医療ガバナンス学会 (2017年7月5日 06:00)
この原稿はForesight(6月6日号)からの転載です。
http://www.fsight.jp/articles/-/42408
特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長
上昌広
2017年7月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
日本の研究レベルの衰退が叫ばれて久しい。
3月23日には、英科学誌『ネイチャー』が「日本の科学研究は過去10年で失速」という記事を掲載した。
この記事によれば、この10年間に世界で発表された論文数は約80%増加したのに、日本から発表された論文は14%しか増えなかった。
トップレベルの論文に限定すれば、状況はさらに酷い。自然科学分野でトップ68の雑誌に掲載された論文数をまとめたネイチャー・インデックスは、2012~2016年の間に英国は17%、中国は48%増加しているのに対し、日本は8%も減少していた。
世界の科学研究の中で、日本の相対的な地位は着実に低下している。
この原因として、2004年の国立大学の「独立行政法人化」をきっかけに、現在までに運営費交付金が約1割減額されたことや、科学研究費が大学間での短期的な競争を目指す資金となり、長期的な視点で研究ができなくなったことを挙げる人が多い。そして、多くの有識者が、「日本の基本は科学技術立国だ。国はもっと研究に投資すべきだ」と主張する。
しかし私は、こんなことをいくら言っても仕方がないと思う。高齢化が進むわが国で、国からの研究費が増えることなどありえないからだ。むしろ、この状況で政府に依存すれば、利権構造ができあがり、研究が停滞する可能性すらある。
●公正な競争を阻害する可能性
予算総額が減れば、政府は「選択と集中」を合い言葉に、各官庁が所管する基幹施設に集中的に投資するようになる。行司が相撲をとる形になる。このような施設の幹部研究者は、努力せずとも研究費にありつけるから、腐敗しやすい。
文部科学省の基幹施設は、理化学研究所(旧科学技術庁系)と東京大学(旧文部省系)だ。前者は2014年にSTAP細胞事件を引き起こした。後者は2012年に発覚した製薬会社「ノバルティスファーマ」による高血圧治療薬の臨床研究データ改ざん不正の疑いや、白血病治療薬の臨床試験で患者に無断でデータを「ノバルティスファーマ」に送っていたなど、不祥事には事欠かない。
厚生労働省の基幹施設は、国立がん研究センターだ。2014年に小児科科長による科研費の私的流用が発覚し、科長が懲戒解雇となった。その後、組織だった科研費の不正使用も発覚している。
研究は競争の世界だ。特定の研究者や組織を特別扱いしても、効果は上がらない。むしろハングリーさが失われ、生産性は低下する。画期的な研究成果を挙げるのは、古今東西、自由な環境に置かれた熱意ある若者だ。
ガレージベンチャーから出発したスティーブ・ジョブスが、多くの人材を抱え、巨額の研究費を投資していたIBMとの競争に勝ったケースなど、その典型例だろう。
ところが、政府は、従来のやり方を押し通すようだ。
たとえば、厚労省は、がんのゲノム医療(遺伝情報を網羅的に調べ、その 結果に基づいて診断・治療を行うこと)を重点的に推し進める。知人の厚労官僚によれば、「オバマ前大統領が推し進めた『米国がん撲滅ムーンショット(National Cancer Moonshot)』に習ったものです」という。
5月28日の『日本経済新聞』によれば、「厚生労働省の報告書案が28日、明らかになった。先行して本年度中に7カ所程度の『中核拠点病院』を指定」するそうだ。
米国は国立衛生研究所(National Institutes of Health:NIH)などに10億ドルを拠出するべく予算を計上したが、日本はその100分の1程度だろう。予算がないからたいしたことはできない。特定の研究機関に「お墨付き」を与えてしまい、公正な競争を阻害する可能性が高い。
●アジアとの共同研究
