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Vol.116 実験動物の苦痛と向き合う (その2) -術後ケアによる肉体的苦痛の緩和-

医療ガバナンス学会 (2017年5月31日 15:00)


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東北大学大学院医学系研究科附属動物実験施設
技術職員 末田輝子

2017年5月31日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は、動物実験施設で毎日実験動物の飼育ケアを行っている飼育技術者です。前回は、実験動物の精神的苦痛の緩和法である、「福祉的順化」と「環境エンリッチメント」についてご紹介しました。今回は、肉体的な苦痛の緩和法である、「術後ケア」についてご紹介します。

術後ケアについて
適切な麻酔と術後ケアは動物実験の苦痛軽減の本質であると言っても過言ではありません。動物における疼痛管理の主体となるのは薬物療法ですが、合わせて不安や恐怖を軽減する必要があります。そのためには、動物の扱いに慣れたヒトが愛情を持って動物に接することがなにより効果的です。

一般的に、研究者の実験動物に対する視点のおきかたは、部分的、科学的です。これに対して、動物の生活をケアする責任を負う飼育技術者の視点は、全体的、福祉的と言えます。つまり研究者は科学的な目で処置した部分のみを見て、飼育技術者は、福祉的な目で動物全体を見ます。この場合の全体とは、1匹の動物の全体であるとともに、時間の流れの全体でもあります。動物は「痛い」と教えてはくれないので、動物の習性や個性を知り、その行動の変化から苦痛を予想するのです。
そして、医科系大学の研究者は診療等で忙しく、動物のために十分な時間をとることができないため、動物が苦痛を感じている現場に居合わせないことが多いという現実があります。それに対して飼育技術者は、常に動物のそばに寄り添い、動物の苦痛や状態の変化を捉えてタイムリーに対応することができます。そのため、術後ケアは飼育技術者の職業的機能であると考え、私の施設では、研究者から指示を得たプロトコールで飼育技術者が術後ケアを行なっています。

手術に関わる苦痛の緩和は術前から始まります。手術当日は絶食なので、空腹を紛らわすために手術の2時間前にリンゴジュースを飲ませます。子ブタは警戒心が強いので、見慣れない研究者が麻酔前投与の注射のために捕まえようとすると大暴れして、手が付けられなくなります。一旦興奮するとなかなか興奮は収まりません。ですから、福祉的順化を行った飼育技術者が優しく動物の頭を撫で、少量のリンゴジュースを飲ませながら悟られないように子ブタの耳の後ろに、翼状針を使って注射を施します。
子ブタの意識が無くなったら、温水シャワーで体を清潔にして、眼球の乾燥を防ぐために眼軟膏を塗って、体重を測定して手術室に搬送します。他の動物の世話をしながら手術が終了するまで待ちます。

手術が無事に終わり、自発呼吸が戻ると動物はケージに戻され、術後ケアが始まります。手術直後から数日は、生命の保持という点で頻繁な観察と手厚いケアが必要であり、侵襲性がとくに高いときは輸液管理も行います。体温が低下しているときは吊り下げ式コルツヒーターで体を温め、頻繁に体温をはかります。嘔気予防のために制吐剤を、ストレス性の胃潰瘍予防のために胃腸薬を投与し、呼吸の状態を確認しながら適宜鎮痛薬を追加していきます。
翌日からは抗生剤等の投与も開始します。定期的に熱をはかり、呼吸の状態、咳の有無、排尿・排便の有無、動作、感染症が合併していないか等、前日の動物の症状と比較しながら予想をたて、研究者に情報を提供します。
痛みのピークの時期を切り抜けると?次は機能の正常的な回復(水を飲み、食事を食べ、自由に動けること)が重要になります。なかなか食欲が回復しないときには人工乳やバナナのように、嗜好性が高い、高カロリー食を与えたり、飼料の形状を変えて口の中に入れて摂餌を促します。子ブタがバナナを一口でも食べてくれたら私は一喜一憂し、子ブタのお腹を撫でながら励まします。そして、口から栄養が取れるようになったら、点滴チューブを抜き、体力の回復を期待して、動物の状態を見極めて少しずつケージから出して運動量を増やし、抜糸が終われば、元の群飼育に戻します。

時に、手術には合併症を伴うことがあります。合併症の早期発見のためには、それぞれの臓器・術式の特徴を踏まえた上で、疑いの目を持って動物を観察する技能が必要になります。例えば、開腹手術の場合、術後数時間で心拍数や血圧が低下した場合は、腹部臓器や血管部位からの出血や血栓を疑い、また、数日して呼吸数が増えると胸水の貯留や感染症、イレウス等が考えられます。開胸手術のときには、肺炎、不整脈、心不全等、いずれも動物に大きな苦痛を与えることになります。対症療法が難しい場合は、安楽死を研究者に促すこともあります。

二回にわたって実験動物のそれぞれの苦痛への私の向き合い方について、書いてきました。自分自身の苦痛は耐えられても、苦しんでいる動物をみることの苦痛はひとしお耐えがたいものがあります。それでも、そこから逃げずに、苦しんでいる動物の痛みを軽減しようとして、私は、ケアする心を深めようとしています。人間のために犠牲になる、みじかい命であるからこそ、常に配慮を忘れずに接することを心がけています。実験動物の苦痛から目をそらさず、命という唯一のものに向かい合って仕事をする、それが飼育技術者であり、実験動物看護師としての私の職業観です。自らの役割に使命感の強い飼育技術者がもっと幸せに働くためには、動物実験における社会的な理解、国の支援、そして組織や周囲のサポートが必要であると思うこともあります。日本の動物実験が真に成熟することを心から願います。

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