医療ガバナンス学会 (2016年11月23日 15:00)
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2016年11月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●決して他人事ではない
石本茂彦
1995年3月20日の朝、地下鉄サリン事件が起きた。当時職場が同じだった妻と毎朝乗っていた、いつもの線のいつもの駅でも大勢が被害に遭い、死者も出た。我々が乗ろうとしていたのは、サリンが仕掛けられた列車のほんの少し後のものだった。その宗教団体が起こした数々のテロ事件のうちのいくつかに、高校の同期だったTが関与していた。東大理Ⅲに軽々と現役で合格し、事件の時は医師になって2年ほどだった。高校の頃のTは、凄まじく優秀ではあったが、それを鼻にかけることもなく、むしろとても真摯でジェントルな男だった。彼がそのような過激で非常識なテロに加担するとはおよそ信じられなかった。その後、彼は殺人未遂等の罪で懲役15年の判決を受けて服役した。
一連の事件には、私と同業者である弁護士も深く関わっていた。一度だけ会って話したことのある彼は、私より司法研修所の10期先輩にあたり、当時は年に数名いるかどうかの司法試験の21歳最年少合格組だった。連日テレビで教団の無実を訴えていた彼自身、結局殺人未遂罪で起訴され、懲役12年の刑に服すことになった。
今年7月のバングラディシュのテロ事件の犯人に裕福な家庭出身のエリートが少なからずいたとのニュースを聞き、真っ先に思い出したのは彼らのことだった。何が彼らをそのような行為に駆り立てたのか。何故そんなことになってしまったのか。そうならないようにする手立ては果たして存在したのか。あるいは当時の自分が何かの拍子でそうなっていたということが、本当にあり得ないと言い切れるか。特に自身が人の親となった今、色々な思いが交差する。
●「学生の沈黙」への思い‼
―1970年ベトナム・サイゴン(現ホーチミン)を歩き、三里塚闘争にかかわった者として―
宇都宮高明
現在のテロリズムとして、ISがあげられる。ISの発生は、ヨーロッパにおける移民統治の失敗との指摘もある。一方、現代の若者たちの抱えている心の闇の現われととらえるならば、心に隙間を持つ若者たちの存在は、国境を越えた普遍的な問題でもある。日本の若者たちはどうだろうか。
成長から成熟への転換期を迎えている日本社会、人々は心の奥底で先が見えない不安を感じているかに見える。バブル崩壊後、批判勢力は衰退し、全体を思索していく者が少なくなってきている。この世相の中で今の学生の沈黙は「これでいいのか」との思いを抱く。
学生運動をけしかけるわけではないが、一人ひとり話せばそれなりに問題意識があるのに語ろうとしない。不況下で受験熱がより強くなる中での処世として、本質だの全体像だの考えていたら試験問題を解けない。傾向と対策、与えられた問題を解くための思考を磨ぐだけでいいとの受験エリートからは、世界を動かしている政治や宗教からは距離をおき、寄らば大樹の陰的依存体質を感じる。この現象は「この国はダメだ」と叫ぶことはあっても、戦後負けて手にした権利のもと国家論を準備せずに歩んできた、親の世代の責任とも言える。若者たちの心の隙間は世界共通であるとしても、日本の若者たちがテロに走るとは考えにくいし、この国では革命的政治変革は起こりにくいと思う。それは、この国の天然の箱庭のような温暖な地勢が、このような意識を決定させているからである。
しかし、国家が行き詰まるのは世の常であり、何があってもおかしくないのがこの世界の本質である。「China2049秘密裏に遂行される世界覇権100年戦争―マイケル・ビルズベリー著」を手にした時に、1973年秋の万里の長城での思いが蘇った。教育こそ国の要である。「多様なものの見方・考え方」のできる人材の育成を。優秀な人材が家庭の貧富に係わらず学べる社会創りを。
●受験エリートとテロ
倉石 寛
<1968年学生の反乱>
(1)日本でのテロは、1920年代の右翼テロがあるが、戦後は浅沼稲次郎刺殺事件以後、“1968年 学生たちの反乱” の時代とその後に集中し、その後急速に収斂している。
“1968年” 西側先進諸国では、「戦争を知らずに育った」世代による戦争経験世代への「異議申し立て」の反乱が学生たちによって高揚する。詳細は省くが、この“68年”はドイツの緑の党やアメリカの市民運動など、その後の政治に連なる制度的あるいは人的財産を生んだ。日本は別。