やり方を変えねばならない。どうすればいいだろう。
まずは、コストを下げることだと思う。たとえば、私どもの試みだ。
我々は、これまで様々な臨床研究に取り組んできた。テーマは、白血病、真菌感染症などの臨床医学から、福島の被曝調査、医師・看護師不足など多岐にわたる。
最近力を入れているのが、アジアとの共同研究だ。上海の復旦大学と高齢化の研究、ネパールのカトマンズ大学と災害対策の研究、バングラデシュの研究者と人工知能を用いた診断支援の研究を進めている。フィリピンやベトナムとも共同研究・プロジェクトを準備中だ。
彼らとのやりとりは、もっぱらスカイプやフェースブック・メッセンジャーだ。欧米と違い、時差がないため、コミュニケーションはとりやすい。
グーグル翻訳が発達したため、英語以外でもある程度のコミュニケーションが可能だ。
アジアとの共同研究の魅力は、コストの安さだ。優秀な人材に低コストで仕事を委託できる。
たとえば、フィリピンでは名門のフィリピン大学を卒業したような看護師でも、月給は6万円、外科医で30万円程度だ。
大学生はもっと安い。フィリピン大学の学生に現地のレポートを英語でまとめてもらったことがあったが、その費用は5000円だった。それなりのレベルのレポートが届いた。
同じ作業を日本人スタッフに頼むより、コストは2~3割まで圧縮できると感じている。このレベルまで下がると、科研費を申請する必要がない。「ポケットマネー」で対応できる。そうなると、科研費の申請書、報告書などの余分な仕事から解放される。
我々は、このような体験を医学論文として書く以外に、講演や各種メディアの連載でも紹介する。原稿料など雑所得の経費に計上できる。さらにコストは圧縮できる。
●一流医科学雑誌に論文が掲載
アジアとの連携のメリットは、コストだけではない。
医学分野におけるアジアとの共同研究は世界から注目されやすい。下世話な言葉でいえば、世界の一流医科学雑誌に論文が掲載されやすい。
研究者の評価は論文で決まる。どのような雑誌に論文が、何本掲載されたかがすべてだ。残念なことだが、一流の医学誌と科学誌は英米が独占している。科学分野の一流誌は米国の『サイエンス』と英国の『ネイチャー』だし、医学の4大誌は米国の『ニューイングランド医学誌』と『アメリカ医師会誌』と英国の『ランセット』と『英国医学誌』だ。
学術誌といっても、所詮は商売だ。編集者は読者を増やして、売上を増やしたい。その点で国内市場が成長する米国と、すでに飽和した英国では対応が異なる。
米国の医学誌は、オバマケアやトランプ政権の意向など米国国内の問題と、遺伝子治療や再生医療など最先端医療を扱うことが多い。米国内の読者の関心を最優先しているのだろう。
一方、英国の医学誌、特に『ランセット』は、アジアの公衆衛生を取り上げることが多い。毎年のように中国特集を組んでいる。『ランセット』編集部のスタッフと親しい知人は、「特集を組めば売れるからです。時に販促と思われるような論文すら掲載されます」という。
医学雑誌の編集長は、今後マーケットが成長することが期待できる地域や研究分野にウェイトをおいているのだろう。
●有機的な国際ネットワークを構築
これは、私の感覚とも符合する。2016年だけでも、我々の研究チームから、『ランセット』や『ランセット・グローバルヘルス』などの一流誌にアジアの医療問題を扱った論文が4報掲載された。いずれも筆頭著者はネパールや中国の若手研究者で、当研究所の谷本哲也医師が指導した。
彼らは「こんな一流誌に名前が出るなんて夢のようです」と感謝のメッセージをくれた。そして、「もし可能なら日本に留学したいし、日本で働きたい」ともいう。
実際、ネパールのアナップ・ウプレティ医師(27)は、昨夏、日本へ留学し、福島で災害対策を学んだ。休暇を利用して広島を訪問し、その経験を全国紙の読者欄に投稿し、掲載された。彼は親日家となった。現在、2015年のネパールの震災が住民の健康に与えた影響を、我々と共同で分析する研究を進めている。
この費用は、私どもの研究所と、福島県いわき市の病院などを経営する公益財団法人「ときわ会」が負担したが、十分に対応可能な金額であった。
