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Vol.069 電通の新入社員自殺事件に思う(下)

医療ガバナンス学会 (2017年3月30日 15:00)


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山本一道

2017年3月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

(上)よりつづく

(2)労働者のメンタルヘルス、特に”バーンアウト”(職業的燃え尽き)
バーンアウトとは
しかし実際には、すでに効率的経済的に明白なことであっても変革を頑なに拒み従来の方法を踏襲する以外に発想がないのではと思われるほど現状維持を好むのが日本の現実である。筆者が日本の組織に感じるのは特に上層部が”何も変えずに改善したい”という形容矛盾のようなスタンスを崩さないことであり、規則や手続きは増えていくが本質的なことにはできるだけ触れないように努力しているようにも見える。これはメンタルヘルスの問題に限らず昨今の社会に置いて関心を集める多くの事象においてますます顕著だと感じている。このような状況においては上記のような変革を期待するのは当面のところ難しく、労働者個人の側で自衛する必要があろうと感じている。

ヨーロッパでは職場におけるメンタルヘルスに関して新聞、雑誌、テレビのドキュメンタリーなど数多くの情報を目にすることができ、その関心の高さとともに社会での大きな問題であることを反映している。その中でもバーンアウト、職業的燃えきは大きな問題となっており、幾つかの興味あるドキュメンタリーもネットで見ることができる。これらを見るとフランスやドイツには職業的な抑うつや自殺を引き起こすバーンアウトに対して専門的な研究のみならず、専門の救急外来や入院施設よび職種別のリハビリ施設まで存在することがわかる。

ちなみに筆者はこの”バーンアウトシンドローム” ”燃え尽き症候群”という言葉は欧米における”Burnout syndrome”の訳語として適当ではないのではと個人的には考えている。日本では例えば”大会の決勝で燃え尽きた”といった”全力を尽くして悔いなし”というややポジティブなニュアンスが含まれているようで正確な状態をマスクしているような気がしてならない。フランス語やドイツ語ではそれぞれ”L’épuissement professionnel”, “die professionelle Erschöpfung” といい、どちらかといえば”職業的疲弊”, ”職業的憔悴”と言ったニュアンスでこちらのほうが現実に近いと考えている。筆者はヨーロッパで就業していたときにバーンアウトで退職したあるいは休業中であるという人々に頻回に接することがあり、以前持っていたイメージとはかなり異なる象を持つようになった。バーンアウト(燃え尽き)の臨床像とリスクファクター

まず最初に指摘したいのはバーンアウトというのはいわゆる病名ではなくある状態を表した疾患群であり、必ずしも抑うつなどの状態をもってバーンアウトと判断されるわけでなくむしろ抑うつや自殺、アルコール依存などの依存症などは一連のバーンアウトの終末像と捉えられるべきということである。そのように考えるとドイツなどで言われている人口の20%とか労働者の4人に1人などという数字もあながち高すぎるものではないと考えている。従って、きるだけ早期にその兆候を見つけることが重要であるが、本人が自覚するのは多くの場合終末期に至ってからと言われておりその傾向は日本人のメンタリティを考えるとヨーロッパに比べてさらに強いと考えている。

バーンアウトはいわゆる特定の疾患でないため研究者によって病期などの分類も異なる面もあるが、共通しているのは(i)早期にはむしろ活動が亢進し猛烈に仕事に集中するようになる期間があるが(ii)徐々に不安や自信喪失などから逃避行動(仕事のみならず私生活においても)をとるようになり(iii)無力感、孤立感から人生や存在自体を無意味に感じるようになっていき抑うつや依存症、自殺へと繋がっていくという経過をたどるというものである。症状としては精神的な側面のみならず睡眠障害、食欲減退といった抑うつに特徴的なものに加え、めまい、腰痛、胃腸症状、筋肉痛など日常の臨床において不定愁訴として処理されているような状態をしばしば引き起こす。筆者の個人的な印象であるが、たとえば眼振を伴わないめまいを訴える若い患者にしばしばバーンアウトを疑うケースがあり日常診療で検査をしても異常なく不定愁訴として抗不安剤などを処方されている疾患では本来はそのベースとなるストレス源を探る必要があるのではないかと考えている。

この中で特に筆者が重要なポイントと考えるのは早期のHyperactivityの段階である。例えば自分の好きなことに熱中している状態であれば仕事であれ趣味であれたとえ過重となっていてもバーンアウトに繋がるリスクはほとんどないとされているが、このような状態が不満を原動力として行われている場合その不満を解消するために多方面にわたって活動的になり、周囲からはむしろ高評価の対象となることである。この段階ではベースに”怒り”があるとされ、職場でもハードワーカーだが非常に攻撃的な人物を時々見かけることがあるように、自分の望む状態と周囲からの評価に乖離があったり目標と現実の差といった自己評価に対する不満がベースにあることが多いとされている。従ってこの段階を超えて仕事に楽しみを感じなくなり苦痛であったり最低限義務をこなすのに必死という”逃避”の状況まで進んでいる場合はすでにかなり病状が進行していると考えるべきで、遅くともこの段階で自分自身にどのようにストップをかけるかは真剣に検討しなければいわゆる抑うつに進行してさらに状況が厳しいものとなると考えている。

