医療ガバナンス学会 (2016年11月11日 06:00)
この原稿はJBPRESSからの転載です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48230
ただともひろ胃腸肛門科院長
多田智裕
2016年11月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
今だから言えるのですが、私自身、20年前の外科研修医時代に2回ほど荷物をまとめて逃げ出そうとしたことがあります。
3カ月(または6カ月)と期間が決まっている研修ですら、全てのキャリアを失っても良いと思えるくらいに追いつめられていたのです。ましてや誰もが羨む一流企業に正社員として入社し、簡単には逃げられない状況にあった新入社員の高橋さんの心境は、察するに余りあるものがあります。
同じ悲劇を二度と繰り返さないために、労働時間の改善だけにとどまらず、職場ストレス(パワーハラスメント)を減らす対策がなされ、職場の仲間同士が“互いに尊重し合う”環境が少しでも多く広がることを切に願います。
●これをすると「パワハラ」になる
職場において最大のストレス要因となりうるパワーハラスメントについては、管理職向けに以下のような指導法の一覧があります。
・なぜそうしなければならないのか具体的に説明し、「こうしろ」と一方的に言ってはならない
・「従わなければ処分するぞ」などの強制的な発言をしない
・相手の人格や名誉を損なうような暴言を吐かない
・同僚の前で叱らない
・繰り返し執拗に叱らない
これらを行っている管理職は「パワハラでアウト」の言動をしているわけです。
ガバナンスが行き届いている会社であれば、部下にパワハラを行っている管理職は「精神的ストレスを抱えている」とみなされ、前述の武神先生のような産業医の面談を受けるように指示され、再発防止のための“アンガーマネジメント研修”などを受けることになります。
「うちの会社ではそんな仕組みはない」「どこにでもそういう管理職はいるはずだ」と思われる方も多いでしょう。しかし、自分がきつく叱られているのは相手の側にも問題があるのだと認識することができれば、心理的負担はかなり減るのではないでしょうか。
●怒る側も、怒られる側も、書き出して記録する
管理職は決して怒ってはならないということではありません。ときには怒らなければならないときもあります。その怒りをコントロールし、前向きなエネルギー、モチベーションに転化していくのがアンガーマネジメントです。
私はアンガーマネジメントの第一歩は、「自分の価値観を認識し、世の中には別の価値観があり、必ずしもすべてを自分の思う通りに変えられないことを理解する」ことだと理解しています。
具体的には、ストレス性により胃腸の調子を崩していると思われる方に、私は「100点を目指すのではなく80点主義で」とアドバイスします。「すべてを完璧にやる必要はないんですよ」ということです。
また、自分自身に対しては「ひとりつぶやいていたよ、そんなものだと」(浜崎あゆみの「Who…」の歌詞)と言い聞かせることもあります。
自分が怒った時のきっかけを記録したり、怒ることによって「変えられること」と「変えられない」ことを書き出してみるのも有効です。書き出して記録することで怒りを“見える化”すると、怒りが収まらないときの対策が考えられるようになるというわけです。
以上は、管理職側の話ですが、部下の側からすると、指導が「パワハラ」だと感じた際には、やはりそれを記録・録音などすることが大切です。
「大事にするつもりはない」「それが当たり前の職場だから記録しても意味がない」という人もいるかもしれません。しかし、具体的な記録がないと、第三者が理解することができません。明らかなパワハラが行われている場合でも、近くにいる人たちは「指導はちょっと厳しいかもしれないけれど、パワハラではない」と本気で信じていることがよくあるのです。
そして、管理者側と同じく、怒られたことを書き出して記録するだけで、自然と解決策や対処法が見えてくることもあると思います。
●「互いに尊敬し合う関係」の構築を
私の研修医時代の話に戻りましょう。
当時、私が同僚と最も愚痴をこぼし合っていたのは、外科医としての肉体的な仕事の厳しさよりも、「まだ一人前として使えない、いくらでも代わりのいる消耗品扱い」されることでした。
一人前として使えないのはたしかに事実だったのですが、現在、管理職に就いている人にぜひお願いしたいのは、「自分がそうされたから」といって部下に同じように接するのをやめることです。
それと、同僚同士が少しでも互いに尊敬し合えるような職場環境を築いてほしいと思います。つまり、過労やストレスでミスをした人に対して、その人の分の仕事まで肩代わりする必要はありませんが、「あいつはできないヤツだ」と思うのではなく、「大変だね」と思う気持ちを持つようにしてほしいのです。
もしかしたら労働時間の管理やアンガーマネジメントの研修などよりも、この「互いに尊敬し合う関係」の構築が、高橋さんの悲劇の再発予防には一番重要なのかもしれません。
ちなみに、荷物をまとめて逃げ出そうとした私がなんとか研修を終えられたのは、1回目は病院の出口で他科の同級生と会って話ができたからです。2回目は、決行しようとした徹夜明けに、教授が自ら入れたコーヒーを「飲めよ」と差し出してくれたからでした。