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Vol.236 群馬大学病院事件を考える:認識、想像力、柔軟な発想 ~最優先課題はインフォームド・コンセント~

医療ガバナンス学会 (2016年11月1日 06:00)


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元亀田総合病院副院長
小松秀樹

2016年11月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●想像力と柔軟性
群馬大学病院の旧第二外科で、腹腔鏡下肝切除術の術後死亡率が高いことが、群馬大学全体を巻き込む大きな問題に発展した。その後、群馬大学病院で改革が進んでいる。関係者の努力を多としたい。しかし、事件には、人間の利己的性質、人の行動を支配する権力構造の性質、「旧慣への惑溺」(福沢諭吉『文明論の概略』)など厄介な問題がかかわっている。杓子定規に煩雑な手続きを現場に課しても、安全性は高まらない。現状の正しい認識、優先順位、想像力と柔軟な発想による賢い対応が必要になる。
何年か前、群馬大学病院に講演のためによばれたことがある。当時の病院管理者は熱心で知識も豊富だった。事件の報告書(1)によれば、群馬大学病院では安全のための制度は整えられていた。制度はあったが、機能しなかった。
筆者は、医療の改善を阻む最大の要因を、因習への惑溺だと思っている。福沢諭吉が『文明論之概略』で示した明治初期の日本人についての認識は、今も通用するところが多い。人の考え方や行動は簡単には変わらない。
制度はすでに過剰になっている。患者安全のための制度は職員を追い立て、勤務時間外の会議を増やしている。議論を制度論から、因習への惑溺を減じる方法、人の考え方を変えていくための手段、プロセスに移す必要がある。

●認識
現状を正しく認識するためには、比較が必要である。医学研究では、調査群と対照群の選択が認識の内容を決める。今回の事件では、旧第二外科が問題になった。しかし、旧第一外科も肝切除術、膵頭十二指腸切除術の手術死亡率が全国平均より高かった(2)。他の診療科について報告書に記載はなかったが、背景に群馬大学病院の体質があるとすれば、他の診療科にも問題があるかもしれない。
群馬大学病院は、事件について外部委員を含めた調査委員会を設置した(3)。しかし、委員が一同に会して議論する場面が1回しかなかった。対照群との比較検討は行われなかった。総括報告書案を調査委員でない病院長が作成した。病院長は、個別報告書の事例ごとに「過失があったと判断される」と追記し、外部委員の許可なく、これを報告書として公表した。個人的不祥事として処理しようとしていると批判された。病院は第三者のみによる調査委員会(第三者委員会)を設けざるをえなくなった

●大学病院は新しい医療を好む
日本の大学は、教育より、学問を優先する。学問はオリジナリティ、すなわち、新しさを要求する。このため、大学病院は新しい医療、目立つ医療に価値をおく。これが患者安全と矛盾する。自分たちのやりたい医療に患者を誘導しがちになる。
2002年、慈恵医大青戸病院で腹腔鏡下前立腺全摘除術を受けた患者が死亡した。死亡原因は、輸血体制の不備により輸血が遅れたためである(『医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か』朝日新聞社)。出血量は多かったが、輸血さえしていれば、死に至るようなレベルではなかった。慈恵医大の執刀医の手術技量は決して高くなかったが、当時、この手術の第1人者とされる医師の技量も高くなかった。「第1人者」が担当した慈恵医大本院の第1例目では、青戸病院事件とほぼ同量の出血に加えて直腸損傷があったが、輸血体制が整っていたため、患者の生命が脅かされるような状況にはならなかった。当時、全国の大学の泌尿器科学教室で、無理を承知で、この手術を導入しようとした。患者の自己決定権を尊重する説明は一般的には行われていなかった。
大学病院の性質を冷静に認識し、制御方法を考える必要がある。病院を大学から切り離すことも選択肢から排除すべきではない。

