医療ガバナンス学会 (2017年6月15日 06:00)
『KOKUTAI FREE 2016年夏号』からの転載です。
医学教育出版社
片桐 朝子
2017年6月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
1.弱い人を守りたい
時はソビエト連邦時代。ソ連の構成国であったウクライナで生まれ、子供の頃から「弱い人を守りたい」という気持ちをもっていたオスタペンコ医師。モスクワのソビエト連邦国立癌センター大学院(当時)に進学し、博士号を取得。大学院修了から1 年後の1993 年、関西医科大学との共同研究のために半年の予定で来日した。しかし、1年、また1年と日本滞在が延び、気付けば6年が経過、ワシントン癌センターへの留学が決まりつつあったその頃、ある60 代の乳癌患者さんと出会った。「先生、どうか私の治療をしてください」という患者さんの言葉と、日本人医師の「私たちと一緒に仕事をしませんか」という誘いに、「ここが自分の居場所だ」と感じたという。その後10 年間、わずか40 床のアットホームな病院で癌治療に携わることになった。
2008年、人生の転機が訪れる。癌の温熱療法であるハイパーサーミア学会の指導教育者でありながら日本の医師免許がないため抗がん剤はおろか風邪薬さえも処方できずにいた彼女に、「あなたに日本の医師免許がないのはおかしい!」と言った医師がいた。その言葉に背中を押され、そして何より、自ら患者さんを治療したいという気持ちが強くなり、日本での医師国験の受験を決意した。すでに40歳は超えていたが、自分がどこまでできるか挑戦したかったのだとオスタペンコ医師は語った。
2.医師国試受験とマッチング
外国人医師が国試を受験するためには、厳しい書類審査と長期間にわたる日本語診療能力調査に合格しなければならない。彼女が受験資格を得たのは11月のこと。2カ月間の猛勉強で国試に挑んだが、不合格だった。翌年の再受験に向け情報を集め、受験日までのクリティカルパスを作り、仕事をしながら猛勉強した。現役医学生の多くが使用する国試予備校のネット講座を丸暗記するほど繰り返し見て受験に備え、見事合格を勝ち取った。
国試勉強と同時にマッチング(初期臨床研修病院の採用試験)にも臨んだ。正直40代の外国人女性を受け入れてくれそうな病院にはなかなか出会えなかったという。「私が採用担当者だったら自分みたいなのは採用しない。普通そうでしょ?」と微笑んだ。「にも関わらず、外国人である私にも積極的に接してくれ、採用してくれた東大和病院に感謝しています」 オスタペンコ医師はその後同病院にて初期および後期研修を修了、現在は消化器内科医として勤務している。
3.日本の医師となった今、そしてこれから
彼女は今、また新たな挑戦を見据えている。ハイパーサーミアで長年終末期癌治療に携わってきた経験から、緩和医療をこれからも続けたい、より日本の文化に合った、日本人の感覚に寄り添う緩和ケアができる施設を築きたいという想いが強くなっているという。年齢や国籍を飛び越え、いつまでもチャレンジャーとして前に進み続けるオスタペンコ医師の姿に勇気付けられる人は少なくないと思う。
このページでもオスタペンコ医師が紹介されています!
<東大和病院 研修医リクルーティングサイト>
http://www.yamatokai.or.jp/resident/
医学教育出版社
医学生のための無料情報誌『KOKUTAI FREE』を年3回発行。
http://igakukyoiku.co.jp/