医療ガバナンス学会 (2017年10月13日 06:00)
筆者が経験上苦労したのは圧倒的にドイツ語である。 ベルンではドイツ語での仕事に極めて苦労したわけだが、その中でも特に苦戦の原因となったのは以下の二点である。
まず、Schweizer Deutsch, スイスドイツ語は正直ドイツ語ではない。スイスドイツ語で喋られるとほぼ全くわからず、日本人からすると日本語と韓国語くらい違うのではないかと感じる。なので、医療の現場では建前上Hochdeutsch、ドイツのドイツ語で話すのが外国人の多い現場での約束だったが、患者やナースなどはスイスドイツ語で話すことも多く、Hochdeutschで話すように頼んでも1分ぐらいで元に戻る。スイスドイツ語には書き言葉がないため、方言のようなものなのだが学びようがない。スイス人にとってのHochdeutschは学校で習う最初の外国語という位置付けなのだが、普段の書き言葉はHochdeutschであるという、日本人からすると理解不能の感覚である。しかもたちが悪いことに、Hochdeutschで喋られてもアクセントがスイス特有のスイスドイツ語の抑揚で喋られるため、極めてわかりにくい。
一例を挙げると、ドイツ語で”しかし”という単語はaberと書き、発音としてはアーバーという感じなのだが、スイス人と会話しているとよく文頭に”アブラ”と発音されていることが多く、なんと言っているのだろうと一年近く思っていたが、単にアーバーがアブラになっていることに気がついた。日本語で言えば、”でも”くらいの意味しかないので気がつかなかった。 今でもスイスのドイツ語放送を見るとものすごく嫌な感情が蘇ってきてトラウマになっている。その点ZDFなどドイツ語の放送は非常にわかりやすい。当たり前のことなのかもしれないが。
もう一点、これは死活問題であったが、英語でもスペイン語でもフランス語でも医学用語がラテン語を使っていることが多いので、医学用語に関してはほとんど苦労したことがなかった。しかしドイツ語はそうはいかない。彼らはもともとドイツ語で単語を使っており全く想像がつかないのだ。例えば、横隔膜のことをZwerchfellというのだが、英語ではdiaphragm, スペイン語でdiaphragma, フランス語でdiaphragmeと言い、全く違う。
心房細動、atrial fibrillation に至ってはVorhofflimmernだ。全く想像もつかず患者のプレゼンなど毎回恐怖でしかなかった。 ちなみに明治維新の後、議論の末イギリスではなくドイツから医療システムを輸入すると決めたわけだが、その時にドイツ語を直訳したのが日本語の医学用語である。例えば喉頭のことを英語などではlarynxというが、ドイツ語ではKehlkopfといい、Kehle(のど)のKopf(頭)で喉頭というわけである。当時イギリス医学に遅れを取っていたドイツ医学が、イギリス医学の後追いして帰納法の疫学手法を選択せず、演繹法的基礎医学を選択することとしたわけだが、それをそのまま大講座医局制などともに日本に輸入して今に至っている。あの時にイギリスからの輸入をしていたら今頃日本の医学の歴史は異なる世界となっていただろう。
このような話も日本人で肌で理解できる人間は医学以外でもほとんどいないだろうと考える。筆者は昨今の日本の内向きな政治や経済などを見るに、官僚や政治家といった日本をダイレクトに動かす人間は、お膳立てされた海外の中の日本社会を垣間見ただけで外国を理解したつもりになるのではなく、語学も含め現地の人間と対等な立場として這いずり回って現地の感覚を経験して欲しいと思う。スポーツ選手のように外国に行って通用したしなかったということで大騒ぎするのではなく、ごく普通に今までの経歴の中で何年か海外で働いていたこともあり、今は日本のこの職場にいる、ということがなんの特別な話でもなく自然に受け止められるような社会が来れば、現在の社会問題化している多くの事象も良い方向に向かうのではないかと常々考えている。
4:最後に
5ヶ国語を話せるといっても正直ヨーロッパではさして珍しいことではないどころか、筆者のレベルでは特に自慢にもならない。C1レベルといえば英検で言えば一級以上に相当するが、現地で語学を職業としようとするとC2が要求されることが多い。ほとんどデーブスペクターやアグネスチャンレベルということである。外国語ができなさすぎる日本人からするとまるでこちらが語学の才能があるかのように片付けられて終わりになるが、決してそうではない。単に努力して話せるように勉強しただけであり、今でも維持するために多大な努力を続けている。
そんなわけで時々どうやって勉強したのか、と聞かれることがあるがどの勉強も最初は同じやり方をした。NHKラジオとCD付きの文法書の反復、これに尽きる。だいたいこれを一年くらい繰り返しやればどの言語もヨーロッパ言語共通参照枠で言えばB1レベルまでは日本にいても到達できる。これ以降は頭打ちになるので実際に現地に行くことになることが多かったが、B1で仕事に出ようとすると極めて困難を伴うので、本当は最低でもB2レベルになるまでは研究留学とか現地にいて勉強をしばらくしながら現場に飛び込むタイミングを待つのがいいのだろうが、幸か不幸か自分はだいたいどの言語もB1くらいで臨床現場に出たので最初の半年はまさに地獄であった。もう絶対に6ヶ国目の外国語だけはやらないと強く心に誓っている 。
元々は、複数の言語を習得することもそれを維持することも筆者にとっては本業ではなく、単なる本業を学ぶための道具に過ぎなかったので、本来本業に割くことができたであろう労力の三分の一くらいを言語習得に割くことに本末転倒な思いを抱くこともあった。しかし、それによって得ることになった色々な国での仕事や生活の経験、またそこで知り合い一生の親友となった人々との縁、また言語という武器を得て可能となった医学以外のあらゆる分野の学問との出会いなどを振り返った時、それはやってよかったということを超えて、興味がある人は是非何歳であっても挑戦して欲しいと考えるようになった。そしてそれは趣味としてももちろん楽しいことだと思うが、是非それを武器として海外に出て行って欲しいと強く願っている。自分の中ではそれが日本という国をゆっくりとでもよくしていく方法であろうと確信している。
最後に余談であるが、よく勝手に期待されて落胆されることが多いので弁明しておきたいが、会話ができることと美しい発音で話すこととは全く別のことである。ローザンヌにいた時に、英語日本語が流暢な韓国の先生が自分が属していた気道チームに6週間の予定で研修に来ていたのだが、公私ともに仲良くさせてもらいいろんな話を(日本語で)した。当時まだドイツ語が話せなかったが、患者ごとにフランス語であったり英語であったりスペイン語で会話したりというのを横で見ていたその先生に言われた言葉には自分でも笑ってしまった。”先生って何語喋ってても日本語しゃべってるみたいですね”
略歴:山本 一道、1995年京都大学卒業。医学博士。呼吸器外科専門医、気管食道科専門医。一般社団法人気道疾患研究会 代表理事。