●「解決」はない
第三者委員会報告書の結論部分に、「『日常診療の中に標準から逸脱した医療が登場した場合、それを早期に発見し、より安全な医療へと是正する自浄的な取り組みをするにはどうすればよいか』という命題に対し、医療界の叡智を集めて解決することが求められる」と書かれていた。極めて重要な指摘である。
しかし、「解決」があるとは思えない。有効な自浄的取り組みがあったとしても、成果は限定される。論理的整合性のある単一の大体系には、必ず嘘や無理がある。相矛盾する対策を、状況によって使い分ける必要も生じる。
患者安全の領域では、人間に由来する事故をシステムで対応することが提唱されてきたが、注意不足に起因するエラーの多くは、システムの問題として扱いようがない。ダブルチェックにしようが、トリプルチェックにしようが、注意不足が重複することを防げない。日本医療機能評価機構の医療事故情報収集等事業の10数年間の歴史の中で、人間に由来する問題の多くがシステムで対応できるようにはならなかった(4)。
医療行為は有害事象を伴う。患者・家族は永遠の健康を願うが、人間は生老病死から逃れられない。理性で感情をコントロールすることが困難である限り、医療をめぐる軋轢は永遠に続く。医療の問題に終着点があるわけではなく、歴史の流れの中で、揺れ動きながら、変化していく。目指すべきは、現状を悪くしないこと、できれば、多少なりとも改善することである。
第三者委員会は、いくつかの対応策を提案したが、優先順位を示していなかった。実現が疑問視されるような提案もあった。人間の労力は有限である。不要な手続き、無理な制度は有用な安全対策のための労力を奪い取る。有用性の低い安全対策を廃棄しなければ、新たな労力を負荷することはできない。

●最優先課題はインフォームド・コンセント
最優先課題は、インフォームド・コンセントである。インフォームド・コンセントは、ニュルンベルグ綱領の第一項目に由来する。第二次世界大戦後確立した医療倫理の根幹である。インフォームド・コンセントが適正化できれば、医師・患者関係が大きく変わる。医療内容に大きな影響がでる。
個人を尊重し、自他の区別を明確にしなければならないので、医師と医師の関係、医師と他の医療従事者との関係も変化する。適正化のためには、群馬大学病院で働く人たちの考え方を変える必要があるが、人の考え方は簡単には変えられない。現場の医療従事者による自発的な運動が必要になる。管理者側のリーダーだけでなく、現場のリーダーが求められる。
第三者委員会の報告書によると、手術を受けるかどうかの判断に必要な情報が、患者、家族に伝わってなかった。医師と患者の間で、情報を共有しようとする姿勢があったとは思えない。執刀医は「手術をしない選択肢を示すことは、患者が『見捨てられた』と感じて落胆したり、紹介元の医師の意向に反することになるかもしれない」と述べた。患者、紹介元の医師、執刀医の判断が明確に区別できていない。自他の区別が明確でなければ、自己決定権を尊重できない。
遺族へのヒアリングでは、「手術しないとあと半年」「手術で切除できる」「今ならば初期なので手術可能」「手術がベストである」「難しい手術ではない」「あと10年生きられる。これが最後のチャンスだ」「腹腔鏡でやりましょう。体力が残る。手術しかない」といった言葉が記憶に残っていた。遺族の記憶が正しいとすれば、患者の自己決定をゆがめる誘導があったことになる。手術成績が悪いことを承知した上で、このような説明をしたとすれば、非難されてしかるべきである。
執刀医の考え方は少なくとも、20年前までは、大学病院の主流だった。群馬大学病院で、医師の考え方が20年前にとどまっていた可能性がある。旧第一外科の膵頭十二指腸切除術の術後死亡率は、全国平均よりかなり高かったが、手術件数は減少しなかった。正当な説明がなされていたとは想像しにくい。旧第一、第二外科以外の診療科で、正当な説明が行われていたと推測する理由はない。第三者委員会では、他の診療科の実情が調査されていなかった。
筆者が20年ほど前まで在職した大学病院では、患者の自己決定権を尊重する医師はまれだった。適切な説明をする医師に、別の診療科の医師が苦情を述べる場面さえあった。群馬大学がこのレベルにとどまっていた可能性があるが、必要な調査がなされていないので分からない。

