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臨時 vol 403「再びボールは医療界に投げ返された。~川崎協同病院事件最高裁決定を受けて~」

医療ガバナンス学会 (2009年12月19日 09:00)


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国立がんセンター中央病院  医師・弁護士
大磯 義一郎
2009年12月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp


1.経緯
本件は今から11年前(平成10年)に起きた事案である。気管支喘息の重積発作により心肺停止状態で搬送された患者に対し、蘇生は成功したものの、入院より2週間が経過しても意識が回復しなかったことから、家族の要請を受け抜管したところ、患者に苦悶様の症状が強かったことからセルシン、ドルミカムを点滴静注、なおも改善しないため、同僚医師の助言によりミオブロックを点滴静注したという事案である。事案から4年後、病院内の内部紛争を契機ににわかに騒ぎが発生し、医師の退職を経て、平成14年4月に病院が記者会見を行い世間に知られることとなった。

当時の世間の風潮から検察も動かざるを得ず、刑事事件として起訴され、平成17年に地裁判決(懲役3年執行猶予5年)、平成19年に高裁判決(懲役1年6月執行猶予3年)を経て、本年12月7日最高裁判所(第三小法廷)による上告棄却(高裁判決の維持)の決定により本件の刑事司法における決着を迎えることとなった。

しかし、一人の医師が刑事裁判にかけられ、11年もの年月が経過したにもかかわらず、終末期医療を取り巻く医療現場の環境には全く変化がなく、日常臨床で日々直面する課題は解決されないままである。

本稿では、最高裁決定の法的解釈を中心に論評するものである。今後、司法からの強いメッセージを受けて、医療者を中心とした更なる発展的な議論がなされることを強く望むものである。

2.最高裁決定
まず、最高裁判所は、本件の上告につき、刑事訴訟法に定める上告理由に該当しないとして上告を棄却するとした(いわゆる三行半判決)。
その上で、本件の社会的重要性に鑑み、傍論として以下のように判示した(アルファベットは解説のために付したものである)。

「被告人は、終末期にあった被害者について、(A)被害者の意思を推定するに足りる家族からの強い要請に基づき、気管内チューブを抜管したものであり、本件抜管は、法律上許容される治療中止であると主張する。
しかしながら、上記の事実経過によれば、被害者が気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに、(ア)同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されておらず、発症からいまだ2週間の時点でもあり、その回復可能性や余命について的確な判断を下せる状況にはなかったものと認められる。
そして、被害者は、本件時、昏睡状態にあったものであるところ、本件気管内チューブの抜管は、被害者の回復をあきらめた家族からの要請に基づき行われたものであるが、その要請は上記の状況から認められるとおり被害者の病状等について適切な情報が伝えられた上でされたものではなく、(イ)上記抜管行為が被害者の推定的意思に基づくということもできない。
以上によれば、上記抜管行為は、法律上許容される治療中止には当たらないというべきである。
そうすると、本件における気管内チューブの抜管行為をミオブロックの投与行為と併せ殺人行為を構成するとした原判決は、正当である。」

3.法的解釈
学説上、治療中止が許容される根拠として、自己決定権的アプローチと医師の治療義務の限界からのアプローチの二種類があげられているところ、本決定では、自己決定権的アプローチ(A)についてのみ、しかも許容しうる要件をあげずに判示している。

即ち、患者の意思をその家族の意思より推定する(イ)ためには、その前提として、少なくとも、その当時の患者の予後が的確に判断(ア)されていなければならない。しかし、本件当時、まだ患者の生命予後が明らかとなる状況になかったのであるから、その誤った前提のもとになされた家族の意思表示から患者の意思を推定することはできない(イ)ということである。

結局のところ、本決定は、「まだ患者の生命予後が明らかとなっていないこと」一事のみを判断しただけとなっている。

4.最高裁判所の真意
最高裁判所のこの決定に対し、一部のメディアでは、「裁判所が安楽死の要件を提示しなかった」「医師が殺人罪にて有罪となった」という趣旨の報道がなされた。しかし、ことの本質、責任の所在はどこにあるのであろうか。医療界は最高裁判所の本決定に込められた強いメッセージを真摯に受け止めなければならないと考える。

