあの乳児が深夜に気道トラブルを起こしたとき、自分が院内にいれば助けられたかもしれない」等という非現実的な思いと共に、実質的に「心停止」だった子を体の温かいまま親に会わせるためだけにペースメーカーを植え込んで退室した光景、ICUで蘇生できなかった乳児が冷たい剖検室で横たわる姿、そして遺族に頭を下げながら霊柩車を見送った病院の裏口です。
人間が不死でなく、医学が完全でない以上、このような葛藤は続きますが、一つ一つのケースを振り返り「今の時代において、少しでも改善できることはないのか」考え、積み重ねてきた歴史的途中経過が「医療(安全)の真髄」だと思います。
法律を盾と矛にして相見え、結果として勝利した方が「正義」となる「勝てば官軍」思考の警察・検察・司法関係者には決して分からない「倫理」です。私は彼らが個人的にでも過ちを認め、謝らない限り、医療を裁く資格はないと思っています。その意味で「最高裁がハンセン病患者に謝るかもしれない」というニュースは今後の日本に微かな希望を抱かせる光明だと思います。
「HPVワクチン集団訴訟」は医師と弁護士、どちらが真に「患者」のことを考えて生きているのかを示す場になるかもしれません。ガリレオが宗教裁判に屈せず「それでも地球は回る」と語った歴史の上に「科学」は立脚しています。そして医学は「科学」と「人道(古くは”ヒポクラテスの誓い”、現代的には”ニュルンベルク綱領”や”世界医師会ヘルシンキ宣言”などに表れている)」を道標に進んできたし、これからもそうであり続けると私は信じます。
【参考】
・「医療の中の安全」村上陽一郎
http://www.medsafe.net/specialist/2murakami.html
・ハンセン病の隔離法廷、最高裁が誤り認め謝罪へ
2016年3月31日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160330-OYT1T50181.html