医療ガバナンス学会 (2018年4月4日 06:00)
http://www.wasedachronicle.org/articles/importance-of-life/d8/
この原稿はワセダクロニクル(2018年3月2日配信からの転載です。)
2018年4月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
1957年2月12日。仙台市のこの日の朝は零下3.4度、寒い日だった(*1)。雪が一日降り続いた(*2)。
午前10時(*3)、仙台市にある木造2階建て(*4)の旅館、白萩荘に、宮城県内の教育・福祉関係者の代表ら200人あまり(*5)が集まった。
宮城県精神薄弱児福祉協会の設立総会だった。焼失した亀亭園は宮城県や国の予算で再建されることになっていた。だが精神薄弱児福祉協会は、県民から寄付を募って新たな「精神薄弱児」の入所施設を作ることを目的としていた。協会は後に小松島学園を作り、運営者にもなる。
総会では、東北大学教授の皇晃之と、仙台市の長町小学校校長の清野吉四郎が議長を務めた(*6)。経過報告や規約の審査を経て、役員の選出に入った(*7)。
協会の役員は、満場一致で選ばれた(*8)。
◆
1957年4月15日現在の「宮城県精神薄弱児福祉協会役員名簿」には、役員の氏名と肩書きの記載がある。役員名簿は、1957年度の「事業報告書」に収録されている。以下、肩書きなどは原文の通り。
会長には、東北電力社長の内ヶ崎贇五郎(*9)が就いた。東北経済界の実力者だ。副会長には教職員組合トップの佐藤惣治ら。理事には宮城県医師会会長の阿部哲雄らが名を連ねた。
会長
内ヶ崎贇五郎(東北電力社長)
副会長
岩本正樹(肢体不自由児協会長)
薄田清(地域婦人団体連絡協議会長)
佐藤惣治(宮城県教職員組合委員長)
理事
八木洋太郎(宮城県PTA連合会会長)
金子太郎(高校PTA連合会会長)
皇晃之(宮城県特殊教育研究会会長)
清野吉四郎(宮城県小学校長会長)
大坂鷹司(宮城県社会福祉協議会理事)
野路清蔵(宮城県手をつなぐ親の会会長)
阿部哲雄(宮城県医師会会長)
大窪熊治(宮城県社会福祉協議会事務局長)
正宗千香子(地域婦人団体連絡協議会役員)
芳賀直義(宮城県教職員組合教文部長)
顧問には、県政、財界、医学界、メディアなどから29人が就任した。中には知事の大沼康(*10)と、宮城県議会議長の鮎貝盛益(*11)がいる。
さらに、有力ブロック紙「河北新報」会長の一力次郎(*12)、仙台中央放送局長(*13)の浅沼博も入った。仙台中央放送局とは、現在のNHK仙台放送局だ。
役員名簿には顧問団が次の順で記載されている(一部略)。
宮城県知事 大沼康
宮城県民生労働部長 鈴木茂雄
参議院議員 吉野信次ら2人
衆議院議員 菊地養之輔ら9人
宮城県議会議長 鮎貝盛益
宮城県精神障害者救護会理事長 松川金七
仙台市長 岡崎栄松
河北新報会長 一力次郎
仙台中央放送局長 浅沼博
宮城県社会福祉協議会会長 中川善之助
宮城県教育委員会委員長 山田勇太郎
宮城県教育委員会教育長 山下忠
東北大学医学部教授 石橋俊美
◆
「精神薄弱児」の施設である小松島学園を作るために、ここまでの有力者をなぜ集める必要があったのかーー。
そのかぎは、「宮城県精神薄弱児福祉協会趣意書ーちえおくれの子をしあわせにするしごとのかんがえー」にあった。
趣意書は協会が手がける仕事について、こう明記していた。
「遺伝性の精神薄弱児をふやさないという優生手術の徹底」
さらに「優生手術を徹底」することについては次のように書いた。
「しかし、へたをすると、これは人権の侵害になります。ですから、これをやるためには精神薄弱児に対する愛の思想が県民のなかにもり上って、人間が人間を愛していくというヒューマニズムの土台の上で、この仕事が行なわれなければなりません」
「この仕事はいま、どこの県でも手をつけようと考えながら、前に申したようなさまたげがあって徹底的にやることができないでいるのです。宮城県百年の大計として、民族の再建を考えるなら、どうしてもやらなければならない仕事です」
つまり、民族を再建するため、「宮城県百年の大計」として、強制不妊手術を徹底的に行う必要があるから、宮城県内の有力者が集結して協会を作ったということだ。
そこに、本来なら権力の暴走をくい止める役割を果たすはずの、地元紙と公共放送まで加わっていた(*14)。
http://expres.umin.jp/mric/funin5-2.pdf
[おことわり] 文中には「精神薄弱」など差別的な言葉が含まれているが、当時の状況を示すために原文資料で使用されている言葉をそのまま使用した。
=つづく
もし、あなたが知らない間に子どもを産めない身体にさせられたら、どうしますか?