●想像力
第三者委員会報告書には想像力を欠いた記述があった。倫理委員会という言葉が具体像をイメージすることなしに、万能の免罪符として使われていた。群馬大学病院で倫理委員会がほとんど開かれていなかったのは、不要と判断したか、議論の作法を具体的にイメージできなかったからだと想像する。
筆者は、『医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か』(朝日新聞社)を2005年に出版したあと、さまざまな病院に講演を依頼された。病院管理者は必ずしも、医療倫理について十分な知識をもっていなかった。現在の医療倫理がどのような経緯で登場したのか、どのような合意があるのか知らなかった。ニュルンベルグ綱領やヘルシンキ宣言の背景、内容、意義を知っているとは思えなかった。倫理委員会について、診療行為が倫理的に正しいかどうかを、フリーハンドで議論する場と考える管理者もいた。医師に、本人が適切でないと判断している医療を実施することを、上級医師が命令できると思っている管理者もいた。個別診療については、個々の医師が判断主体であり、自身の行動と言葉に自身で責任をとらざるを得ない。問題のある医療行為に加われば、命令に従っただけだという言い訳は通用しない。カンファレンスは、医師の判断を深め、不適切な医療を排除する。
ナチス政権下、医師はドイツの国内法に従って、非人道的な医学実験や大量殺戮に関与し、戦後、個人として責任を問われた。現行の医療倫理はナチスの反省から生まれた。世界医師会によるジュネーブ宣言の第10項目は「私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や市民の自由を犯すために、自分の医学的知識を利用することはしない」と宣言している。これは特定の国家に所属しない世界医師会が、全世界に向かって発出した宣言である。医師は、国内法が医師を処罰するかどうかにかかわらず、ジュネーブ宣言を優先させる。通常の国家は、ジュネーブ宣言やヘルシンキ宣言を尊重している。
医療倫理には歴史的経緯と議論の積み重ねがあり、世界的合意がある。倫理委員会の任務は、独自の医療倫理を考えることではない。受け入れるべき世界的合意の範囲を確認して、院内ルールをそれに則ったものにすることである。必ずしも、個別医療を倫理委員会で検討する必要はない。世界的合意の外にある問題でない限り、倫理委員会は独自の判断をすべきではない。世界的合意が何かを知らないまま、倫理委員会で議論してはならないのである。

●非公式情報収集
群馬大学病院では、国立大学病院共通ガイドラインの基準によるインシデント報告制度を導入していた。2010年9月よりこれに加えて、バリアンス報告制度を導入していた。これは、術中の問題を把握するためのもので、術中、あるいは術後の心停止、呼吸停止、心筋梗塞、肺塞栓など重篤な合併症、予定外の再手術、想定外の大量出血などを報告する制度である。実は、筆者が虎の門病院在職中に考案したものである。当事者でなくても報告できるが、当事者以外だと告発というニュアンスが生じる。旧第2外科では、肝切除後の死亡事例18例中、2010年に1例がバリアンスとして報告されていただけで、残り17例はインシデントとしてもバリアンスとしても報告されていなかった。
報告が少ないのは、人間の性質に起因する。医療の結果が悪い場合、医師は報告したがらない。自分が処罰されるとすれば、なおのことである。当事者以外の報告も期待しにくい。日本では、内部告発者は同定され、孤立し、しばしば処罰されてきた。千葉県立がんセンターでは、内部告発者が、パワーハラスメントで退職に追い込まれた。告発者は損害賠償を求めて千葉県を訴え勝訴した。千葉県は自らの正当性を主張し、控訴して争った。内部告発者を退職に追い込んだことを反省しているとは思えない。
院内報告制度では、健康被害が生じた事例は、重大であればあるほど報告されにくい。健康被害がない膨大な事例が報告されても、努力しているというアリバイにしかならない。患者安全を高める効果はない。
筆者は、ある病院で、手術に問題がないか非公式にモニターしていたことがある。問題がある可能性のある手術について、手術室の職員に定期的にリストを出してもらっていた。診療録を調べて問題があるかどうかをチェックした。比較的簡単に問題事例をチェックすることができた。他に、院内での死亡例について退院サマリーをチェックすることでも、問題事例をスクリーニングできる。病院管理者は、報告制度に頼らず、非公式な方法を含めて複数のルートで診療を継続的にモニターすべきである。

