医療ガバナンス学会 (2007年8月6日 11:37)
平成18年2月18日、福島県立大野病院の産婦人科医が、業務上過失致死罪の容疑で逮捕された。常に死と向き合っている医師が、誠意を尽くしても命を救えなかったならば犯罪者にされると示唆したこの事件をきっかけに、安全な体制がとれない診療科の閉鎖、リスクの高い医療から撤退する病院が相次いでいる。
この業務上過失致死傷罪の他にも、刑事が医療に介入した事例として、終末期医療における殺人罪の適用がある(参照http://expres.umin.jp/genba/kaisetsu04.html)。平成19年2月28日、東京高等裁判所で、医師に殺人罪を適用した判決が出された。判決文からわかる範囲で、臨床経過を追ってみたい。
患者さんは、当時58歳男性(昭和15年生まれ)の型枠大工で、昭和59年9月に気管支喘息と診断され、同年12月に川崎公害病患者に認定され、以来、川崎協同病院に通院するようになり、昭和60年頃から、後に起訴される呼吸器内科医(以下、A医師と呼ぶ)が主治医となった。患者さんは、A医師の外来に約14年通っていた。
平成10年11月2日、仕事帰りの車内で気管支喘息の重責発作を起こし、午後7時頃、心肺停止状態で川崎協同病院に運び込まれた。救命措置により心肺は蘇生したが、意識は戻らず、人工呼吸器が装着されたままICU(集中治療室)に入院した。大脳機能及び脳幹機能に重篤な後遺症が残り、死亡するまで昏睡状態が続いた。
11月4日から、14年来の外来主治医であるA医師が、治療の指揮をとった。気道炎症があり、喀痰からは黄色ブドウ球菌、腸球菌が検出された。A医師は家族と面談し、意識の回復は難しいこと、この数日中に急変する可能性と、この週を乗り切れば安定期に入る可能性が高いことを説明した。この日のカルテに、「今は祈るしかないのでできる限り声かけしてほしい。9割9分植物状態と家族に説明。この数日間はまだ急激な血圧低下の可能性はあり。」と記載があり、この時点では、いつまた心停止しても不思議はない状況だったことがわかる。
その後、自発呼吸がみられたため、11月6日、人工呼吸器は離脱されたが、舌根沈下を防止し、痰を吸引するために気管内チューブは残された。機械で空気を送り込むことはしなくても、気管内チューブは入れたままにしておかなければ、自分では呼吸できない状態だった。
11月8日、四肢に拘縮傾向が見られるようになり、A医師は、脳の回復は期待できないと判断し家族に説明している。A医師は、9分9厘は脳死状態と家族に伝え、「本来ならば人工呼吸器とともにチューブも抜くのが普通ですが、痰詰まりを起こしたり、舌根が落ちて窒息することも考えられますので、すぐには抜けません。もう2,3日様子を見て、呼吸状態がもう少し良くなった頃を見計らって管を抜いてみたいと思います。しかし、肺炎等の影響で呼吸が悪化した場合に再挿管するかどうかは、今の脳障害からすると難しい問題です。再挿管しないで、自然にみていくという方法も考えられます。ご家族で検討しておいて下さい。」と言った。
9日から、四肢の拘縮予防のために関節を伸ばすリハビリテーションが始まった。この日、患者さんの細君が、不眠を訴えてA医師の診察を受け、抗うつ剤及び睡眠導入剤を処方されている。A医師と家族との間にも、信頼関係があったことが伺える。
10日から4回の予定で、高濃度の酸素を与えて脳細胞を賦活化させることを目的として高気圧酸素療法が実施されたが、11日の治療途中で痙攣を起こしたため中止された。大脳機能も脳幹機能も回復の兆しはなく、四肢に拘縮傾向が現れるなど絶望的な状況にありながら、たとえ治療効果が得られる望みが薄い高気圧酸素療法であっても、回復を願う気持ちを家族と共に持ち続け、最後まで望みを捨てないという姿勢で、できる限りの治療を試みるA医師の対応がよく分かる。
11日のカルテに、「家族もかわいそうで見てられないとのことで覚悟を決められつつある。」「7時30分に抜管するもすぐに呼吸低下。」「残念ながら再挿管とする。」との記載がある。判決文の別の部分には、細君の目の前で気管内チューブを抜いてみたが、すぐに呼吸が低下したため、「管を抜けるような状態ではありませんでした。残念でした。」と言って再挿管した、とあり、細君は抜管するとどうなるかを理解されていただろう。
