医療ガバナンス学会 (2016年5月25日 06:00)
~ただでさえ貧血になりやすいスポーツ選手の実態を知っているのか?~
山本 佳奈
2016年5月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
今回取り上げられたのは、陸上選手にとって重要な問題の1つである「貧血」だった。貧血であるアスリートは多い。貧血は、正真正銘の病気だ。
今回のセミナーでは、貧血に対する基礎的な知識や貧血の対処法から予防法や改善法に至るまで、様々な議論がなされたが、日本陸連がアスリートの貧血に対して警鐘を鳴らしていることは大切な指摘である。
だが今回、注意すべき点として「鉄の過剰摂取」が取り上げられた。安易な鉄の静脈内投与は体内の鉄過剰状態を引き起こして非常に危険なので、経口鉄剤を試すことなく体調が悪いという訴えだけで鉄剤を絶対に注射してはならない、という。
簡単に言えば、鉄が足りないのが「貧血」で、鉄の過剰な蓄積が「鉄過剰症」だ。
人間は鉄の排出機能を持たないため、鉄の過剰摂取や繰り返しの輸血、ヘモクロマトーシスといった遺伝性疾患によって鉄の過剰な蓄積が生じると、臓器障害を引き起こす。
とはいえ、臨床現場において、鉄過剰症はほとんど見られない。普通に生活しているだけでは、鉄の過剰にはならない。まして、貧血になりやすいアスリートの鉄の過剰は、そう簡単に起きるものではない。
そもそも、鉄剤注射は、貧血改善のための治療法の1つにすぎない。どうしても鉄剤の注射をする以外に方法がない場合もある。
鉄剤注射は、決してドーピングではない。にもかかわらず、「危険だから鉄剤は注射するな」というのは、貧血に対する誤解を生じさせないだろうか?
◆アスリートが貧血になりやすい理由
スポーツ選手は貧血になりやすい。これは、古くから指摘されている。例えば、昭和61(1986)年に行われたアジア競技大会の日本代表選手の、女子の22.5%、男子の7.5%が貧血だった。
平成8(1996)年の国民体育大会に出場した社会人選手の多くも貧血で、その比率は、女子23.8%、男子7.3%だったという。貧血は、スポーツ選手における内科的疾患として最たる疾患と言っても過言ではない。
だが、スポーツ選手の多くは、貧血にもかかわらず、自身の不調を「コンディション調整がうまくいっていないからだ」と判断している。貧血になりやすいことを知らないからだろう。では、どうしてスポーツ選手は貧血になりやすいのだろう?
1つ目に、筋肉量が多さが挙げられる。
筋肉は多くの酸素を消費する。その酸素を運ぶヘモグロビンの主成分は鉄である。そのため、筋肉量が多いスポーツ選手はより多くの鉄が必要となり、結果として貧血に陥りやすくなる。
2つ目に、激しい運動に伴う急激な発汗がある。
汗には、あらゆる種類のミネラルが含まれている。鉄もそのうちの一つだ。普段は、汗をかいても再吸収の機構が働く。だが、急激に激しい運動をすると、その再吸収機構が追いつかなくなり、鉄が喪失されてしまうのだ。
3つ目は、運動によって足の裏に衝撃が加わり、赤血球が壊れてしまう点だ。
脊髄で作られる赤血球の数よりも、壊れる数の方が多くなることによって、貧血は引き起こされる。
特に、剣道、サッカー、バスケットボール、バレーボール、マラソンや長距離走などのスポーツでは、貧血が起こりやすい。この貧血を、「運動性溶血性貧血」とも言われる。
4つ目に、全身を循環する血液量を増やそうとした結果、ヘモグロビンが薄まってしまう点が挙げられる。
運動すると、体は全身にくまなく血液を送ろうとする。すると、血漿とよばれる血液の液体成分が増える。その一方で、ヘモグロビン量は増加しない。そのため、見かけ上ヘモグロビンの濃度は低くなり、貧血となる。これを、「希釈性貧血」と呼ぶ。
◆男性より深刻な女性の貧血
そのほか、激しい運動によって、胃や腸と言った消化管から微小な出血を引き起こしてしまうことによる貧血の報告もある。
このように、スポーツ選手は、貧血に陥りやすい条件が揃っている。もちろん、選手だけではない。日常生活に運動を取り入れている人にも同様なことは起こり得る。
だが、女性のスポーツ選手は、男性のスポーツ選手に比べて事態は深刻だ。女性は、月経による血液の喪失があるため、一般的に女性は貧血になりやすい。それにスポーツが加われば、鉄の必要量は増え、重度の貧血に陥りやすくなる。
また、成長期のスポーツ選手も貧血になりやすい。骨格の形成や筋肉量の増加といった成長において、鉄が必要とされるからだ。
では、どうしてスポーツ選手の貧血が、問題視されるのだろうか?
