医療ガバナンス学会 (2017年5月1日 06:00)
原発震災という大変な事象に遭遇した皆様は、混乱と混迷といえる大嵐の渦中に投げ込まれました。
「原発事故の罠」ともいえる想像を超えた困難な現場で、リアルタイムで対応された皆様はわが国の誇りです。
中でも及川先生ご自身は率先して「ピンチはチャンス」と捉え、不屈の精神で復興加速の大役を担われ邁進されました。
そしてそれらの実現を、今日ご臨席の皆様との固い絆の基に成し遂げられたことに、心から敬意を表します。
「大変」とは、書いて字のごとく、まずは自らの価値観を、そして既成概念を大きく変えることが不可欠です。
ダーウインの「最も強い者が生き残るのでなく、最も賢い者が生き延びるわけでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」という言葉を彷彿させます。
ふくしまの地は過去にも未曽有の災害や惨禍を不屈の精神で乗り越えてきた歴史があります。
ふくしまと医療人の歴史を振り返るとき、先達が目の前の状況を的確に把握し、いかなる過酷な状況に対しても決して折れることのない「しなやかさ」をもって対応していたことが分かります。
このことこそ世界に誇れる、先達から受け継がれてきたDNAすなわちレジリエンスです。
困難な状況にしなやかに適応して未来を切り開く力です。
レジリエンスの根幹は「しなやかさ」です。
竹之下学長は、困難な状況に立ち向かうのに、自らの持っている既成概念を大きく変えること、そのためにはしなやかさが必要だと訴えられた。
筆者は、震災後、南相馬市立総合病院の医療従事者確保に協力してきた。南相馬市立総合病院は、震災前、常勤医が12人だったが、震災後、4人に減少した。筆者は、全国に呼びかけて医師を30人募集することを提案し、m3(医師向け情報サイト)に医師募集の記事を掲載してもらった。著名な医師を応援団兼観客として列挙した。医師の生き甲斐を演出することに努めた。
祝賀会の席で、及川院長から、「南相馬市立総合病院の医師数が研修医を含めて30人を超えた。震災後、医師を30人募集すると聞いたときは驚いたが、本当に増えた」と感謝された。
震災後、支援のため南相馬を訪問し、病院の2階で話し合ったときから6年、当時の、金澤院長、及川副院長は震災後、時間がたつにつれ、言動の幅が広がり、元気になっていった。病院は新しい取り組みに次々とチャレンジし、影響力を拡大させた。
筆者は、浜通りを支援する中で、福島県立医大を厳しく批判してきたが、それは、浜通りの医療の向上のためだけではない。福島県立医大が現代社会に適合した形で発展することを願っていたからでもある。金澤先生、及川先生には、筆者の悪口を言ってでも、福島県立医大の協力を取り付けるよう勧めていた。
福島県は人口191万人。北海道、岩手県に次いで、日本で3番目の広さである。筆者が生まれ育った香川県の10倍。同じ県というカテゴリーに入るのが不思議なくらいの広さである。2014年、人口10万人あたりの就業医師数は189人で、下から5番目である。人口10万人当たりの初期研修医マッチ数が少なく、2010年から2016年を通して、全国で下から4~5番目にとどまっている。相対的順位に変化はないが、絶対数は増えつつある。福島県全体のマッチ数は、震災以前、70前後だったが、2018年には過去最高の97になった。一方、福島県立医大の初期研修医マッチ数を見ると、震災前の2010年が18、2016年も18であり、この間、横ばいである。相対的に福島県立医大の寄与が小さくなってきている。
マッチングの結果を見る限り、福島県立医大の不人気を他の医療施設が補っているという状況である。加えて、震災後、復興予算で福島県立医大内部に多くの施設が新設され、大学内の人員が増えた。地域で働く医師がさらに不足する事態になった。
福島県立医大は、旧来の医学部の性癖を強く保持している。合理性ではなく権威勾配によって強引に支配しようとする。派遣先の病院を勢力圏ととらえる。勢力圏を拡げるため、医局外の医師を排除する。医局外の医師からは敬遠される。結果として医師の参入障壁として機能してきた。
震災の1年後、福島県立医大の若手医師と議論したことがある。福島県立医大への帰属意識が強いまま、福島県立医大への誇りを失っていた。不幸なことである。
新専門医制度がどうなるのか現時点では分からないが、従来の計画どおりにならば、福島県では、多くの診療科で福島県立医大だけしか基幹病院になれなくなる。福島県で働こうとすれば、県立医大の人事的支配をうけることを覚悟しなければならない。福島県立医大の人事支配が強まれば、福島県全体として医師を減らす方向に機能する。
福島県立医大がもっている行動原理、理念は世界に通用しない。自身の権力ではなく、個人の尊厳を尊重すべきである。県民、国民、人類の幸福を優先すべきである。多様な価値をみとめ、外部の医師とも協働できる社会の共有財として発展させるべきである。
これまで福島県立医大を覆ってきた思想は、あまりに古めかしい。若い世代の医師に受け入れられていない。このままでは、時代に取り残される。竹之下学長の主張される変化としなやかさに期待したい。魅力ある理念を社会に発信し、象徴的行動で変化を演出する必要がある。福島県立医大の健全な発展のためなら、協力を惜しまないつもりである。