医療ガバナンス学会 (2017年12月8日 06:00)
グラフィックデザイナ
日本ロービジョン学会
日本人間工学会会員
山本百合子
2017年12月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
最近、テロ対策、国際的緊張状態などを視野に入れてでしょうか、法のあり方が議論されています。その中に私たちの身近なところに国の視線を感じずにはいられない部分があり、違和感を感じてきました。もしかしていつの間にか、知らないところでいろんなルールが作られていて、気がついたら、小説にあるような管理社会になっているのかもしれない。そんな不安を、多くの方も持っているのではないでしょうか。
現在、議論されている医療基本法は、そのような種類のものとは違います。数多い医療関連の法が存在する中、まとめるものが無い、それを整備するにあたって、医療の受け手と担い手の関係性の中で構築していこうというもので、長く棚上げされてきたものです。個人的にはこの理念には非常に賛同できるもので、何ら反論はありません。
でも一つだけ、小さな違和感を持った部分がありました。それは、自己責任論と、その底辺に流れる「健康イコール善」という価値観でした。これは医療そのものの根源と関連しており、他の医療関連法に関しても同じ問題がある気がしています。
医療基本法はまだ、その形が固まっていないので、ここではすでに運用されている「がん対策基本法」を例に述べさせていただきます。
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がん対策基本法には以下の条文があります。
平成十八年法律第九十八号
がん対策基本法
第六条 国民は、喫煙、食生活、運動その他の生活習慣が健康に及ぼす影響、がんの原因となるおそれのある感染症等がんに関する正しい知識を持ち、がんの予防に必要な注意を払い、必要に応じ、がん検診を受けるよう努めるほか、がん患者に関する理解を深めるよう努めなければならない。
確かに、それは正しいと思います。
でも、ここには二つの違和感がありました。
第一は、私たちはそれを法律で縛られるべきなのかということ。
「正しい」知識を持たなければならない。
予防しなければならない。
検診を受けなければならない。
がん対策基本法では、他の条文で、国や公共団体、専門職らが、私たちすべての国民が健康で幸せな人生を送れるよう、努力することが具体的に示されています。大きな社会資源が提供されるわけですから、国民はそれを享受する権利を有する代わりに、第六条のように「努めなければならない」ということですしょう。
しかし、何が「正しい」のか。本当に正しい知識を持って努めていれば、がんになる可能性は減るのか。がんを罹患した時、その原因の何パーセントかは「努めなかった」ことに起因しているのか。言うまでも無く、そこには誰も答えを持ちません。元来「喫煙、食生活、運動その他の生活習慣」は、徹頭徹尾プライバシーの範疇に属することです。そこに国の指針が介入することに、咀嚼できないものがあります。そして、ここで示されるような「努力」が、他条文で示されるようながん対策の成果を享受することとトレードオフであるとすると、大きな違和感を感じずにはいられません。
第二の違和感は、「ガンにかからないこと」が「がんにかかること」よりも良いとする「価値観」の提示。それを、国が行っても良いのかということです。
確かに健康であることは、誰もが望むことでしょう。でも、健康であることと病を持つことが等価値であるという生き方もあるはずです。
昨今、出生前診断で赤ちゃんがある種の病気や障害を持っている可能性を知ることができるようになりました。重篤な状態であるかもしれないと知っても尚、産み、育てる人がいます。持てる子供の数は限られるのなら、次の妊娠ではそういう問題の無い子に恵まれるかもしれません。もし、健康であることの方が価値が高いなら、価値の高い子を選ぶべきということになってしまいます。
誤解の無いよう、ここで答えを言えば、健康であることというのは、価値観の軸を持たないものです。だから、その価値軸をもって、健康な赤ちゃんと病を持つ赤ちゃんの「価値を測る」ことはできるはずの無いこと。人は、自らの価値観で幸福であるべきであって、それが全てでしょう。
現在、行われている医療基本法への議論の中にも、これに呼応する部分がありました。
以下は、今、提示されている案です。
第8条(国民の責務)
1 国民は、常に自らの健康に関心をもつとともに、国民全体の社会的連を理解し、医療施策に関する相応の負担と適切な受療に努めなければならない。
2 すべての国民は、医療が国民共通の社会的資産であることを理解し、に応じて適切な方法で医療を受けるよう努めなければならない。
http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20140409_5.pdf
平成26年3月 日本医師会医事法関係検討委員会
今回のシンポジウムでは、これから作られていく医療基本法の内容に対して、いくつもの団体が検討を重ね、案を出していることが提示されていました(上記は日本医師会の例)。その中でも、この国民の「責務」については、大きな議論があり、その上で各団体が条文を作っていることが述べられていました。
医療基本法の理念は、非常に賛同できるものです。何より、長く棚上げされてきた制定への動きを高めようとする機運は、市民運動としても素晴らしいと感じています。そこで、私がここで書いたような「違和感」が逆風とならないよう望みますが、今の時代、個人と国家との関係性は避けて通れないものでしょう。法だけでなく多くのものがこのジレンマを内包していると感じます。
その意味でも、もし、今回、このジレンマに関して良い解決の形を見つけることができれば、医療基本法だけでなく、様々な分野でのソルーションになるのではと期待しています。
多摩美術大学 美術学部グラフィックデザイン 卒
東京大学 大学院総合文化研究科 国際社会科学 修士