日本国憲法が施行された翌年の1948年にできた優生保護法で多くの人たちが強制不妊手術の犠牲になりました。対象とされたのは「精神分裂病」や「精神薄弱」「てんかん」など、遺伝性とされた疾患や障害を持つ人たちでした。その人たちは法制定の段階で「劣悪者」と呼ばれました。厚生省公衆衛生局通知(1949年10月24日付)では「やむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬の施用又は欺罔(ぎもう)等の手段を用いることも許される」とされました。つまり本人が嫌がって手術ができない場合は、身体の拘束や麻酔の使用だけでなく、だまして手術してもいいとされたのでした。
強制不妊手術の犠牲者は、統計に残るだけで1万6518人になります。
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[脚注]
*1 零下3.4度は午前7時に記録した。この日の最低気温は零下4.0度。仙台管区気象台観測課への取材、2018年2月24日午後1時から、電話で。
*2 仙台管区気象台観測課への取材、2018年2月24日午後1時から、電話で。
*3 河北新報1957年2月13日付朝刊。
*4 ホテル白萩への取材、2018年2月24日午後5時28分から、電話で。
*5 河北新報1957年2月13日付朝刊。
*6 河北新報1957年2月13日付朝刊。
*7 河北新報1957年2月13日付朝刊。
*8 河北新報1957年2月13日付朝刊。
*9 うちがさき・うんごろう。1895年9月25日-1982年9月22日。東北電力初代社長。1951年から同社社長を務める。東京帝国大学電気工学科卒業後、大阪電燈に入社。戦後は福島県・会津地方を流れる只見川の電源開発に着手した。「電力業界の伊達政宗」との異名をとる。出典:朝日新聞社編『現代日本・朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、261頁。仙台市2002年12月22日ウェブページInternet Archive“Wayback Machine”(2018年2月24日取得、https://web.archive.org/web/20021222195115/http://www.city.sendai.jp/soumu/hisho/meiyo/#5)。
*10 1908年生まれ。京都帝国大学農学部卒業。宮城県経済連会長を務めた。社会党公認候補として宮城県知事選に初当選。宮城県初の社会党公認知事となった。1956年10月5日から宮城県知事。在任中の1959年に50歳で病死。出典:宮城県ウェブページ(2018年2月24日取得、https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/hisyo/hisyo-page-7.html)、朝日新聞1989年3月20日付朝刊、朝日新聞1959年1月12日付夕刊。
*11 第7代宮城県議長。1956年10月1日から1958年7月28日まで務める。1996年に92歳で死去。出典:宮城県議会ウェブページ(2018年2月24日取得、http://www.pref.miyagi.jp/site/kengikai/rekidai.html)、朝日新聞1996年3月6日付朝刊宮城版。
*12 いちりき・じろう。1893年8月12日-1970年7月7日。河北新報社創業者である一力健治郎の次男。京都帝国大学英法科卒業後、コロンビア大学とオックスフォード大学に留学して主に新聞学を学ぶ。戦時中は、大政翼賛会中央協力会議員を務める。1947年に公職追放令で河北新報社会長を退任するも、1950年に追放解除が発表されると、河北新報社の顧問になり、翌1951年には取締役会長で復帰する。仙台市名誉市民。新聞人としての業績を讃える、東京・千鳥ヶ淵公園の「自由の群像」に名前が刻まれ、顕彰されている。「自由の群像」は電通の創立55周年事業で建設された。ゴルフと旅行が趣味。出典:創立百周年記念事業委員会編『河北新報の百年』河北新報社、1997年、185-265頁。『昭和人名辞典 第2巻 北海道・奥羽・関東・中部篇』日本図書センター、[1987]1993年、底本は『大衆人事録』(帝国秘密探偵社、1943年) 。仙台市2002年12月22日ウェブページInternet Archive“Wayback Machine”(2018年2月24日取得、https://web.archive.org/web/20021222195115/http://www.city.sendai.jp/soumu/hisho/meiyo/#6)。
*13 2018年3月1日付NHK広報局回答。テレビラジオ新聞社編『テレビラジオ年鑑 1958年版』1958年、508頁。
*14 ワセダクロニクルは2018年2月28日にNHKの上田良一会長宛に、当時の仙台中央放送局長が「優生手術の徹底」を目的に掲げた宮城県精神薄弱児福祉協会の顧問を務めていたことについて見解を求める質問書を送付した。NHK広報局は2018年3月1日午後4時53分にファクスで「外部の顧問になったという記録はNHKには残っておらず、事実関係は確認できませんでした」と回答した。浅沼博が当時の仙台中央放送局長だったことは認めた。また、ワセダクロニクルは河北新報社の一力雅彦社長宛にも同様の質問書を送ったが、2018年3月1日午後3時の回答期限を過ぎても回答はなかった。ワセダクロニクルは、同日の午後4時34分と同53分、午後5時1分に、回答不達の確認を求めるため、同社に電話し、担当者にメールをした。担当者から同日の午後5時27分にメールが届き、「回答しないという対応を取らせていただきます」との回答を得た。ワセダクロニクルでは引き続き、同社に見解を求めていく。
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