アナップ医師は、将来、ネパールのリーダーとなる。このような共同作業が有機的な国際ネットワークを構築し、我が国の安全保障に貢献するかもしれない。
IT技術の発展により、通信コストは激減した。今後、草の根ネットワークを用いたグローバルな研究が増えるだろう。
●自前の資金で研究開発
友人の関西の医学部教授(整形外科)は、上海の復旦大学と再生医療の国際共同研究を計画している。その理由について、「将来的な成長市場だから」という。
この教授と復旦大学を繋いだのは、福岡在住の整形外科医である陳維嘉医師だ。彼女は上海出身で、九州大学医学部を卒業した。父は復旦大学の整形外科の教授だった陳統一氏だ。彼女が仲介し、話は一気に進んだ。
問題は資金だ。先端医療技術の開発には金がかかる。しかしながら、我が国の公的研究予算は、「アジアの大学と共同研究を行う枠組みはない」(日本医療研究開発機構=AMEDの職員)。
ただ、やりようはある。それは、研究に要する費用が日本よりも遙かに安いからだ。日本のような規制が多くないため、「3分の1から6分の1程度(前出の整形外科医)」だという。
この教授は、自前で資金を調達しようとしている。ただ、ここまで安ければ、数名の研究者や、彼らを支援する開業医の先輩などが協力すれば、十分に対応できる金額だ。
最近、このようなスタイルをとる研究者が増えてきた。私の高校・大学の後輩の消化器外科の開業医に、自前の資金で人工知能による内視鏡の読影技術を開発した男がいる。さいたま市で「ただともひろ胃腸科肛門科」を経営する多田智裕医師だ。
彼は、地元の医師会の倫理委員会を通し、医局の後輩の医師にアルバイト料を払い、研究を手伝って貰った。既に論文を投稿し、特許も申請した。近々、会社を立ち上げるという。医師紹介業会社を経営している知人は、「胃がんの人工知能診断が開発されたら、使いたい病院や健診業者はいくらでもいます。私が売りますよ」という。研究開始から論文発表、特許申請まで、わずか5カ月程度だ。これに要した費用は約2000万円で、開業時の借金返済が終わっている彼にとって、「現場が切実に困っていることを解消する研究なので惜しくはない」という。もし、「製品化」できれば、初期投資は回収できる。億万長者にはならないだろうが、彼にとって大きな業績となる。
●粘り強い試行錯誤
研究費を税金に依存せず、大学という機関を通さなければ、生産性は飛躍的に高まる。
私どもの研究チームの原著論文やレターの発表数は、前職である「東京大学医科学研究所」に在籍した2015年度まで、例年20報程度だった。それが独立した2016年には41報、2017年度は60報のペースで増加している。
研究の生産性にもっとも影響するのは、個人の能力差である。SNSが普及し、様々な専門的技能を有する個人同士がネットワークを構築できるようになった。
ところが、既存の研究機関は対応できていない。昨春まで私が在籍した東京大学なら、大学と先方の研究機関が覚書をかわし、それを学内の組織で認証しなければならない。すぐに半年や1年は経ってしまう。こんなことをしているとタイミングを逸するし、コストも増大する。
税金を使わず、大組織の看板を捨てれば、一部の研究領域では、生産性を大幅に向上できる。
我が国の国力を維持するには、研究投資が必要だ。私は臨床医学しかわからないが、やり方次第で、日本は世界の一流国であり続けることができると思う。
そのために必要なのは、有識者が集い、政府に「研究費を増やしてくれ」と陳情することではない。
求められているのは、低コストで付加価値の高い研究を推し進める人材を育成し、ノウハウを蓄積することだ。そのためには実践あるのみだ。研究者は粘り強く試行錯誤を繰り返すしかない。
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いま、我が国の医療現場は「崩壊」の危機にある。病院数、医師数、研究環境など、抱える問題は多岐にわたる。本連載では、これらの問題に対して現場のさまざまな視点から問題提起していきたい。