医療ガバナンス学会 (2016年12月28日 06:00)
この原稿は月刊集中1月号に掲載予定です。
井上法律事務所 弁護士
井上清成
2016年12月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
法医学の出羽厚二教授(岩手医科大学)が、小泉哲二弁護士(大阪弁護士会)をその告発代理人として、奈良県警の警察官(不詳)を対象に、かつて奈良県に所在していた山本病院の勤務医に対して逮捕・勾留中の取調べ中に暴行を加えて死亡させたとし、特別公務員暴行陵虐致死罪で刑事告発した(2016年11月24日に奈良県警察本部において受付)。
特別公務員暴行陵虐致死罪とは、刑法第195条第1項と第196条で、「汚職の罪」の1つとして収賄罪などと共に規定されている犯罪類型である。
・刑法第195条第1項(特別公務員暴行陵虐罪)
「裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者が、その職務を行うに当たり、被告人、被疑者その他の者に対して暴行又は陵虐若しくは加虐の行為をしたときは、7年以下の懲役又は禁錮に処する。」
・刑法第196条(前2条の罪の結果的加重犯)
「前2条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。」
つまり、特別公務員暴行陵虐致死罪(刑法第196条)は、特別公務員暴行陵虐罪(刑法第195条第1項)の加重類型(結果的加重犯)として、「傷害の罪」の1つである傷害致死罪(刑法第205条「身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する。」)の刑によって処断されるので、その刑罰が重い。ただ、もしも死亡の因果関係までは認められなくても傷害の因果関係までさえ認められたならば、傷害罪(刑法第204条「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役・・・・に処する。」)の刑の限度によって、特別公務員暴行陵虐致傷罪で処断されることになる。さらに、死亡や傷害とのいずれの因果関係も認められなくても、警察官による暴行の事実さえ認められれば、それだけでも特別公務員暴行陵虐罪(刑法第195条第1項)の刑の限度(7年以下の懲役又は禁錮)で処断されよう。したがって、刑事告発において最も基礎的な点は、「奈良県警は取調べ中の医師に暴行したのかどうか」という事実にあると言ってよい。
2.警察官による暴行は人権侵害行為
逮捕・勾留中の被疑者であった当該医師に対して、取調べ中に警察官による暴行があったとしたならば、それは特別公務員暴行陵虐罪と言う刑法犯にとどまらず、それ自体が憲法に違反する重大な人権侵害行為である。
暴行があったのではないかという重大な疑いが生じたゆえんは、死体の外表異状の存在であったと言ってよい。右外側大腿部から右外側下腿部を中心に広範囲な皮下出血があり、外表面に明らかな異状があった。告発者たる出羽教授は、精査した結果、「鈍体による数度の打撲・強圧により生じたもの」で、取調べ時の暴行によるものと判断したのである。しかし、奈良県警は、「床にあぐらをかいて座る際、右ひざを折り曲げながら地面に落とすように座り、床に打ち付けられるような形になった」などと反論しているらしい。したがって、この皮下出血が生じた原因それ自体を、さらに医学的に重ねて分析することが重要なことであろう。
死亡前日に奈良県警に連れられて受診した病院のカルテには、「右下肢に皮下出血、左下肢にも数カ所、皮下出血あり『打撲によるものか?』」との記載もあるらしい。診察した当該病院の医師の問診結果や肉眼所見なども、原因分析には必要であろう。しかし、実際は、当該病院からは所見等の詳細情報は十分に開示されてなく、そもそも奈良県警からは「留置記録」すら開示されていないらしい。
医学的な原因分析のためには、まずもって、十分な情報開示が望まれるし、人権侵害行為の疑いが生じている事柄でもあるので、さらに多様な法医学者による鑑定も望まれよう。
3.後の政策課題
(1)死因究明体制の推進
本件は、この間の関係者の尽力によって、法医学・循環器内科・救急などの諸分野において、ピアレビューが進めつつある。しかし、本件は刑事事件や民事事件を主な舞台としているため、ピアレビュー推進への制約も多い。
診療関連死については、独自の医療事故調査制度が実施されている。しかし、診療関連死以外の一般の犯罪死などについては、現状は死因究明体制の推進が止まってしまったままであると言ってよい。
自主的なピアレビューが進み、さらに、法医学者の間にも前向きな見解の対立も生じているという本件を契機として、再び、死因究明体制を推進させる時期が来たようにも感じられる。そして、それは、諸分野の医師らのピアレビューを中心にして死因究明体制を推進していくのが本筋であろう。すると、担当官署としては、内閣府ではなく、やはり厚生労働省が大臣直轄でその大臣官房に所管部署を新設するなどして進めていくのがよい。
(2)業務上過失致死傷罪の除外
実は、本件には、もともと奈良県警が強引な取調べを進めたのではないかと疑われる事情が存在していた。
死亡した医師は、「山本病院事件」とも呼ばれる業務上過失致死罪容疑の事件の被疑者の一人だったのである。しかし、逮捕された時の容疑罪名こそは業務上過失致死罪となってはいたものの、逮捕以前に行われていた奈良県警による家宅捜索や事情聴取の時点では、容疑は(業務上過失致死罪ではなく)傷害致死罪であった。つまり、適応のないがん手術をしたらしい山本病院の医師らに対して、それを医療行為ですらないとして、医療行為であることを前提とする過失犯たる業務上過失致死罪ではなく、故意犯たる傷害致死罪で立件しようとしていたらしい。奈良県警には「業務上」でなく「傷害」的なものとして強引に立件したかったという背景事情があり、何としても自白を得ようとして強引な取調べを行う動機があったのでは、と疑われる事情があったのである。
医療に固有の適切な犯罪類型がないので、傷害致死罪で立件するか、それとも、旧態依然たる業務上過失致死罪で立件するかしかなかったことが、本件の悲劇が生じた背景ととらえることもできるかも知れない。医療から業務上過失致死傷罪の適用を除外し、むしろ医療に固有の適切な犯罪類型を立法することが肝要であろう。