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Vol.072 NHK経営委員と「優生手術の徹底」 【連載レポート】強制不妊(6)

医療ガバナンス学会 (2018年4月4日 15:00)


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http://www.wasedachronicle.org/articles/importance-of-life/d9/

この原稿はワセダクロニクル(2018年3月7日配信からの転載です。)

2018年4月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

http://expres.umin.jp/mric/funin6-1.pdf

1957年2月12日、宮城県精神薄弱児福祉協会が設立された。その目的の一つに「優生手術の徹底」を掲げた。協会には東北電力社長や知事、国会議員ら、県のそうそうたる実力者が参加した。そして顧問には、大手マスメディアの幹部までが名を連ねた。NHKの仙台中央放送局長である浅沼博(*1)。地元で7割の世帯普及率があった(*2)河北新報社の会長、一力次郎。それは第5話で触れた通りだ。

この協会が小松島学園を作り、運営した。飯塚淳子はその学園の1期生として送りこまれた。そのことが後の不妊手術につながっていく。

この問題について、NHKは「記録が残っていない」(*3)といい、河北新報社は「回答しないという態度を取らせていただく」(*4)と口を閉ざす 。しかしNHKは当時、組織的にこの協会に関わっていた形跡があるのだ。

NHKの仙台中央放送局長は少なくとも2人が、この協会の顧問に就いていた(*5)。

まず、仙台中央放送局長の浅沼が、1957年に宮城県精神薄弱児福祉協会の顧問に就任した。協会が発足した年だ。浅沼は1959年に仙台中央放送局長から東京の教育局長に異動する。同じ年に仙台中央放送局長に着任したのが川上行蔵(*6)だった。川上も顧問に就いた。

「人」ではなく、NHKの「役職」が、協会の顧問職にあてがわれていたことになる。

公共放送であるNHKが、組織として「優生手術の徹底」を掲げる団体に関与していたわけだ。

その川上は1961年、仙台中央放送局長を離任する。その際、ある人物に惜別の句を贈った(*7)。

みちのくの”あたたかい掌”に雪溶くる

句を贈った相手は、岩本正樹。”あたたかい掌”が岩本のことを指していることが読み取れる。

岩本には以下の三つの役職があった。

宮城県精神薄弱児福祉協会の副会長。宮城県肢体不自由児協会長。そしてもう一つは「NHK経営委員」。

NHKの経営委員会は予算や番組編集に関する基本計画を決め、NHKの役員を監督する、最高機関だ。当時の放送法でも経営委員会について「協会の経営方針を決定し、且つ、その業務の運営を指揮統制する権限と責任を有する」と定めていた。「優生手術の徹底」を掲げる団体の副会長が、公共放送をうたうNHK中枢の要職を兼ねていた。

だがNHKは、岩本が宮城県精神薄弱児福祉協会の副会長を務めていたことについては「記録は、NHKには残っておらず、事実関係は確認できませんでした」。NHK外での公文書などでは事実確認をしないという立場だ。岩本の経営委員の就任については「経営委員は、昭和33年(1958年)当時から、放送法に基づいて衆・参両議員の同意を得て、内閣総理大臣が任命します。NHKは、経営委員の選考に関与する立場にありません」と回答した(*8)。

岩本が経営委員を務めていたのは、宮城県精神薄弱児福祉協会の副会長に就いた翌年の1958年7月から1964年10月(*9)。

この就任期間の7ヶ年度で、宮城県では450人が強制不妊手術をされた(*10)。

(敬称略)

[おことわり] 文中には「精神薄弱」など差別的な言葉が含まれているが、当時の状況を示すために原文資料で使用されている言葉をそのまま使用した。

=つづく

もし、あなたが知らない間に子どもを産めない身体にさせられたら、どうしますか?

日本国憲法が施行された翌年の1948年にできた優生保護法で多くの人たちが強制不妊手術の犠牲になりました。対象とされたのは「精神分裂病」や「精神薄弱」「てんかん」など、遺伝性とされた疾患や障害を持つ人たちでした。その人たちは法制定の段階で「劣悪者」と呼ばれました。厚生省公衆衛生局通知(1949年10月24日付)では「やむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬の施用又は欺罔(ぎもう)等の手段を用いることも許される」とされました。つまり本人が嫌がって手術ができない場合は、身体の拘束や麻酔の使用だけでなく、だまして手術してもいいとされたのでした。

強制不妊手術の犠牲者は、統計に残るだけで1万6518人になります。

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[脚注]

