医療ガバナンス学会 (2018年1月18日 06:00)
この原稿は医療タイムス2017年11月27日号からの転載です。
坪倉正治
2018年1月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
単に放射線といえば、物理の問題かもしれないが、被ばくする、環境を汚染することでそれは健康の問題となり、生活の問題、社会の問題となる。もう少し大きな話をすればエネルギーの話でもあり、歴史の話でもある。健康の問題として教えようとしても、内部被ばくは全体として非常に低く、ごく一部の汚染食品を継続的に食べれば、比較として少しの内部被ばくをすることがある。という事象があった場合、全体は非常に低い→問題無い。と教えるか、ごく一部の食品は汚染があり得る→未だに問題がある。と伝えるか、先生によって考え方や要望も違う。
私自身は、子どもが被ばくや汚染によって何かしらの尊厳を奪われたり、可能性を狭められたりすることがあってはならない。そのための知識を持って欲しい。ということが放射線教育の目指す最重要課題であると考えている。そのため自然とその方向に準じたしゃべり方になる。その方向の上では、放射線の細かい定義の正確性や原子力の物理学としての面白さは、正直なところどうでも良く、これまでの住民の被ばく量が非常に低いとか、もともと放射線は環境中にも存在し、被ばくがゼロの状況というものがあり得ない。ということを伝えることが中心となる。
先日は福島県川内村の小学校で放射線の授業だった。川内村は原発から南西に20kmあたりにある村。一時的に全村避難となったが、早期に避難指示は解除され、徐々に帰村される方や新しく入植される方もおられて、現在生徒数は45名だ。毎年お声がけいただいているおかげで、生徒達とほとんどが顔なじみになった。何人かはいつも使うギャグを覚えていてくれて、それにうまく乗ってくれてボケてさえくれる。
おかげで授業もスムーズに進められ、少しずつ知識が定着してくれることを肌で感じ、その先に一歩踏み込んだ話をすることができる。その一方で、今の1年生は震災当時生まれていない子もいる。震災とか避難とか、原発という言葉を使っても全くぴんとこず、6年半以上前こんなことがあった。というところから話さないと伝わらない部分もあり、時の流れを感じる。震災から6年半でこんな状況であれば、10年後や20年後の小中学校の授業はどんな感じになっているのだろうか。
こんな状況だからこそ、授業で何を伝えるか、基礎や標準的な内容がどうあるべきかもう一度仕切り直して議論されるべきだろうと思っている。何かと厄介者扱いされる放射線だけれども、生徒のみんなが元気いっぱいで、放射線を教える側が元気をもらう。明日も頑張らないと。という気持ちにさせられる。ここで大人が踏ん張らなければいけない。そんなことを思いながら今日も淡々と授業を続けている。