●柔軟な対応
事故調査委員会という言葉には、非日常的出来事の印象が強い。手術成績という日常診療の水準を議論する場としては、医療事故調査委員会が適切とは思えない。有害事象の総和が大きくなる前に対応するという意味では、日常的に医療についてモニターし、自己評価することがより重要である。
対応すべき問題だと認識した後の対応は難しい。過去、多くの院内医療事故調査委員会が、社会への対応を優先するために、個人に責任を押し付けてきた。これが二次紛争を招いた(5)。東京女子医大病院事件(6)では、非科学的な実験までして、無理やり個人に責任を負わせた。院内事故調査委員会報告書のために、佐藤一樹医師は、無罪が確定するまで、7年間、刑事被告人としての立場を強いられた。
善悪の問題として個人を断罪し、処分するには、人権に配慮した厳密な手続きが必要である。処分の重さが適切であることを示す合理的ルールが必要である。処分される個人に、反論の機会を与える必要がある。処分の判断を下す人間に、利益相反があってはならない。権力闘争にかかわっている大学人では、何らかの利益相反が生じるのは避けられない。意見の対立を無理やり解決するのは、手続きと権限を持っている裁判所でしかできない。裁判官はこのために、社会から隔絶した生活を送り、利益相反が生じないよう配慮している。
病院には、過失を認定したり、処罰を確定させるための、機能と権限が備わっていない。対立を強制的に終結させることはできない。対立が大きければ二次紛争に発展する。調査委員会の責任が問われることもある。
早い段階だと、問題として確定させることもできない。明確な服務規程違反がなければ、手術死亡率が多少高いからといって、解雇するのは難しい。多数の委員により構成される事故調査委員会では対応は不可能である。病院管理者が自身の責任で対応するしかない。退職に持っていくとしても、乱暴なやり方では、反発を招き、紛争化する。医師の将来まで配慮しなければ合意は得にくい。
手術技量に問題がある場合、よほど特殊な事例でない限り、再教育で改善されるとは思えない。本人を説得し、実施できる手術を限定させたり、手術以外の業務に専念させる必要がある。抜本的対策は、人の入れ替えだが、簡単なことではない。
文献

1.群馬大学医学部附属病院 医療事故調査委員会報告書 平成28年7月27日
2.国立大学法人 群馬大学医学部附属病院腹腔鏡下肝切除術等の医学的評価報告 2016年4月6日
3.群馬大学医学部附属病院 腹腔鏡下肝切除術事故調査報告書 平成27年2月12日
4.小松秀樹:規範的医療事故報告制度と認知的医療事故報告制度. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.1036, 2015年2月24日. http://medg.jp/mt/?p=3166
5.小松秀樹, 井上清成:「院内事故調査委員会」についての論点と考え方. 医学のあゆみ, 230, 313-320, 2009.
6.小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える. m3.com医療維新,
2010年4月26日, http://www.m3.com/iryoIshin/article/119297/
2010年4月28日、http://www.m3.com/iryoIshin/article/119298/
2010年4月30日、http://www.m3.com/iryoIshin/article/119299/

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