*1 1959年に仙台から東京の教育局長に転じ、1964年に理事、1965年に専務理事を務めた。1967年に退任した。出典:2018年3月1日付NHK回答。

*2 河北新報社『河北新報媒体価値の分析』1962年頃、1頁、早稲田大学図書館所蔵。

*3 ワセダクロニクルは2018年2月28日にNHK会長の上田良一宛に、当時の仙台中央放送局長が「優生手術の徹底」を目的に掲げた宮城県精神薄弱児福祉協会の顧問を務めていたことについて見解を求める質問書を送付した。NHK広報局は2018年3月1日午後4時53分にファクスで「外部の顧問になったという記録はNHKには残っておらず、事実関係は確認できませんでした」と回答した。浅沼博が当時の仙台中央放送局長だったことは認めた。また、NHK経営委員が同じ宮城県精神薄弱児福祉協会の副会長をしていたことについても、NHK広報局は2018年3月6日付回答で同様に「記録は、NHKには残っておらず、事実関係は確認できませんでした」とした。これらの回答の特徴は、資料は外部の公共機関に残っていて、誰でも入手し、あるいは確認することが可能であるにもかかわらず、NHKはあくまで内部での資料の存否に限定して回答をしている点だ。

*4 ワセダクロニクルは河北新報社社長の一力雅彦宛に、当時会長だった一力次郎が「優生手術の徹底」を目的に掲げた宮城県精神薄弱児福祉協会の顧問を務めていたことについて見解を求める質問書を送ったが、2018年3月1日午後3時の回答期限を過ぎても回答はなかった。ワセダクロニクルは、同日の午後4時34分と同53分、午後5時1分に、回答不達の確認を求めるため、同社に電話し、担当者にメールをした。担当者から同日の午後5時27分にメールが届き、「回答しないという対応を取らせていただきます」との回答を得た。ワセダクロニクルは、回答しない理由などをメールで照会したが、2018年3月7日午前5時現在、まだ回答はない。河北新報社は、社主家出身の当時の会長が「優生手術の徹底」を目的に掲げた団体の顧問を務めていたことについては口を閉ざす一方で、国などに対しては、批判をしている。河北新報社は2018年3月6日に社説「強制不妊 救済の動き/スピード感を持って対応を」(2018年3月6日取得、http://sp.kahoku.co.jp/editorial/20180306_01.html)を掲載、「国はこれまで被害者から謝罪と補償を求められても、『当時は合法だった』との根拠を盾に背を向けてきた。国連女子差別撤廃委員会から補償勧告を受けても、過ちに全く向き合ってこなかった」「政府や国会、自治体は負の歴史に真摯に向き合い、スピード感を持って救済に取り組んでほしい」と記述した。ワセダクロニクルでは引き続き、「負の歴史に真摯に向き合」うのかどうか、河北新報社に見解を求めていく。

*5 宮城県精神薄弱児福祉協会「事業報告書」1957年、宮城県精神薄弱児福祉協会「事業計画書」1959年。

*6 川上行蔵は、1961年に仙台から放送総局総務、1965年に理事、1968年から専務理事・放送総局長を務め1971年に退任した。川上の人物像を紹介した記事が、1959年1月13日付の朝日新聞朝刊に載っていた。仙台中央放送局の局長として赴任した年だ。「NHK教育テレビの推進者」として紹介されている。「学生時代からジャーナリスト志望で、学校は一橋大から神戸商大へと転じたが、初志をつらぬいて昭和十五年(1940年)卒業と同時にNHKにはいった(カッコ内はワセダクロニクル)」「教育団体や婦人団体の工作にあたり『NHK教育テレビを……』の署名運動をはじめた。その努力と、十年にわたる教育放送の経験を買われて、序列からいえば異例の抜てきをうけて局長になった」「酒もたばこものまず、NHK随一の紳士といわれる謹厳居士だが、CIE(民間情報教育部)のごきげんをそこねて前任者がとばされた後にすわり、そのまま教育部門に十年もすわりつづけた慎重さも備えている」。出典:2018年3月1日付NHK回答、1959年1月13日付朝日新聞朝刊。

*7 仙台ユネスコ協会『仙台ユネスコ運動のあゆみ』仙台ユネスコ協会、1983年、98頁。

*8 2018年3月6日付NHK回答。カッコ内はワセダクロニクル。岩本がNHKの経営委員に就任した理由について、ワセダクロニクルはNHKの上田良一会長に対して、質問状を送ったところ、広報局は「ご指摘の団体(宮城県精神薄弱児福祉協会)の役員を務めていたという記録は、NHKには残っておらず、事実関係は確認できませんでした」と回答した。カッコ内はワセダクロニクル。NHKは、ここでも、脚注3で述べたとおり、資料が外部の公共機関に残っていて、誰でも入手し、あるいは確認することが可能であるにもかかわらず、あくまで内部の資料だけに依拠して回答している。

*9 2018年3月6日付NHK回答。

*10 厚生省大臣官房統計調査部『衛生年報』1957〜1959年、厚生省大臣官房統計調査部『優生保護統計報告』1960〜1964年。

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