ではどのような要因がリスクファクターであるのかという点であるが、社会一般的には職場の抑うつやバーンアウトは意志が弱いもの、自分に甘いものに起こると”まだ罹患していない人々”のみならず”罹患した本人たち”にすら信じ込まれている。しかし実際には内的要因としてはむしろ責任感が強く自分に厳しい意志の強いものに起こりやすい、とされている。これは常に高い目標(時に高すぎる)を設定し、その理想に向けて長期にわたり自分を律し持続的に努力することが習慣となっている人に起こりやすいということでもあり、例えば今回の一件を考えても東京大学を卒業して電通に入社した人物というだけでもそのような側面を持った人物であった可能性が十分にあると考えている。

このような状況は長期にわたり強いストレスを引き起こすため、長く続けるためには人一倍強い精神力が要求される。しかし意志の強い人たちは元々ストレスを感じないわけではなく自分を律する力が大きいことを意味しそれが無意識下で大きな負担を課している。このようなストレス下において外的要因として重要とされているのは休息や気分転換など仕事から切り離される時間の確保はもちろんのこと、周囲からの認知(高く評価する必要はなくとも)、上司や同僚のサポート、上から一方的に命令するだけではなく本人にある程度の自律性を与えることなど本人がストレスに立ち向かう上で自分自身に対する”報酬”を与えることができる環境を作ることである。
仮にほとんど休みもなく本人のキャパシティを超えた負荷を与え続け上からの命令を機械的にこなすだけを要求し加えて上司からの認知やサポートもないとなるとそもそも仕事に対する積極的な参加を期待するのが無理であり、長時間かけてなんとか仕上げた仕事でも興味を持ってやる仕事よりも質が落ちているのは明白である。さらに当人はそのような状況下で自信を失い自分自身を責め続け自らに鞭を打ち続けるという悪循環に陥り、不安から逃避、抑うつそして最悪の場合自殺にまで至ってしまうというのがバーンアウトの臨床像である。

筆者がヨーロッパにいた頃夜遅くまで仕事をしていたりすると、”何はともあれ最も重要なのは自分と家族であって仕事は二義的なものだからあまり自分を追い込むなよ”とよく言われたが、そのような考え方が主流のヨーロッパでさえ職場でのメンタルヘルスが大問題となっている状態であるので、仕事はプライベートより重要、企業の経営的発想が個人の生活より上位に来るのが当然という日本社会でははるかに環境としては厳しいであろう。こう書いてきて読者のうちどれだけがその通りだと考えられるであろうか。非現実的で単なる理想論だと感じられる人の数のほうが多いのではなかろうか。

最後に
日本在住のフランス人社会学者 Jean-Luc Azra は、日本とフランスのメンタリティの違いを比較した著書の中で、数々の興味深い考察を行っている。この中で著者は垂直社会の日本と水平社会のフランスという観点で帰属意識に関しての指摘をしている。日本では、どこどこの医局所属、どこどこの会社、さらに細かく言えばどこどこの科、どこどこの部署という集団に自分が帰属しており、地位の高いものから低いものまで含めて組織自体に帰属意識があるという。これに対してフランスでは社会的階層の横の親近感の方が強く、同じ会社の上層部などには親近感はないが、同じ階層の労働者や社会的背景の似た人間と連帯感があるとのことであり、なぜフランスでストが多いのかなどという事象や筆者自身のヨーロッパにおける職場での環境を考えても合点が行く洞察である。

このように自分が所属する組織につよい帰属意識を持ち、ヒエラルキーの上から降ってくることは絶対であり上司が黒といえば白いものも黒くなるような社会をいつまでも続けるようでは早晩立ちいかなくなろうことは個別に話せばほぼ皆が賛同することではなかろうか。今回の電通における一件に関しては実際の状況を承知していないので無責任なコメントは避けるが、もし今回筆者が指摘したような顛末であったとしたら本人の尊い命が失われただけでなく、一人の大きな可能性を持った人間とその人間の歴史と未来そのものが失われたわけであり、その企業、社会にとって大きな損失であるだけでなく自らの首をも絞めているということに気がつくべきであろうと考えている。

今現在非常に辛い状況にいてこの毎日が永遠に続くと絶望している人に対してはこのような理屈は耳に届かないかもしれない。しかし自分のこの状態はひょっとしたらバーンアウトという改善可能な状態なのかもという疑問を持ってみて欲しいと思う。先に挙げたドキュメンタリーに様々な経験者が登場するが、それを乗り越えた人々が一致して言うのは”バーンアウトは本当に辛い経験であったが、あのおかげで本当に自分がやりたいことやるべきことにたどり着いた。その意味であの経験は必要な経験だった”というものであったのが筆者には特に印象的であった。

最後にあたり、筆者が特に辛い時期を過ごしていた時にスロバキアから来ていた同僚に言われた言葉を紹介して終わりにしたい。”カズ、僕の祖父は戦時中ナチスの収容所に入っていて生きて帰ってきたんだ。彼はいつも僕に言っていた。人生は美しい、とにかく生きていることが全てだ、挫折や失敗なんて何度でも繰り返したらいいんだから気にせず次に進め、と。”

参考文献
Lefebvre B. et al. Stress et risques psychosociaux au travail. Elsevier Masson SAS. 2015
Agence européenne pour la sécurité et la santé au travail. Calcul des coûts du stress et des risques
psychosociaux liés au travail – Analyse documentaire, 2014
Bergner TMH. Burnout bei Ärzten. Schattauer. 2010
Keck ME. Burnout. https://www.psych.mpg.de/2054221/Burnout.pdf
Azra JL. Les japonais sont-ils différents ? Connaissances et Saovirs, 2010

著者略歴:山本 一道 1995年京都大学医学部卒 医学博士 呼吸器外科専門医 気管食道科専門医

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