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Vol.140 現場を知らない医療改革、新専門医制度の陥穽 ~中央集権的な進め方ではなく、多様な資格制度を~

医療ガバナンス学会 (2016年6月17日 06:00)


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この原稿はJB PRESS http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46807 からの転載です。

森田 麻里子

2016年6月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

2017年4月から新専門医制度の導入が検討されている。しかし、早くも延期が視野に入れられるなど問題が多い。

確かに、専門医という資格は医師の能力を客観的に示す指標として便利だ。医学博士号や論文数など、研究面では指標があるものの、臨床においては他に有用な指標がないからだ。

臨床能力のレベルにはいくつかの段階がある。国家試験では基本的な医学知識が問われる。初期研修医の間には、頻度の高い疾患や緊急性の高い疾患について初期対応を自分でできるのが目標と言えるだろう。

その次は標準的な治療を自分でできる段階、標準を超えた高い技術・最先端の治療やその患者に合わせた治療を実践できる段階などが考えられる。さらにそれぞれに対して、どの領域に関してそれが可能かという広がりがある。

では、標準的な治療ができるのが専門医と言えるだろうか。その場合、何を「自分で」実践できなければならないのか?

●合併症の治療ができず命の危機に

日頃お世話になっている知り合いに、がん治療中の方がいる。治療の合併症で心不全を罹患したが、治療を行っていたがん専門病院では十分な診断も治療もされず、適切な医療機関に紹介もされなかった。結局、他の知り合いの医師のつてで他院に入院して治療を受け、今は回復されている。

このような事例が、特に内科においてジェネラルなマインドを全員にという風潮につながっているのは、理解はできるが、解決方法としては間違っている。

というのも、どれくらいの範囲を自分でカバーできるかは、医師の能力だけでなく環境に依存するからだ。

例えばその施設で普段から心不全の合併症をたくさん治療していれば可能だっただろうし、そうでなければ難しい。一方で、合併症ではなくがん治療に専念しているからこそ、最先端の治療がそこで受けられるという面があるかもしれない。

社会はかなりの速度で変化している。毎年新しい薬や治療法が開発され、それまでの医学常識が覆される。私が初期研修医だった3年前の知識でさえアップデートする必要に迫られ始めている。

また、医療技術は職人技であり、毎日やっていれば難なくできることも、頻度が落ちればすぐにレベルが低下する。

さらに、患者は一人ひとり全く違う性質を持っており、同じように治療してもうまくいく患者と、そうでない患者がいる。うまくいかなかった場合にどう次の手を打つかというところに、経験が生かされる。

つまり、知識があって、指導を受けながらやったことがあるというだけでは標準的な治療すらできない。診断や治療は普段から当たり前のようにやっていて、初めて可能になるからこそ、専門医が必要なのだ。限られた領域であれば知識のアップデートや技術の維持・向上も可能になる。

専門医としてどの領域をどのくらいの深さでカバーするかは、患者のニーズ、それぞれの医師の興味の範囲や能力、働く環境によって決まってくる。多様性に富むものだ。

例えば一口に内科と言っても、地域の病院で内科を診ている医師ならば、血液内科の稀な疾患の知識よりも整形外科の知識の方が必要かもしれない。診療科の垣根でさえ簡単に区切れるものではないのである。

●自分の限界を知る

一方で専門医として本当に重要なのは、どこまで自分でできるかを正確に把握し、自分で対応できない場合には他の医師の助けを借りることができるかということだ。その患者さんが標準的な治療を受けられるような対応が大切であって、自分でできるかどうかは大きな問題ではない。

新制度ではペーパーテストに加えて、勤務する施設、経験年数の条件を課して専門医を認定することになる。しかし、これはきちんとした指標にならない一方で、日本の医療に悪影響を及ぼす危険性がある。

まず打撃が大きいのは地域医療だ。

大病院でないと専門医養成プログラムの認定を受けられず、地方ではほぼ大学病院に限られる。若手医師は地方病院に直接就職することはできず、大病院からの派遣になる。大学病院からのお客様としてローテーションしてくる医師に、地元に就職した医師と同じことは期待できないだろう。

さらに大変なのは内科だ。

全員にジェネラルな研修を求めることで、自分が進みたい領域の知識技術を身につけたり、経験を積んだりするのが遅くなる。幅広い疾患を診るということはそれ自体が専門性であり、普段からやっていなければ失われていく能力だ。

将来限られた分野のみで活躍する医師にとっては、そのような研修はあまり効果がないばかりでなく、若いうちに集中的なトレーニングを受ける機会を逸することで、専門医療のレベルが低下する。

また、専門医資格の有無で勤務条件が変わる場合が多いため、専門医取得が遅れるのは問題だ。特に出産育児を考える20~30代の女性には、1年のキャリアの遅れでさえ大きな影響を受ける。

さらに複数の病院を短期間で異動しながらの研修は、家庭を持つ女性にとって厳しいものだ。今や医師国家試験合格者の3割以上が女性である。彼女たちが専門分野を選ぶ際に、この制度のために内科を断念することもあるだろう。

標準的な治療を実践できる専門医というお題目は立派だが、少し具体的に考えれば、幻想に過ぎないことが分かる。曖昧で実現不可能な目標を全員に強制しても、何も良くならないばかりか、かえって日本の医療崩壊を加速する可能性がある。

そもそも問題の根本は中央集権的な制度の形式にある。確かにお金を払えば取れるような専門医資格が乱立するのは問題だが、かといって中央ですべて管理しようとすると、どうしても地方や女性といった立場の視点が欠けてしまう。

●切磋琢磨を生む資格制度を

横並び主義の資格では各自の能力を磨くような競争とか切磋琢磨といった概念がなくなり、努力が必要なくなる一方で手続きばかりが煩雑になる。

そこで私が提案したい専門医資格は、2段階だ。

まず最低限のラインとしての専門医資格は、ペーパーテストで合否判定する。ただし、現制度には大きな問題がある。何年目以上の医師しか受けられないという受験資格の制限があるため、多くの場合「まだ受験できないから専門医のための勉強をしても仕方ない」という状況が生まれるのだ。

一方で、周術期経食道心エコーの試験などいつでも受験できる資格も存在する。合格率は6割程度とやや厳しい資格だが、研修医から専門医以降の医師まで、毎年多くの受験者がいる。初学者にとっては最低限の知識を持っていることを示し、経験をさらに積ませてもらうための指標として活用されている。

その上で、高い技術や特殊な治療方法など一握りの医師の能力を評価する指標としては、消化器外科学会の高度技能医のような資格が参考になる。

学会などの団体が実力勝負の目標を設け、それを必要だと思う医師が、最も自分に合ったやり方で各々の能力を磨いていくというのはどうだろうか。有用な資格であれば皆が受験するだろうし、不必要な資格ならば取得する医師がおらず淘汰される。

各々の団体が相互に競争しバランスを取りながら多様な医師を養成していくのが、本当のプロフェッショナルオートノミー(専門職としての自律)だ。

医師の中でも議論が紛糾しているのに、以前から決まっていたということを理由に2017年4月の開始を強行することで、社会からの信頼を得る専門医制度を構築できるとはとても思えない。

何のために新しい専門医制度を作るのかというところから、もう一度議論すべきではないだろうか。

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