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Vol.115 実験動物の苦痛と向き合う(その1) -福祉的順化と環境エンリッチメントによる精神的苦痛の緩和-

医療ガバナンス学会 (2017年5月31日 06:00)


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東北大学大学院医学系研究科附属動物実験施設
技術職員 末田輝子

2017年5月31日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は、動物実験施設で毎日実験動物の飼育ケアを行っている飼育技術者です。私が担当している実験動物(ブタ)は、誘発疾患モデル動物として使用されることがほとんどです。誘発疾患モデル動物とは、薬剤を注射したり、外科手術を施して目的の病気を誘発して作る動物のことです。本来健康な動物の体に侵襲を加えて病気を作り、そしてそこから治療法開発や疾患の解明の実験が始まります。すなわち動物は、二重の“実験処置”が施されることになります。

しかし、実験動物にとって苦痛とは、上のような実験処置(手術)による侵害刺激(肉体的な苦痛)だけをさすのではありません。暑さ寒さなどの環境要因や、馴れていない新しい飼育室やケアをする職員、さらには仲間の悲鳴も動物の苦痛を増強させます。これらを“精神的な苦痛”と呼びますが、とりわけ飼育管理や実験処置をする時の保定(拘束)や麻酔導入時に動物が感じる不安や恐怖心は、苦痛全体を増幅する大きな要因となるため、動物の精神面への配慮も非常に重要です。このように、肉体的及び精神的苦痛の両側面に配慮することにより、実験動物の著しい苦痛の緩和が可能なのです。
具体的な苦痛の軽減対策は、実験動物が動物実験施設にやってきたその日の飼育管理から、まず不安を除き安心させる“精神的な苦痛”の軽減として始まります。

実験動物が苦痛を感じると、その程度に応じて彼らのいわゆる生活の質(QOL)が低下し、同時に実験データの精度や再現性も低下します。ですから苦痛を軽減することは動物のQOLを高めることであり、そこから得られるデータは質のよいものになります。誘発疾患モデル動物のQOLを向上させるには「福祉的順化」、「環境エンリッチメント」、「術後ケア」の3つが特に大切です。「福祉的順化」、「環境エンリッチメント」は精神的な苦痛の緩和法であり、「術後ケア」は侵襲的な実験処置後におとずれる肉体的苦痛の緩和法です。その両方の苦痛を緩和してはじめて実験動物の苦痛の軽減になります。今回は、私の施設での苦痛の軽減に対する取り組みを2回に分けてご紹介します。

・福祉的順化について
順化とは、実験動物を日常の飼育や実験処置に馴れさせる作業のことです。順化を行うことで、動物は新しい環境(動物実験施設)やヒトに触られる事に慣れ、精神的に落ち着き、扱い易い動物になります。とくに、家畜子ブタのように人間とは1対1で触れあったことがないため、非協力的な動物には順化はかかせません。

家畜子ブタは生産場では群飼育されており、他の個体と接触することで安心を得る動物です。いきなり個別飼育にすることは子どもの動物にはとても大きなストレスです。ですから、私は順化に2つの段階を設けます。

第一段階は、最低1週間は群飼育の環境を作り、生産場と同じ飼料を用いて食欲を維持しながら新しい環境に慣らします。頻繁に動物の様子をうかがい、言葉をかけ、動物を驚かせない配慮をし、食事の回数を増やして飼育技術者との接触の機会を増やしてヒトに対する警戒心を解いていきます。
第二段階で徐々に個別飼育の時間を長くしていき、1匹でいることに不安を感じないようにします。そして、麻酔注射のために飼育技術者が近寄っても逃避しない訓練もこの時期に行います。段階を踏むことで、急激な環境変化による恐怖と不安を極力抑え、飼育技術者との信頼関係を構築していきます。このように、個体毎に動物の様子を見ながら徐々に新しい環境に順応させることを、単にケージに収容して放置するだけの消極的順化に対して、「福祉的順化」と名付けました。

・環境エンリッチメントについて
飼育動物は、刺激の少ない環境では意味も無く同じ行動ばかりを繰り返すようになります。動物園のクマが狭いケージの中を左右に行ったり、来たりしているのはpacingと呼ばれる異常な行動のひとつなのです。その原因として、その飼育環境が動物には適切ではないと考えられます。実験動物も同様にケージに閉じ込めただけでは異常な行動が目立つようになります。このような異常行動を減らすためには、飼育動物の種特異的な欲求に基づいた自然の行動を引き出し、生活の質を改善するために飼育環境に工夫を取り入れることが必要です。このことを「環境エンリッチメント」と言います。

実験動物は実験処置に対しては勿論のこと、飼育されているだけでも常にストレスにさらされています。これまで、温度や湿度などの物理的な環境に関しては、実験データに影響を与えるという理由から厳密に管理されてきましたが、精神的なものに関しては過小評価されてきました。精神的なものと肉体的なものとは別のものではなく相互にかかわりあって動物の健康や生理的なものに影響を与え、実験データにも悪影響を与えます。安らぎ(安寧)が無ければ健康を維持することが難しいのは動物も同じです。ですから、動物実験における環境については、動物が感じるストレスが少なくなるような環境整備に私達は目を向ける必要があります。

私の施設では、群飼育を行うことで動物が感じる不安や恐怖を軽減し、食事の回数を増やすことで楽しみの時間を増やし、ケージから出して室内で自由に運動をさせることで探索心を満たし、スキンシップを行うことでヒトに対する警戒心を解き、温水プールやおもちゃを提供することで好奇心を満たして、行動の多様性を増やします。自由に動けることや群飼育の環境は動物に精神的安定をもたらし、異常な行動を減らし、健康増進が期待されます。実際に、これらの取り組みを行ってからは常同行動などの異常な行動はまったく見られなくなりました。

次回では、肉体的な苦痛の緩和法である、「術後ケア」についてご紹介します。

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