それは、スポーツ選手の成績に大きく関わるためである。エネルギー源として体内に蓄えられている糖や脂肪を燃焼させ、エネルギーを生み出すには、酸素を必要とする。その酸素を全身に運搬しているのが、ヘモグロビンであり、鉄はヘモグロビンの中に存在している。
つまり、鉄の不足はヘモグロビン濃度の低下を引き起こす。すると、酸素を全身に運搬できなくなり、スポーツ選手の持久力やスタミナは落ちてしまう。スポーツ選手に悪影響を及ぼすのは、言うまでもない。
日本陸連による貧血に対する警鐘は、スポーツにおける貧血に対する認識を高める上でとても有意義だと思う。だが、鉄の過剰問題についての言及には疑問を感じ得ない。アスリートの貧血は深刻だ。往々にして貧血に陥りやすく、そう簡単に過剰にはなりにくいからだ。
一般に、1日約10mgの鉄を摂取する必要がある。体内から毎日約1mgの鉄が汗や尿・便から失われる一方で、摂取した鉄は10%ほどしか吸収されないためだ。
◆レバーの焼き鳥6串分が必要
だが、アスリートは、一般人の必要量の2倍、つまり約20mgは必要だとされている。それが多いのか少ないのか、焼き鳥店で出てくる串に刺さった鳥レバーを例に取ると分かりやすい。
鳥レバー100gには9.0mgの鉄が含まれる。2cm角に切られた鳥レバーが4個串に刺さっている場合、総量は約60g程度。つまり、わずか5.4mgの鉄しか含まれていないため、4本の鳥レバーを毎日摂取しないといけないことになる。だが、必要な栄養素は鉄だけではない。ゆえに、これだけの鉄を毎日摂取するのは至難の技だろう。
さらに、貧血と診断された場合、貧血の程度により差はあるものの、体内の鉄の蓄えが十分になるには半年から1年かかると言われている。その意味でも鉄の過剰は問題になりにくい。
貧血改善の治療として、鉄剤の内服薬投与と静脈注射がある。鉄剤の内服薬の1つがフェロミア錠(一般名:クエン酸第一鉄ナトリウム)だ。
フェロミア錠の添付文書に書かれた副作用等発症状況の概要によると、総症例5939例中487例(8.20%)の副作用が報告されており、悪心・嘔吐は5%以上と最も多い。
一方の静脈注射は、重度の貧血の際に使用される。主な副作用は頭痛(1.89%)、悪心(1.10%)、発熱(1.10%)と、内服薬に比べると副作用は少ない。
そのため、嘔気や下痢・便秘といった内服薬による副作用がひどい場合や、緊急に鉄の補充をしないといけない場合に、静脈注射が選択される。つまり、注射剤の使用はケースバイケースなのだ。
確かに、鉄剤の静脈注射は鉄の過剰が問題となる。内服薬と違い、すべての鉄が体内に吸収されてしまうからだ。
そこで、臨床の現場では、治療全体に必要な鉄の総量を計算し、鉄剤を内服する。総投与量に達すると、注射を終了し鉄剤の内服に切り替え、鉄の貯蔵量が十分になるまで内服を続ける。
◆注射を悪者扱いすべきでない
こうした治療の流れは、医者が個人の状況に合わせ、決定していく。副作用の出現には個人差が大きいからだ。
ここで私が声を大にして言いたいのは、決して鉄剤の注射が悪いということではない、ということだ。
貧血は病気であり、鉄剤注射はドーピングではない。スポーツ選手に限らず、やはり鉄剤の内服による副作用である吐き気がひどく、内服できない人は多い。そんな人に鉄剤の注射は危険だから、内服しろというのは酷でしかない。
貧血が競技成績に直接影響を及ぼすスポーツ選手にとっては、深刻な問題となることは容易に想像できる。
日本の貧血問題は深刻だ(詳しくは、拙著『貧血大国・日本』を参照いただきたい)。
スポーツ選手に限らず、日頃運動をする人、女性、妊婦、そして多くの日本人にとっても貧血は大きな問題となっている。鉄の過剰を危惧する前に、まず貧血について正しく知り、貧血改善に取り組むことの重要性を理解すべきなのではないだろうか。