去る10月21日、77歳の乳がん術後の母親が、自身が介護していた53歳の白血病
の娘を殺害するという痛ましい事件が東京で起こりました。「二人の治療費が月
何十万もかかるようになり、将来を悲観した。娘を殺し自分も死ぬ」と母親は供
述しています。私たちもがん患者の経済的問題に取り組んでいますが、がん治療
費の問題が親子心中を引き起こすことまでは想像できていませんでした。捜査中
の事件であり現段階ではこれ以上の詳しい情報はありませんが、今後の捜査によ
り、がん患者が抱える経済的な問題がいっそう浮き彫りになることでしょう。
がん治療費の問題は、こうして殺人まで引き起こすほど、がん患者にとって時
間の余裕がない緊迫した問題なのです。解決までの時間をこれ以上延ばすことは
できません。
よく効く、なおかつ副作用も軽微、など、多くのメリットを新しい抗がん剤は
提供しています。しかし一方で、薬代は高額、のみならず治療期間が長期にわた
ることは、患者の経済状況を圧迫し続け、多くの負担を強いています。国民の2
人に1人ががんにかかるとも言われる今日、「親子ともがん患者」「夫婦ともが
ん患者」というケースは、決して珍しくありません。がん患者の経済負担につい
て、がん患者だけではなく国民が共有し、どのような方法で軽減を図るのか。国
民一人一人が考えるべき時が来ているのです。
皆さんに問題を共有していただくきっかけとして、私たちが実施した慢性骨髄
性白血病(CML)患者の経済負担調査について、結果の一部を紹介させていただ
きます。
【血液がん患者の経済的負担】
血液がんの一つであるCMLは、かつて骨髄移植以外に生き延びる方法がないと
されていました。そこに8年 前登場したのが、新薬「グリベック」です。患者は
薬を飲み続けることで普通に生活できるようになりました。ところが、その高額
の薬剤費が患者の家計を圧迫し続けています。このことは、これまでにMRICでも
再三取り上げられてきました1~4)。
私たちは、全国の血液内科医および患者会の方々のご協力の下、CML患者の経
済的負担について調査を実施しました。その結果、多くのCML患者の方に回答い
ただき、この回答率の高さからも、患者の方々の関心の大きさを窺い知ることと
なりました。
【多くのCML患者が医療費の支払いに負担を感じています】
得られた調査結果では、CML患者の72.8%が医療費の支払いを「負担」と感じ、
さらに3人に1人は「高額な医療費を理由に中断を考えたことがある」と回答して
います。
CMLの発症年齢は平均52.7歳と言われています。今回の調査では特に、70歳以
下の退職後の方(70歳以上は外来での自己負担限度額が月額12,000円となります)
と、若年で発病して病気や副作用により定職に就けず、一定の収入が得ることが
できなかった人(都道府県により異なりますが多くの場合、18歳未満*は小児慢
性疾患医療費助成制度による補助がありますが、20歳の誕生日から制度は打ち切
られます)が、様々な制度の狭間で非常に苦労されている事実がわかりました。
また、平均発症年齢からしても「子供がまだ社会人になっていない」というケー
スも多く、「子供の教育をやむを得ず制限し、進学をあきらめ就職させた」とい
う回答も複数ありました。 *20歳まで延長可能
【年間医療費は22万円増、収入は150万減】
グリベック導入以前の2000年と、昨年(2008年)について、医療費および所得
に関する質問を行ったところ、この8年間にCML患者の収入は150万円減少する一
方で、年間の医療費は22万円増加していました。服用期間が長期にわたり、その
間支払いが続いていること、さらに社会経済状況の悪化などの要因も重なり、患
者の負担感は30%も増していました。
高額な医療費負担を理由にグリベックの内服を中断した患者も存在します。そ
のうち2人は今もなお内服を止めており、「再発したら死ぬ覚悟」「年金生活で
はとても払い続けられない。高額のため通院することも不安になり、精神的にま
いっています。このまま死んだほうがいい」とコメントを寄せています。”高価
な薬を長期間服用しなければならない”患者の生存権は、すでに奪われつつある
のです。
今回の調査に答えてくださった方の多くは、医療費軽減の方策の一つである
「高額医療費制度」を知り、利用していますが、自己負担額軽減に役立つ3カ月
処方で薬を受け取っている人は全体の18%程度に留まりました。3か月処方にはメ
リット・デメリットがそれぞれあります。しかし少なくとも、同じ錠数を飲みな
がらも、制度運用のために支払う金額に個人差が生じているのは事実です。この
ような差をなくすための制度改正も必要ではないでしょうか。
【軽微な副作用という言葉】
グリベックの副作用は軽微とされるものがほとんどですが、それでも実際、多
くの方がその副作用に悩まされ、就労や生活に影響していることが分かりました。
例えば、「副作用のため、長時間の就労が難しくなった」「在宅の仕事でもこな
せる仕事量が少なくなり、注文が来なくなってしまい、収入が途絶えた」「副作
用による下痢や瞼の腫れのため、外出しづらく、仕事を止めてしまった」といっ
た方も多くいました。
医学的には軽微とされるものであっても、多くの方の生活に影響し、収入減や
悩みの増大を招いているのが現実なのです。こうしたことについても医療者は認
識し、患者の声を聞いて自身にできる対策・アクションを考え、取り組むべきで
しょう。
【がん患者の自己負担軽減とマニフェスト】
先の選挙のマニフェストで民主党は、「がん、肝炎など特に患者の負担が重い
疾病等について、支援策を拡充する」ことを目的に、「高額療養費制度に関し、
治療が長期にわたる患者の負担軽減を図る」こ
とを掲げています。自民党は「高
額医療費制度を見直しについては平成21年度末までに結論を出し実行する」とし、
公明党や共産党においてもがん患者の医療費問題の解決に向けたマニフェストが
提示されました。いずれの政党も、ゴールはがん患者の医療費負担減であり、超
党派で取り組まれることが期待されているのです。そうしたこの時期に、冒頭の
ような痛ましい事件が起こったことは、非常に心が痛みます。
今回の調査では、多くの方が自由記述欄に記載してくださいました。現在、い
ただいたたくさんの声をすべて活かしたい、という一心で、集計やご意見の取り
まとめを続けています。お寄せいただいた方々の思いが多くの方に伝わり、様々
な制度等に反映されるよう、今後も活動を続けていく所存です。
そしてもちろん、高額な医療費に悩まされているのはCML患者に限ったことで
はありません。ですから今後、CML患者の例をきっかけとして、がん患者全体の
治療費負担について議論が進むことを期待しています。
1)http://medg.jp/mt/2009/07/-vol-165.html#more
2)http://medg.jp/mt/2009/03/-vol-61.html#more
3)http://medg.jp/mt/2009/03/-vol-47-cml.html#more
4)http://medg.jp/mt/2009/08/-vol-181-1.html#more