そもそも、本件の行為態様は過失ではなく、故意による行為であるから、法的には、殺人罪か無罪(又は同意殺)かしか選択肢としてあり得ないのであり、無罪でなければ、殺人罪として有罪判決を出さざるを得ないのである。

そして、裁判所自らが法律の明文にない上に、社会の合意形成もされていない安楽死・尊厳死という重要な問題に対し、独断で違法性を阻却する要件を提示し無罪判決を出すことは能力の問題からも三権分立の視点からも困難と考えられる。

平成19年2月28日になされた控訴審判決において、東京高等裁判所は「尊厳死の問題を抜本的に解決するには、尊厳死法の制定ないしこれに代わり得るガイドラインの策定が必要であろう。すなわち、尊厳死の問題は、より広い視野の下で、国民的な合意の形成を図るべき事柄であり、その成果を法律ないしこれに代わり得るガイドラインに結実させるべきなのである。・・・・これに対して、裁判所は、当該刑事事件の限られた記録の中でのみ検討を行わざるを得ない。むろん、尊厳死に関する一般的な文献や鑑定的な学術意見等を参照することはできるが、いくら頑張ってみてもそれ以上のことはできないのである。・・・・この問題は、国を挙げて議論・検討すべきものであって、司法が抜本的な解決を図るような問題ではないのである。」という異例中の異例ともいえる判示をしたうえで、一審の量刑を不当とし、法律上最大限の減刑をしたのである。

しかるに、高裁判決後、厚労省より平成19年5月に出された「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/dl/s0521-11a.pdf、解説編:http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/dl/s0521-11b.pdf)とされたA4紙1枚半のガイドラインでは、冒頭にまず「積極的安楽死は、本ガイドラインでは対象としない。」とし、同解説(同解説注7参照)において、破棄された同地裁判決及び別件の地裁判決(両判決とも同じ裁判官による判決)を理由に積極的安楽死の定義すら回避していること、同解説注4において、「特に刑事責任や医療従事者間の法的責任のあり方などの法的側面については引き続き検討していく必要があります。」と最重要論点につき、判断を回避(先延ばし)していること(なお、未だに法的責任につき結論は出ていない)となっており、高裁判決に対する回答はなされなかった。

そして、最高裁判所は、控訴審判決から2年9か月待って、あえて傍論を書きながらも安楽死、尊厳死に関して「何等の基準も示さない」本決定を示したのである。

即ち、異例中の異例ともいえる高裁判決から3年弱待ってみたものの医療界から返答はなく、世論喚起も法改正もない以上、今、この医療崩壊の中にもかかわらず、法を司る裁判所としては、個人の刑事責任を否定することはできない。しかし、この決定を契機に再度、この困難な問題に向き合って何らかの基準をつくって欲しいという裁判所からの強いメッセージが「何らの基準も示さない」傍論に込められているのである。

5 結語
本決定は、医療界の不作為によってもたらされたものといっても過言ではない。確かにセンシティブな問題ではあるが、医療現場ばかりでなく、今後到来する超高齢化社会において、老々介護の果ての痛ましい事件は増えてくるものと予想される。その都度、裁判所だけに判断の責任を負わせ、個人に刑事責任を負わせていいのであろうか。これ以上の先送りは許されないものと考える。

ただ一方で、各医療団体からは現在まで以下の提言がなされてきている。

a)日本集中医療学会(平成18年8月28日)
「集中治療における重症患者の末期医療のあり方についての勧告」(http://www.jsicm.org/pdf/kankoku_terminal.pdf)
b)日本救急医学会(平成19年11月5日)
「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」(http://www.jaam.jp/html/info/info-20071116.pdf)
c)日本医師会(平成20年2月)
「終末期医療に関するガイドライン」(http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20080227_1.pdf)。
d)全日本病院協会(平成21年5月)
「終末期医療に関するガイドライン」
(http://www.ajha.or.jp/about_us/activity/zen/090609.pdf)

現段階は、徐々にではあるが医療現場からの声が出始めてきている時期と考えられる。本問題は、今後、社会に対して議論の輪を広げ、社会的合意を形成(その結果、法制定することも選択肢の一つであろう)していくというプロセスの緒についたばかりである。

医療者は、率先してこの問題を解決に導く専門家としての社会的責務がある。本決定を受け、医療者自らの自律的な活動が強く期待される。

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