医療ガバナンス学会 (2017年7月21日 06:00)
神戸市立医療センター中央市民病院産婦人科後期研修医
前田裕斗
2017年7月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
今回の緊急提言を受け、マスコミは「無痛分娩や陣痛促進剤はリスクが高く、多くの悲劇を起こしている」と報道し、各地の医療機関からは「診療所で無痛をやったから死亡したと悪いイメージを与える」と批判の声が相次いでいる。しかし、私は今回の緊急提言は無痛分娩の現状を明らかにし、産科麻酔医の増員・配置を含めた無痛分娩環境の整備を目的としたものと考えている。それがいつの間にかイデオロギーの波に襲われ、無痛分娩バッシングに変質してしまったのではないか。
元々この提言は、2010年1月から16年4月までに報告された母体死亡症例298例のうち14人(約5%)が無痛分娩を行っていた症例であり、2007年度のデータ上の全分娩における無痛分娩の割合である2.6%と比較して死亡症例の割合が高かったことから研究班による追加解析が行われたことによるものだ。では、本当に無痛分娩で妊産婦死亡率は上がるのだろうか。
結論から言えば死亡率は上がらない。陣痛促進剤や器械分娩が増え、これらが制御不能な出血を引き起こす羊水塞栓症のリスクとなるため危険と主張する人もいるが、そもそも羊水塞栓症の発症リスク自体が少なく、また正常経腟分娩でも羊水塞栓症は生じる可能性がある。むしろ促進剤や器械分娩がなければ無用な帝王切開が増える可能性も考えられることからこの主張は一概に正しいとは言えない。(帝王切開は器械分娩などよりも大きな羊水塞栓症のリスクである。なお、無痛分娩は帝王切開の頻度を増加させない。)むしろ、無痛分娩は通常の分娩と比べ手がかかるものの、お産の満足度を高めることや、痛みを感じることで生じる過換気、高血圧、過剰ないきみによる胎児低酸素の予防にも効果があり、母児ともにメリットがあると複数の論文で報告されている。無痛分娩は本来安全にお産を行うための手段でもあるのだ。
次に日本における無痛分娩の現状について考えてみよう。現在日本の無痛分娩はその多くが診療所で行なわれている。これには産科で開業する医師の、いいお産を提供したいという想いや、差別化を図ることで患者数を増やしたいという狙いによるところもあるが、最大の理由は麻酔を担当するスタッフの不足である。総合病院では無痛分娩や産科麻酔に専従する麻酔医を取るほどの人がおらず、他業務に従事しながらの仕事となることから「そこまでして無痛をやる価値があるのか」と考えられているのが現状だ。
日本で無痛分娩が普及しない原因として、社会や文化に論拠を求める考えをよく見かける。曰く、痛みが母性を育む。耐えることが美徳という考えが日本には行き渡っているのだ、と。だがそれは正しいとは言えない。キリスト教においてイヴに与えられた原罪が「産みの苦しみ」である一方で欧州の高い無痛分娩率を見比べればそれがわかるだろう。むしろ、日本で無痛分娩が普及しない原因は「無痛分娩へのアクセスの悪さ」にある。
日本では産科麻酔スタッフの不足から、24時間体制で無痛分娩に対応出来る病院は少ない。自然、無痛分娩の多くが日を決めて促進剤を用いて行う計画分娩となる。当然陣痛がきていない状態からの開始となるため分娩まで時間がかかることも多く、より手間がかかり、枠も限られる。一方無痛分娩の普及しているフランスでは国策で麻酔科医の増員が図られているほか、産科の規模に合わせて産科専従の麻酔医の配置が定められており、24時間体制での無痛分娩に備えている。女性は分娩進行中のいつからでも無痛分娩を選択する権利を持っているのだ。
今回の緊急提言は、女性の権利ともいうべき無痛分娩の現状を広く認識し、その環境整備を目的としたものではなかったか。いや、日本では産科麻酔医の確保は難しいのだから、現状を無視した夢物語とする人もいるかもしれない。しかし産科麻酔スタッフを増やす方策として、麻酔科医を増やす以外にも幾つかの案が検討されている。例えば産科医に麻酔を行う資格を発行する案だ。当然安全性の確保が第一であることから資格取得は厳しいものとすべきだろう。また、麻酔導入後の管理を行う助産師・看護師の教育も有用だ。導入と管理を分担できれば、一気に人手不足を改善できる可能性がある。こうした案の検討もなく今回の提言をただ批判することは、医療従事者にとってもプラスにはならないのではないか。
現在の状況は最悪だ。無痛分娩の環境整備、普及を願う緊急提言が一人歩きし、無痛分娩バッシングとその反発へと繋がっている。無痛分娩は、お産という不条理を受け入れる女性にとっての正統な権利であり、本来母児ともに安全で満足いくお産を達成するための有効な手段であるはずだ。無闇な批判に走るのではなく、今こそ無痛分娩普及のための人材確保を議論すべきである。