(2) 日本では、1960安保反対闘争、1968年の全国学園闘争を通じて、マルクス主義の影響下に学生の運動はその独自性を形成していく。(『層としての学生運動論』)
「1968年」の学生反乱は、大衆化しつつある大学の勉学環境と運営に対する学生の改革要求にはじまり、ノンセク・トラジカルや全共闘運動などに代表される“運動”を産み、日大・東大を頂点に全国の大学、さらに70年には高校にまで拡大していく。闘争は大学改革要求から、68年末の東大を機に、セクトの全面介入と「自己確認欲求」ともいえる観念的な闘争に転換していく。
(3)闘争は思想的にはマルクス主義の影響下に見えたが、変化する社会構造に対応しきれていないオールドレフトに対し、組織においても運動においても学生たちは違和感を持っていた。べ平連とともに、“68年” は公害反対や部落差別問題へと戦いを持続したが、「個」と社会との関わり方を、理論でも運動でも誰も提示しえず、運動は収斂していく。「子どもたちはやってみた」のだが。
(4)最後に、赤軍派テロと暴力についてだが、全共闘運動のよき理解者でもあった吉野源三郎は、昭和初期の血盟団事件の青年と比べて、「自己を献べき他者(民衆)を持っていた。」かどうかの違いが大きいと指摘した。
<オウム真理教とテロ>
(1)オウム真理教の事件は、その中核に高学歴の、とくに宗教と反対の極にあると思われた自然科学を修めたエリートのいたことが驚きをよび、改めて、科学と宗教の関わり、特に教育におけるその在り方が問題となった。科学は、対象が限定された「分科」の学である。全体たる哲学、最低で科学哲学を学ぶ、少なくとも「全体がある」ことを考えさせる場は日本にはない。さらに、科学という学問と、私を含む自然と社会の現実そのものとは、まったく切り離され、学習は「実験室内」どころか「教科書の暗記」にとどまっている。
「日本人は宗教的か?」に対して、筆者の教え子たちは英国に永住していた一人を除いて異口同音に「否」と答えた。科学より以上に宗教を学生は学んでいない。特にそこに内在している論理と「信じる」ということを学んでいない。「何かに向き合う」という経験をそもそもしていない。
NPOが、日本各地の高校生とワークをした際、教師にも高校生にも最も受けたプログラムは「自分の将来を自分でデザインしてみる」ことだった。子どもたちは自画像を描いたことがない。
(2)だが、オウム真理教のテロにおいてより深刻だったのは、他者に対する無感覚さである。現に生きている生身の人間に対する感覚の欠如はどこから来るのであろうか。倫理を育てた「共同体の崩壊」程度ではない。子どもたちが、同質的な身内集団の中に閉じこもろうとする傾向が強くなっていることは疑いえないが、主体的に生きることはかなり意識しているものの、「外」にある世界には関心が薄く、皮膚感覚がないという感じ。交響することのない「他者」。感覚までとすれば、原因は小学校低学年のまでさかのぼる。そしてそれはエリート層に顕著となる。
“感情を潜り抜けた体験” →何が他者への感覚をここまで衰弱させたのだろう。
●制度からシステムへ
渋谷健司
筆者もアドバイザーとして関わった英ランセット誌の医学教育に関する諮問委員会(The Lancet Commission on Education ofHealth Professionals for the 21st Century)の報告書が2010年に出版された。そこでは、
1900年代にFlexnerの提唱した「科学的教育」、そして、1970年代に生まれた「問題志向型教育」に続く第3世代の医学教育として、「システムに基づく教育」が推奨されている。
そこでは、transformative learning(変形教育)が提唱され、教育の現場は、大学やその関連機関から「保健医療システム」全体へと移り、それに伴い、教育内容は、コンピテンシーをもとに、「地域とグローバルの双方の視点」を重視したものとなっている。
こうした人材育成の潮流は、筆者が座長を務めた20年後の保健医療のあり方を検討する厚生労働省の「保健医療2035」策定懇談会においても明確に示されており、「予防、公衆衛生、コミュニケーション、マネージメントに関する能力を有する医師の養成」を提唱している。 保健医療の課題克服のためには、従来の保健医療の制度そのものを維持するという発想では不十分であり、将来ビジョンを共有し、イノベーション(新たな社会価値の創造)を取り込み、システムの転換をしなければならない時期を迎えている。本講演では、ランセット報告書と「保健医療2035」から今後求められる医療人材像について論じる。