医療ガバナンス学会 (2009年11月30日 06:00)
4 考え得るスキーム
(2)債務がない場合
ア 広義の免責
前回検討した本来の意味での免責(狭義の免責)のように、一旦権利を発生さ
せたうえで訴訟上請求できないとする場合には、法律上考察すべき点が複数ある。
それでは、そもそも法律上債権自体がないとすることで同様の効果を得る場合に
はどうであろうか(広義の免責)。
具体的な例として、「失火の責任に関する法律」は、「民法第709条の規定は 失
火の場合には之を適用せず。但し、失火者に重大な過失ありたるときは 此の限りに
在らず」と定めている。即ち、軽過失により火災が発生し近隣の家屋を延焼させ
ても、民法709条は適用されず、損害賠償請求権は発生しない。
したがって、隣家の住民は失火者に対し何らの金銭も請求できないこととなる(そ
のため、各人が自己の家屋に火災保険をかけるのである)。
このように、法律上債権が発生しないため(債権がないのであるから)、当然に何
らの支払い義務も生じない場合は、正確には免責とは言わないが、得られる効果が
同様であるため広義の免責として考察する。
それでは、同様に、「民法709条及び415条の規定は、医療行為に関連して生
じた損害に対しては適用しない。但し、行為者の故意によって損害が発生した場合
にはこの限りではない。」というように定めた場合、法律上どのような問題が生ずる
のであろうか。
イ 民事法の原則
私人間に適用される民事上のルール(法)は、その時代時代により適正化される
べきものであり、絶対的真理のようなものを観念する領域ではない。例えば、大航
海時代のように船が目的地に無事に着かないことが多かった時代と、ほぼ間違いな
く船が着く現代(昨今一部問題化はしているが)とでは、船荷に対する運送人の責
任の限度に差異があってしかるべきであろう。
また、時代的背景が同じでも、さまざまなルール設定は考え得る。船荷に対する
運送人の責任限度は、海難事故のリスクをどのように配分するかのルール設定でし
かないのであり、運送人の責任限度を低く抑えれば、船荷の所有者がそのリスク分
を商品の値段に転嫁すればよいということとなり、逆に、運送人の責任限度が無制
限に近づくほど、運送費が高騰するというだけのことである。
したがって、民事法の世界は、その時その時の事情を考慮して、社会が円滑に運
営されるよう変更していくべき性質のものであり、不変の原理のようなものはわず
かしかないのである。事実、商法の大部分は平成17年に会社法として大きく法改
正されているし、民法の改訂作業も現在進行中である。
この点、前回検討した狭義の免責は、訴訟法の世界であり、国家の裁判権をどの
ように規定するかという議論であるから、公法的な規制を考慮せざるを得ない点で
大きく異なる。
ウ 小括
民事法の世界において、発生した損害をどのように配分すべきかは、その時代背
景に応じて、ルールを適正化すればよいだけであり、法律上の問題は原則(国賠の
問題)としては生じない。
日本の国民はWHOによって世界一と評価される医療を享受している一方、公定
価格下での医療費削減政策の結果、多くの病院の経営は赤字化している。医療にお
いて、損害が発生したとき、最早費用としても、人的資産としてもこれ以上の負担
を吸収する余力が残っていないのである。
その上、前回述べたように裁判沙汰、新聞沙汰、警察沙汰(併せて三沙汰)
に巻き込まれるリスクを医療者個人に負担させることは凡そ衡平な分担とは言えな
いのであり、その結果が現在の医療崩壊として表れている。
ただ、そうであったとしても、患者個人でその負担をすべて負うことは不適当で
あることは言をまたないのであるから、公的ないしは民間による保障制度の構築は
必須であるものと考える。
5 結語
医療行為に関連した損害を過失責任主義の下、裁判というツールを用いて解決をはか
ろうとすると、裁判所としても、「現に生命・身体に発生している損害をすべて患者個人
に負担させることが衡平と言えるのか?」という視点で過失判断をすることとなるため、
結果として患者個人にすべて負担させるものではないとの判断から、いきおい医学的に
不当と思われるような過失認定(実質的には無過失責任)がなされたり、医学的に誤っ
た事実認定をしてしまうということが発生し、現在の医療崩壊を導く原因となってしま
った。
このような現象は、そもそも現在の社会保障体制では、国民に不幸にも生命・身体に
損害が発生した場合のセーフティネットとしての機能が不十分であることに起因して
いるものと考える。重度の脳性麻痺の児を養育するために物理的にかかる費用負担をす
べて個人で備えておくべしとすることは不可能であり、それを国民全体で相互扶助する
のが社会保障制度であろう。
医療者と患者は本来共に歩むべきパートナーであるにもかかわらず、ここ10年の間
に、いつ訴えてくるかわからないという不信から、両者は対立構造のもとにおかれるよ
うになってしまった。
現在の状況を改善するためには、偶発する不幸に対し、国民すべてが安心できる社会
保障制度を構築することであり、偶々その場にいただけの本質的な過失のない当事者に
負担をなすりつけることは 論理的にも誤りであるばかりでなく、国民にとって不幸以
外のなにものでもない。
現在の混乱を正常化するための第一歩として免責制度が必要であるところ、今回検討
したように、免責制度には法的に本来の意味での免責である狭義の免責と免責的効果が
得られる広義の免責があり、そのいずれもが法的に許容されうるものと考えられた。
本稿が、現在の混乱を改善する議論の端緒となれば幸甚である。