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Vol.180 社会的共通資本-宇沢弘文の遺産- 持続発展可能な社会のために医療集団がすべきこと

医療ガバナンス学会 (2016年8月8日 06:00)


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宇沢国際学館  占部まり

2016年8月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

唐突ではありますが、社会的共通資本という概念をご紹介させてください。

私の父は、宇沢弘文という経済学者で、数理経済学を基礎に、人々がゆたかに暮らせる社会を構築するためには経済学者の立場から、何ができるかを考え続けていました。人々がゆたかに、そして持続して発展していくためには、社会的共通資本、つまり、生活の基盤になる教育、医療、司法、自然などは市場に乗せてはいけないという考え方です。

父は、1928年鳥取県米子市に生まれ、3歳で家族とともに上京しました。東京大学理学部数学科を卒業後、特別研究生として数学を学んでいましたが、河上肇の「貧乏物語」に触発され、戦後の混乱期に数学のような貴族的な学問に従事している場合ではないと経済学に転向します。そしてその時書いた論文がスタンフォード大学経済学部の教授で1972年史上最年少51歳でノーベル経済学賞を受賞することになるケネス・アロー教授の目に止まり、1956年リサーチフェローとしてスタンフォード大学に招かれます。そして、数理経済学の分野で頭角を現し、新古典派の成長理論を数学的に定式化し、二部門成長理論など数々の業績を上げ、若干36歳でシカゴ大学経済学部の教授に就任します。

1964年シカゴ大学にて、伝説的なサマーセミナーを開催します。先日、来日し安倍内閣に消費税に関して助言した、ジョー・スティグィツ、彼と同時にノーベル賞を受賞した、ジョージ・アカロフなど当時 MITの大学院生が集まり、朝から晩まで経済学のみならず、様々な問題を考えていきました。スティグィッツは現在コロンビア大学の教授ですが、そのようなセミナーを再現しようと思ったができなかった、数学ができても経済学の知識がない、経済学の知識があっても数学ができないといった具合であの夏のように両者ができるものが何人も集まったのは奇跡だったと振り返っていました。
その当時、シカゴ大学はマネタリストの牙城で、そのトップは「選択の自由」で日本でも話題になった、ミルトン・フリードマンでした。父とは真っ向から対立する学者でしたが、とことんまで突き詰めようとするその学問に対する姿勢は評価していました。フリードマンも同じで、その後日本に来るたびに、会いたいと連絡が来ていました。

学者として、教育者として充実した時を過ごせたシカゴ大学ですが、ベトナム戦争の影が忍び寄ります。当時のアメリカは徴兵制であったわけで、軍当局が大学に成績表の提出を求めてくるということもありました。成績を徴兵の資料に使おうという考えであったわけです。父は何人かの教授とともに、成績をつけないという解決方法に至りました。ですが、関わった人々の心に大きな傷を残しました。シカゴ大学の雰囲気も大きく変わってしまったのです。シカゴを去ることを決め、イギリスのケッブリッヂ大学を経て東京大学に籍を置くことになりました。

日本に帰国した、父の目の前になっていたのは、高度成長の影に犠牲を強いられている人々でした。アメリカにいた時には、戦後日本が見事に復興していることをを示す数字が示されていたのですが、父の目の前にあったのは、狭い歩道もない道路を行き来する車に追いやられる子供たちであり、水俣病をはじめ公害病に苦しむ一般市民でした。数字の成長だけを追ってはいけないと実感し、1974年にロングセラーとなる「自動車の社会的費用」を岩波書店より上梓します。その後、成田空港問題などにも関わりながら、人々がゆたかに暮らすために必要なことを考え抜いてきました。

そして、「社会的共通資本」を岩波書店から出版しました。こちらは一般読者にもわかりやすいように編纂されております。2005年ケンブリッジ大学出版より、「Economic Analysis for Social Common Capital」を出します。こちらは社会的共通資本を数理経済学的に分析したもので、かなり高度な数式を利用しています。(父はそんなに難しい数学は使っていないとは言っていたのですが。。。。)

社会的共通資本には自然も含まれているため、地球温暖化の問題にも取り組むことになります。岩波書店から出版された、「地球温暖化を考える」は小学生にもわかるように心がけて執筆しました。そして前述のケンブリッジ大学出版より前後しますが、2003年に「Economic Theory and Global Warming」を専門家向けですが、出版しました。比例的炭素税の導入に言及しています。温室効果ガス排出量に対し、一律に税を課すシステムですと、これから発展していく国々には大きな負担となります。そこで、国民所得や熱帯雨林の保有率などの様々な要因を組み込んで計算するのが、比例的炭素税です。「かなりうまくできている」というが本人の談でした。ちなみに父は二酸化炭素排出権の売買に関しては強く反対していました。

