医療ガバナンス学会 (2016年6月8日 06:00)
平成28年4月14日のマグニチュード6.5の前震に引き続き4月16日にマグニチュード7.3の本震が熊本地方を襲った。いずれも震源が浅い直下型の地震で、この2回の揺れで建物の損壊や停電、断水が発生した。透析医療においては水と電気は必須である。この地震の影響で熊本地方でも透析の実施困難施設が多く発生した。4月16日夜の段階で熊本県内の人工透析94施設中21施設で、何らかの理由により人工透析ができないと報告があった。厚労省は同日、全国の都道府県に対し、被災地からの透析患者の受け入れを依頼した。
「熊本、大分42万世帯が断水=21施設人工透析できず-厚労省」
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016041600355&g=soc
これを受けて、福島県いわき市にある当院でも透析患者の受け入れをすぐさまMRICにて表明した。
「東日本大震災の大規模透析患者移送の経験を通して、熊本地震へのメッセージ」
http://medg.jp/mt/?p=6661
しかしながら熊本から遠く離れた福島に、透析を行うためにわざわざ患者が移動してくることはまずありえない。ときわ会では、東日本大震災時に多方面より多くのご支援を受け、透析を実施することができた。
「東日本大震災透析患者移送体験記」
http://medg.jp/mt/?p=1605
このご恩をお返しするまたとない機会と考え、現地での透析を支援したいと考えた。
東日本大震災の際、いわき市において市内全域において断水が発生し、また原発事故のため物流が遮断され、透析実施が困難になった。その中で、われわれのときわ会グループのいわき泌尿器科は、幸いにも断水が数日で改善したため、いわき市内で透析が実施できた数少ない医療施設であった。そのためいわき市内のみならず原発事故から非難してきた透析患者が大挙し、いわき泌尿器科を訪れた。原発事故の恐怖から非難するスタッフも多く、数少ない残ったスタッフで透析を休みなく行った。
この経験より、熊本市内でも断水のため透析実施不能の施設より、透析実施可能で他院より透析患者を受け入れている医療施設が人出不足で大変な思いをしていると予想した。また、公的病院はJMATやDMATなど様々な支援を受けられる環境にあり、いわき泌尿器科でも同様であったが、個人が運営する医療機関は支援が入りづらいであろう予想した。
そこで現地の透析実施状況を確認する目的で、透析医会災害時情報ネットワークのホームページ内にある熊本の災害掲示板を確認した。いくつかある透析施設の中で、上村内科クリニックではライフラインが生きており問題なく透析ができるため、他院の透析患者を受け入れる旨が記載されていた。上村内科クリニックをホームページで確認したところ、約40年前に開業され、熊本県内では最古の透析施設の一つであり、創設者の上村前院長と現院長とお二人で診療されているようであった。この情報を4月18日に得て、直接同クリニックの院長に透析の実施状況を確認した。やはり、自院のスタッフも被災している中、他院からの透析患者を引き受けてんやわんやの状況であることが確認できた。当院からの透析スタッフの派遣を打診したところ、是非とのことで4月19日に医師1名、看護師2名、臨床工学技士2名を派遣することとなった。
4月19日は熊本空港が運用されておらず、鹿児島空港からレンタカーを借り陸路で熊本市内に入った。鹿児島空港から高速道で熊本に向かったが、八代インターより北は通行止めのため一般道で移動した。福岡空港ではなく鹿児島空港から入ったのは、福岡からのほうが熊本までの距離は短かったが、交通量が多いことを予想し渋滞がひどいのではと判断したからである。しかし鹿児島方面からの国道3号もかなりの渋滞で、いわき市を朝3時に出発し、上村内科クリニックに到着したのは14時であった。
上村内科クリニックでは、偶然であるが5月2日開院を予定し耐震性の高い新ビルを、これまで使用していたクリニックに隣接し建設していた。今回の地震発生により旧クリニックは損壊し使用不能になり、本震発生後に急きょ新クリニックに引越しした。新クリニックは院長のたっての希望で、耐震性の高い建物にしたそうである。そのため今回の熊本地震でもびくともせず、本震後も透析を継続できた。同クリニックは、58床の透析ベッドと19床の入院ベッドを有する。自院の透析患者は93名に対し、地震発生以後、3施設93名の透析患者を引き受けた。
クリニックは被災せずとも、同クリニックの多くのスタッフの自宅が被災されていた。10名が自宅の損壊などで非難し、うち6名は実家や一時避難所、車中泊で生活され、また4名はクリニックでしばらく生活されていた。われわれが到着した時の院長をはじめとした主要スタッフは、髭もそれないほどの疲弊ぶりで、われわれの支援を心待ちにされていた。まず、院長、看護師長、臨床工学技士長にわれわれの東日本大震災での経験をお話しする時間をいただいた。その中で、1)震災の復興は長期戦になるため、休みを適度にとらなければ体力を消耗してしまい診療の継続が難しくなること、2)いろいろなメディアを使って情報発信が肝要で、特に個人クリニックは支援の手が入りづらいこと、3)自分たちだけで頑張らず、我々のような支援をどんどん受けて難局を乗り越えたほうがよいことなどをお伝えした。
常磐病院より、4月19日より5月14日まで、約1週間での交代を行いながら計15名(医師1名、看護師7名、臨床工学技士7名)の派遣を行った。これにより、スタッフ総出で透析を行っていた同クリニックであったが、我々のスタッフが入ることによって、休みの調整を行うことができるようになった。われわれの透析業務のお手伝いによって、もちろん人手不足の解消にお役にたてたと思うが、上村内科クリニックより精神面でサポートしていただけたのが大変助かったとのお言葉をいただいた。以下、同クリニックの事務長のお言葉である。
「手伝いに来てくれたとき本当にうれしかった。戦力が増えたことに対してもだが、何より職場内の空気を変えてくれました。というのも、震災後スタッフは家のことも心配な上に働き通しで疲労もピークに達しており、やらなければという使命感だけで働いていました。そのため、職場内はピリピリしており、雰囲気がとても悪かった。この空気を変えようと頑張っていたがなかなかうまくいかなかったのですが、福島という縁もゆかりもない遠いところから助けに来てくれたことが、私たちを勇気づけてくれました。そのおかげで職場の雰囲気も良くなりました。本当にありがとうございました。」
われわれは東日本大震災の際に、多くの貴重な経験をさせていただいたし、また全世界から支援いただいた。ときわ会グループの職員は、常に何らかの形でこの経験を生かし、多くの人たちにご恩をお返しできればと考えている。今回の熊本地震では、透析医療といった非常に限られた分野ではあったが、我々の経験を最大限生かし支援ができたと自負している。今後、地震をはじめとしてさまざまな自然災害の発生が予想されている。今後もときわ会グループとして、少しでも皆様のお役にたてるように備えていきたいと考えている。
参考
熊本地震 人工透析、福島の病院が支援 看護師ら派遣 毎日新聞2016年4月22日
http://mainichi.jp/articles/20160422/k00/00e/040/208000c