12日、ICUから一般病棟の「お看取り部屋」と呼ばれていた個室に患者さんが移された。A医師は、看護師に酸素供給量と輸液量を減らすよう指示し、急変時に心肺蘇生措置を行わない方針を伝えた。ICUから一般病棟に移るときの、看護師によるICU退室サマリには、「家族は今のままの状態では家族で介護する余裕がないと、あきらめかけている状況。」「DNR」(急変時に心肺蘇生措置を行わない方針)との記載がある。
13日、「家族に説明し、家族は諦めた様子でナチュラルコースである。点滴を減らしていく方向。」とあり、この時点で、積極的治療はせず、家族と共に、静かに自然な死を迎えようという方針が固まっていることがわかる。
11月16日、喀痰からペニシリン耐性肺炎球菌、緑膿菌、セラチア菌が検出された。白血球数は1万5000、CRPが27.1と極めて高く、細菌感染症に敗血症を合併した状態であった。既に、2日に挿管してから2週間が経過しており、気管内挿管をこれ以上続けることは困難な段階に至っていた。
A医師は、再挿管しないことについて、判決文に書いてあるだけでも、8日、13日、16日と、複数回にわたって確認している。長女は、気管内チューブは自発呼吸を助けるためのものであることは分かっていて、家族会議の中で抜管に反対したが、他の家族が抜管に納得しているので仕方ないということになったと供述しており、家族は抜管によって最期を迎えるということを十分に理解していたと思われる。11月8日にA医師から、再挿管しないで、自然にみていくという方法も考えられる、ご家族で検討しておいて下さいと言われてから、家族会議をする時間は十分にあったのだろう。
16日、細君に「この管を抜いてほしい。」と言われ、A医師は「管を抜けば呼吸状態が悪くなり最期になりますよ。奥さん一人で決められることではないですよ。家族で来られる人は全員来て下さい。」と言ったところ、細君は「みんなで考えたことです。実は、今日、夜、みんなで集まることになっています。今日お願いします。」と答えた。A医師は、約14年来この患者さんの診療を続けてきており、治療よりも家族のために仕事を頑張ることを優先してきた患者さんが、このような意識のない状態で家族に精神的にも経済的にも負担をかけることは望んでいないだろうと考えた。
この日の夕方5時30分頃、患者さんの細君、長男夫婦、次男夫婦、長女がそれぞれの子を連れて病室に集まり、午後6時頃、A医師が看護師とともに病室に入った。A医師は家族が集まっていることを確認し、「奥さんから管を抜いてほしいと要望が出ました。管を抜けば呼吸が落ちて最期になります。早ければ数分ということもありますので、看取ってあげて下さい。みなさん、覚悟はできていますか。」と尋ねたところ、誰も異論を挟まなかったので、抜管が行われた。カルテには、「家族の抜管希望強し。」「6時3分、家族の了承を得て抜管。」との記載があり、看護記録にも、「午後5時30分、家族(妻)より希望あり、挿管チューブ抜管して欲しいとのこと。」との記載がある。
抜管してしばらくすると、患者さんは上体を持ち上げ、背を仰け反らせて体を痙攣させ、顔を苦悶するように歪ませ、息を吸おうとすると胸がへこむという奇異呼吸を始め、ゴーゴーという気道の狭窄音と痰がガラガラと絡む音がした。判決文の記載によれば、A医師は、「本人にとっても家族にとってもよくないと思い、鎮静剤で呼吸抑制作用もあるセルシン合計4アンプルを静脈注射した(セルシンとドルミカムの静脈注射については、看護婦に指示して注射させたことも含む)。これにより体の動きは抑制されたもののガラガラ、ゴーゴーという音を出す苦悶様呼吸は消えなかったため、複数回続けて鎮痛剤ドルミカムを静脈注射したが、苦悶様呼吸は続いた。」
