医療ガバナンス学会 (2017年6月30日 06:00)
この原稿はハフィントンポスト(6月2日配信からの転載です。)
http://www.huffingtonpost.jp/kana-yamamoto/being_thin_and_being_beautiful_b_16916436.html
南相馬市立総合病院 医師
山本佳奈
2017年6月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●29.3kg。
高校2年生の冬だった。体重計の針が指す値は29.3kg。
みるに見かねた当時の担任の先生の強い勧めで、とある大学病院の精神科を受診したところ、「即、入院」となった。「餓死寸前だよ」と言われたそうが、当時の私の耳には一切入ってこなかった。
始まりは、高校1年生の夏。かなりぽっちゃり、つまり太っていた私は、「痩せないと着られる制服がなくなってしまう‥」と思い、ダイエットを始めることにした。
ちょうどその頃は、医学部に進学したいと強く思うようになり、今まで以上に勉強を始めた時でもあった。それからというもの、食事摂取量を減らし、自宅から駅まで自転車をこぎ、寄り道をせずに帰宅しては寝るまでひたすら勉強をするという毎日を送った。立ち寄るとすればコンビニと本屋くらいで、自室にこもって勉強だけをしていたように思う。
自分の身体が日に日に細くなっていくことが嬉しくなり、食事制限はエスカレートしていった。勉強もすればするほど結果になることが嬉しくて、それも相まって私のダイエットはブレーキがきかなくなっていた。
周囲の友達や両親の心配は、私の心には全く届いてこなかった。頬はこけ、生理は突然止まってしまった。日ごとに体力は落ちていき、階段を登ることさえ出来なくなった。それでも、もっと痩せないといけないと思い込んでいた。
私は摂食障害だったのだ。
医学部不合格という現実を突きつけられて、ようやく理解することが出来た。自分が犯した過ちを心から後悔したが、遅すぎた。だが、医学部合格という強い目標のおかげで、なんとか病気を克服することができた。
それからというもの、極端なダイエットをすることはなくなった。痩せに対して意識することがなくなったといえば嘘になるが、自分自身を受け入れようと思えるようになった。どう見られようと、外見に対してどう思われようと関係ないと思えば、気が楽になった。
●「痩せすぎ」の女性が美しい?
私の例は極端かもしれないが、美に対する意識は多くの女性が持っているのではないだろうか。
21世紀の現在における女性の美は、すらっと痩せた外見だけでなく内面の美しさを兼ね備えたものと考えられているようである。
広告や海外のファッションショーで見かけるモデルさんの多くは、背が高くすらっとしていて、骨ばった肩を出している。医療の概念からすると、明らかに「痩せすぎ」の女性が美しい、とされているのだ。
●歴史から見る女性の美の多様性
だが、いつの時代もそんな女性が美しいと思われていたわけではない。女性の美の条件は、実は時代とともに変遷している。
時を遡ってみよう。はるか昔、古代エジプト時代(紀元前1292から1069年)は、編み込んだ髪の毛と均一な顔、スレンダーで肩幅が狭い女性が美しいとされ、古代ギリシャ時代(紀元前500から300年)は、女性のふくよかな身体が美しいとされた。
日本はと言うと、平安時代(794年から1185年)の美女は、ふくよかな体型で切れ長の細い目をしたおたふく顔であった。
江戸時代(1603年から1868年)になると、色白で細面、小さな口で鼻筋が通った黒髪の女性が美しいとされた。喜多川歌麿の書いた、「寛政三美人」などの美人画の女性が美しかったのだ。
ルネッサンス期(西暦1400から1700年)になると、ふくよかで丸みを帯びた体の女性が美しいとされ、を意味するようになったが、ビクトリア期(西暦1837から1901年には、砂時計のような形の体が美しいとされた。
1930年から1950年のハリウッド全盛期には、豊満な胸とお尻、細いウエストが理想とされた。マリリンモンローを思い出して欲しい。だが、1960年代に入ると、一変して背の高いすらっとした細身の体が魅力とされた。
●問題は、「太っている」という自己評価
今はどうだろう。一般的に、細くてすらりとした女性が美しいとみなされている。明らかに痩せすぎているモデルが多いことや、ダイエットを煽るような宣伝や広告が多いことも、痩せていることが美しいと思わせる要因の一つであることは否めない。
実際に、平成27年の厚生労働省「国民健康・栄養調査」によると、「痩せ(BMI<18.5)」の割合は、20代女性の22.3%、30代女性の15.5%が「痩せ(BMI<18.5)」であるという。なんと、若い女性の5人に1人が「痩せ」ていることになる。
問題は、「やせぎみ」であるにもかかわらず、「太っている」と自己評価してしまいがちなことだ。痩せていてもなお、誤ったボディーイメージに自分自身が支配され、「自分は太い」と強迫観念を抱いてしまっているケースは多い。その場合、どんなに痩せても自己肯定ができず、食べることに罪悪感を抱くようになる。
もちろん、我々人間は自分の容姿に対して多少のコンプレックスを持っている。
だが、そういった悩みによって「自分の容姿が酷い」と精神的苦痛を感じ、日常生活にまで支障をきたしてしまうことがある。これを、「身体醜形障害(Body Dysmorphic Disorder)」という。
2012年に報告されたオーバーン大学のトレーシー博士らの研究によると、身体醜形障害と診断された対象者の78%が自殺を考えたことがあるという。
また、その中でも食事制限や過度はダイエットをしている場合、自殺未遂の数が2倍になったという。
●他人は自分のことを別に見ているわけではない
美しくなりたいという女性の願いは、今も昔も変わらない。だが、誤ったボディーイメージに支配され、命を絶ってしまっては元も子もない。そもそも、時代によって美しい女性像というものは変化している。そんな表面的な美に振り回される人生でいいのだろうか。
かつて摂食障害だった頃は、私も自分の容姿が気になって仕方なかった。自分に全く自信がなかったからだと思う。今も自信があるわけではないが、自分自身を受け入れられるようになった。
そして、自分がそうであるように、他人は自分のことを別に見ているわけではないのだと。社会の「美」のイメージに惑わされることない女性が増えることを、切に願う。