医療ガバナンス学会 (2016年11月17日 15:00)
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(参加申込宛先: genbasympo2016@gmail.com)
2016年11月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●がん臨床シークエンスと人工知能
井元清哉
東京大学医科学研究所では、2011年からヒトゲノム解析センターのスーパーコンピュータシステムを活用し、がんを対象とした全ゲノムシークエンスに基づく臨床ゲノムシークエンス体制を構築してきた。国際がんゲノムコンソーシアムなどのがんゲ
ノム研究で実績のある全ゲノムシークエンスデータ解析パイプライン、RNAシークエンス解析のパイプラインをはじめ、さまざまなゲノム解析のプログラムを整備し、インターネットから切り離されたスパコンの一部に実装し、高セキュリティなデータ解析環境を構築している。
また、Laboratory Information ManagementSystem(Clarity LIMS)などのデータマネージメントシステム、生体認証によるセキュリティ管理、網羅的多地点カメラによる安全・データ事故管理などのシステムを構築してきた。
このようなデータ解析環境を用いることで、全ゲノムシークエンスの巨大なデータを安全に、また迅速に解析することを可能とした。データ解析の結果、患者さん個々人に生じた数千から数万のゲノム変異を知ることが出来る。
この情報を担当医に返し、治療方針に活用する、臨床シークエンスのボトルネックは、膨大な数発見される変異の臨床翻訳にある。科学的な論文がこのための基本情報であるが、例えば、生物科学分野文献データベースPubMed には、2000万件を超える論文が登録され、がん・ゲノム分野だけでも年に20万件を超える勢いで増えている。
医科研では、IBMのWatson GenomicAnalytics Early Adaptor Programに採択され、2015年7月1日にIBM WatsonGenomic Analytics(現在は、Watsonfor Genomicsと名称変更)が医科研に研究用として導入され、臨床シークエンスにおける活用について研究を行っている。
2015年度からは、これまでの大腸がんのマルチリージョナル全ゲノム解析だけでなく、Myeloidパネルを使った血液腫瘍の臨床シークエンスも始まった。
隔週でTumor Boardを開催し、臨床シークエンス体制、シークエンス解析結果、同定したゲノム変異の臨床翻訳、および運用のための経費のことなど、医師(含 臨床遺伝専門医)、生物学者、情報科学者、遺伝学者、生命倫理研究者が一堂に会して議論を行いさまざまなノウハウがこの5年ほどの間に蓄積していると考えている。
●データ市場が人とAIを結ぶ
大澤幸生
た松尾氏が、今も人工知能(AI)領域、特に機械学習で頑張っているようなのでAIの話は任せたい。私は相当前にAIから足を洗った者として外様の自由人の視座に立つ。
最近、機械学習の関係者と私とで「特徴量を作り出す(あるいは発見する)」という言葉の意味が違っているのが愉快だ。この特徴量生成能力が今のAIの凄さだという人もいる。特徴量とは、データを切り分けるときの注目点のようなものだ。例えば、動物園のサル山でたくさん写真をとり、可愛いサルとはどんなサルか考えてみよう。
仕草?表情?そもそも表情って何?耳の動きかな?可愛いサルを表す特徴量を見つけるのは意外に難しい。最近は機械学習技術で、この特徴量を自動的に見つけてくれるというわけだ。
ところで、いま学習を積んだAI君が可愛いと言ったサルを、なぜか人は可愛いと思わないとする。その人は、このサルは声が良くないという。声などデータ(写真集)に入ってなかったからAI君の知ったことではないが、この、データに含まれない「声」という成分を持ち込むことを私は特徴量作りという。どうすれば「声」を持ち込めるだろう?
「なぜこのサルが可愛くないの?」という疑問から新たにサルの声を録音する行動まで達するなら、チャンス発見プロセスである。
しかし、動物園から音声データをもらうために対価やデータ利用条件の交渉を始めるなら、「データ市場」に一歩踏み入れたことになる。私の研究対象は、このデータ市場の設計である。大学のみならず様々な企業で、データ市場型ワークショップはデータ利活用戦略の立案に役立っている。上の例でいえば「声」の大切さに気付くだけでもデータ市場での会話が大変役立つ。
AIとデータ市場は一見別世界だが、異なるレベルの特徴量をそれぞれが発見して結びつければ、可愛いサルの喉を治し、様々な業界でデータの価値化が可能となる。いや、これはAIやデータ市場だけではなく、人間社会という自然環境の摂理というだろう。
●ディープラーニングの進展と日本のチャンス
松尾 豊
人工知能は60年続く学問分野である。その間、多くの優秀な研究者たちがさまざまな問題に取り組んできた。したがって、いくらブームになったところで、できることはできるし、できないことはできない。そして、「人工知能」という言葉の魔力によって、人々の想像をいつも掻き立て、それが実力以上の期待につながり、そして冬の時代を迎えるということを繰り返してきたことは強調しても強調しすぎることはないだろう。
さて、私は、長らく停滞してきた人工知能の分野で、最も根幹的な問題が「特徴量」の抽出であり、その突破口の端緒がディープラーニングという技術によりもたらされていることを述べてきた。人工知能のブームといっても、日本が戦略的に注力すべきはディープラーニングという1点だと思っている。誤解を招かないように、最近は「機械に眼ができた」ということにしている。いままでのコンピュータは「眼」が見えていなかったのだ。カメラで画像を撮ることはできても、それは人間でいえば網膜にすぎず、その情報を処理する、人間の脳で言えば視覚野にあたる部分がなかった。それが、ディープラーニングによって「眼」ができた。
古生物学者のアンドリュー・パーカーは、生物の進化におけるカンブリア爆発が、生物の眼の誕生に由来すると主張したが、機械やロボットが眼を使って、さまざまな作業を上手に行うことができる。今後、多くの産業で、「眼をもつ機械」が使われるようになるだろう。それは、農業、建築、食品加工、あるいは、家庭内での掃除等の製品に使われるだろう。また、医療の分野では、医療画像の認識(胸部レントゲン、CT、MRI、皮膚、細胞診)からはじまって、患者の見守り、介助、手術等にも使われるようになるかもしれない。
さて、眼をもつ機械を日本が主導して作ることができるか。ものづくりに強い日本には本来できるはずである。しかし、イノベーションのスピードでは諸外国に負けている。ドイツでは産業用ロボットに、米国のダイソンは掃除機に「眼」をつけようとしている。韓国のサムソンやLGも医療やロボットの分野で取り組む。今回のディープラーニングというイノベーションの果実を、日本がものにすることができないのではないか。ここ20年間、ITで負け続けた悪夢が、「眼をもつ機械」でも繰り返されてしまうのか。なんとかこのチャンスを日本がものにすることを願っている。