A医師は、ドルミカムを点滴投与するよう看護師に指示した上で、冷静になるために一旦病室を出ると、S医師に会った。A医師は、S医師に状況を説明して助言を求めると、S医師は「ミオブロックがいいよ」と一言だけ答えた。判決文には、S医師がこの患者さんを診察した、あるいは家族の様子を見に行った等、病室に入ったという記載はない。午後7時頃、ミオブロックが投与された。
昏睡状態でかつ鎮静剤も投与された状況下では患者さん本人の苦痛はなかったと考えられるが、A医師がさらにミオブロックを使用したことは、患者さん本人ばかりでなく、家族のためを考えて、人間的な配慮をしたと言えるのではないだろうか。子供5人を含め、11人の家族が見ている前で、患者さんが苦しそうに見える動きをすることは、たとえ本人は苦痛を感じていないと説明したところで、家族に深い心の傷となって残るであろう。だから何とかしなければ、と判断したその気持ちは、容易に想像ができる。
ちなみに、判決文からは、ミオブロックの投与方法及び投与量が争点となったことが伺える。特に、「静脈注射」か「点滴投与」かという供述の食い違いは重要なポイントである。「静脈注射」では、通常、数秒のうちに注射器で薬剤を投与するが、「点滴投与」は、輸液のバッグに薬を混ぜ30分以上かけてゆっくり滴下投与する。A医師は、ミオブロック1アンプルを生理食塩水100 mLに溶いて自ら「点滴投与」したと述べているが、E看護師は、A医師からミオブロック3アンプルを「静脈注射」するよう命じられ、中心静脈カテーテルの点滴管の途中にある三方活栓に注射器を差し込んで注射したと供述しており、争点となっている。同じ薬であっても、投与方法が違えばその効果の出方が全く異なることもあるし、投与量が違えば効果の強さも異なってくる。結局、東京高裁は、事実認定としてはE看護師の供述を採用しているが、そもそも、なぜこんなに両者の供述が食い違ってしまっているのかに疑問を覚える。また、些細な点ではあるが、鎮静剤であるドルミカムが「鎮痛剤ドルミカム」と記載されており、裁判所の医学的理解はこの程度に過ぎないのかと残念に思う。
患者さんが亡くなると、家族はA医師に「お世話になりました。」と挨拶している。事件当時の院長はA医師らから事情を聴取したが、医師不足の問題があったことやA医師を評価する患者もいたことから、同病院の最高意思決定機関である管理会議には報告しないこととした。その後、家族からも病院内でもこの事例が問題とされることはなかった。
この事例の「事件化」は、二人の医師の対立に端を発したと裁判所が認定していることは興味深い。この事例から約3年後の平成13年、同病院内においてA医師と麻酔科のU医師との間で麻酔器の使用を巡る対立が生じ、同年10月下旬、U医師が、そのときの院長に対し、この患者さんのカルテのコピーを見せて、A医師を辞めさせなければコピーをばらまくなどと言って迫った、と判決文に記載されている。この院長は、医療倫理的、法的に問題があると考え、管理会議に報告し、事件が再び問題となった。そして、事件は公表される方向となり、同年12月30日、A医師は退職届を出し、同病院幹部は、平成14年4月に記者会見をして、事件を公表した。
この判決文では、ミオブロックの投与については、「これだけを取り上げて違法性が強いとみるべきではなく、本件抜管と併せて全体として治療中止行為の違法性を判断すべきものである。」と結論しており、医療という一連の流れの中で判断すべきものという判断を示している。これは、一連の流れの一部の行為のみを抜き出して法的評価することの問題性を指摘するものであるが、刻々と変化していく状況からすると、判決の指摘もまた結果論と言いうるのではなかろうか。
いずれにしても、この事例のように、家族からの要請に基づいて延命治療を中止することが殺人罪とされてよいのだろうか。患者の最期の状態を、共に悲嘆の中で関わり、変化する状況の中で看取っていった遺族・医療者関係を、事後的に行為の一断面だけを取り出して、殺人罪で処断するという刑事司法での領域で決着を図ろうとすることには根本的な疑問があると強く感じている。
次稿において、医療の結果を法で裁こうとすることの限界について考えてみたいと思う。