このような人生の中で到達したのが、アメリカの経済学者であるソースティン・ヴェブレンの制度主義に端を発した社会的共通資本という概念です。
ローマ法王が 100年に一度出すという、レールムノヴァルムという回勅のアドヴァイザーとしてバチカン市国に招かれたことがあります。1891年は「資本主義の弊害と社会主義の幻想」、というタイトルだったのですが、ソビエト連邦の共産主義的な支配に対し、各地で暴動が起きており、それを踏まえ「社会主義の弊害と資本主義の幻想」というタイトルを進言しそれが採用されました。1991年の事で、その8月に8月革命が起こり、ソビエト連邦の共産党が壊滅するのです。100年たったらまるっきり逆さまなわけで、既存の資本主義、社会主義を超えた社会制度を構築しなければならないと考えるのは自然な流れでした。

社会的共通資本は、人々がゆたかに暮らせる基盤です。大きく分けて3つの資本に分かれます。河川や海洋、森林などの自然資本、道路や公共交通機関などの社会的インフラストラクチャー、医療、教育、資本などの制度資本の3つです。これらの資本は、市場に乗せ、利潤を求めると、それが本来求められているものから離れて行ってしまいます。消防を例にとれば、火事の消火作業の回数で、報酬を決めるという形になったら、市民の生活の基盤としておかしなことになるのは容易に想像できると思います。教育、医療の成果を金銭的価値に換算するのは不可能なのです。

病気や怪我をした際に安心して医療を受けられる社会の仕組みは安定した生活には欠かせません。病気はなりたくてなるものではありません。運不運に翻弄されることもあるでしょう。日本の皆保険制度は問題をはらみながらも誰でも医療にアクセスできるという点では高く評価されるべきでしょう。ホームレスや生活保護のかたの診察にあったっているとこの制度のありがたみが実感されます。真面目に暮らしていても、ピットフォールに落ちてしまうことがあり、努力のみで乗り越えられない問題も多くあるのです。

父は、ゆたかな社会、持続的に発展可能な社会には社会的共通資本を保護する必要があると考えていました。医療が社会に合わせるのではなく、社会が医療に合わせるべきと考えていました。
専門集団が必要と判断した治療は全てカバーするべきと主張していました。高い倫理性と知識を持った専門家が必要と思った治療は、すべて社会として受け入れましょうということです。父は経済学者の立場から、そのように医療は保護するべき存在であるという主張ができましたが、我々医療サイドはそうはいきません。いかに専門家集団として、高い倫理観を持ち、知識、技量を保ち患者と向き合うかということを常に考えねばなりません。専門家集団が専門家であり続けるために何が必要か、と言うことが非常に重要と考えています。

理想の医療とは何か、死生観も含め、一般の人々と考え今後の医療を作り上げていく必要があるのではないでしょうか。例えば、胃瘻に対する考え方も、費用がかかるといった側面で論じるのではなく、生き方としての選択として議論ができればと思います。
政府といった大きな枠組みで社会的共通資本を導入していくことは非常に大変ですが、小さなコミュニティーであれば実現は可能なのではないでしょうか?長野県の売木村という人口650人前後の小さな村があります。診療所の医師の急死に伴い、村の診療所の医師を好条件で急募しています。650人しか人口がないので、高齢化が進んでいるとはいえ、診療所の経営は赤字です。

ですが、村としては、診療所の存続を強く希望し動いています。生活の基盤としての医療の重要性を痛感しており、短期的には赤字でも、中長期的視点から村の繁栄を考えた際には、必要な投資であると考えているからに他なりません。医療を社会的共通資本として保護していると言えるでしょう。

人は必ず死をむかえます。日本の現状ではその死のほとんどに医療が関わってきます。理想の医療は時代、地域で変化していくものです。ですが、いつの時代も医療の基本は患者との信頼関係ということは変わることがないと思います。治療を選択していく際に、信頼関係がなければ大きな齟齬を残すこととなります。めまぐるしく進歩していく医療技術の中でも揺るぎない信頼関係を築き、社会の基盤としての役割を果たしていくために、何をしてどこを目指すのか、考え議論できる場を提供できればと模索しています。よりゆたかな社会を目指して、微力ながら尽力していきたいと考えています。
占部(宇沢)まり 医師
東京慈恵会医科大学卒業
メイヨークリニック ポストドクトラルフェロー(1992〜4年)
地域医療の充実を目指し内科医として勤務
2014年宇沢弘文死去に伴い、宇沢国際学館 取締役に就任
2016年3月国連大学にて国際追悼シンポジウムを開催
9月社会的共通資本と医療の研究会を開催予定。

 

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