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Vol.035 チャレンジ南相馬に生きる「南相馬に生きる」

医療ガバナンス学会 (2018年2月21日 06:00)


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この原稿は医療タイムス2017年12月4日号からの転載です。

青空会大町病院 内科医
山本佳奈

2018年2月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は、今年の9月から福島県南相馬市にある青空会大町病院で内科医として勤務している。大町病院の常勤内科医がいなくなってしまうと聞き、少しでもお役に立ちたいという一心で手を挙げた。南相馬市立総合病院での初期研修を終え、3年目の医師としてスタートして4ヶ月が過ぎた、8月の初めのことだった。

ガイドラインや論文、ワシントンマニュアルやハリソン内科学を片手に、週8コマの外来と15名程の入院管理、月5回の当直をこなすことは、身体的にも精神的にもハードではあるが、得難い経験であり、毎日があっという間に過ぎて行く。常勤医は私一人ではあるが、多くの先輩方に支えていただき乗り越えることができている。

そんな私は今、南相馬という地で生きようと決意している。その理由は、大学卒業と同時に南相馬に飛び込んだからこそ、今の私があるからだ。大学5年生の春までの私は、普通の医学生だった。そんな私の人生を大きく変えたのは、当時、東京大学医科学研究所教授だった上昌広先生だった。関西育ちだった私に、上先生は都内の病院での初期研修を勧めた。「生まれ育った環境と違う場所に行きなさい」と。

だが、都内の病院のマッチングは不採用。ご縁があったのは、これまで縁もゆかりもなかった、福島県南相馬市にある南相馬市立総合病院だった。反対されると思い、就職先を親に伝えることがなかなかできなかった。「なんでそんな遠いところに行くんや‥」という両親の言葉は、一生忘れられない。

しかし今では、マッチングに失敗して良かったと、心から思っている。立谷秀清相馬市長、震災後ずっと相馬地方で診療を続けておられる坪倉正治先生、小鷹昌明先生など、南相馬に来なければ出会えなかった方々との出会いは私の宝物だ。相馬市で昨年開催された国際シンポジウムの司会をしたり、英語論文の作成をご指導いただいたり、院外で住民の方々とお会いしたりと、貴重な経験やチャンス、応援をいただいた。

もちろん、挫折や悔しいこともたくさん経験した。大学5年生の頃から希望していた産婦人科医として南相馬に残ることができなかったのがその一つだ。南相馬市立総合病院の産科医に「面倒を見ません」と言われてしまったのがその理由だ。産婦人科医になるために南相馬を離れるか、産婦人科医ではなく医師として南相馬に残るのか。私は後者を選んだ。これまでの有益な経験やチャンスを思えば、到底私は南相馬を離れることを考えられなかった。

今年3月中旬には、南相馬市立総合病院をクビになった。南相馬市長に、「あなたのような医師は雇用できない」といわれてしまったのだ。理由は、福島医大と南相馬市立総合病院の分娩数を比較した私の文章が、福島医大の産科体制を批判しているからだという。だが、この一件も、福島県立医大理事長の竹之下誠一先生はじめ、多くの方に応援いただき、4月から非常勤として勤務を継続することができた。一度クビになったのだから、もう怖いものはない。当時は辛かったが、今となってはいい思い出だ。

関西から南相馬に飛び込んだからこそ、今の自分がある。だから、私は南相馬で生きると決めた。たくさんの人との出会いがあり、様々なチャンスをいただき、経験し、そのための応援をいただいた。1日でも早くその恩返しができるよう、これからもこの地で精進していきたいと思う。

医療タイムス(No.2330)の連載に加筆しました。

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