医療ガバナンス学会 (2010年1月25日 08:00)
健保連 大阪中央病院
顧問
平岡 諦
今回の記事は、大阪大学医学部 学友会会誌 29;107-111,2009に掲載されたものです
2010年1月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
【「自律」を最初に述べたのはカントである】
人間の捉え方に「性善説」と「性悪説」がある。カント(Immanuel Kant, 1724-1804) は「人間は性善であると同時に性悪である」と考えた。
神(理想)に近づくためには第一に、己が従うべき「道徳律」を持つこと。しかし神ではないので、その「道徳律」を踏み誤ることがある。そこで第二に、「絶えざる反省」をすること。「絶えざる反省」とは、踏み誤らないように絶えず「自戒」すること、踏み誤った時は「自省」することであろう。「自戒」し、「自省」出来たとき、自分を律すること、すなわち「自律」できたことになる。自律できなければ、踏み誤った時には他に律せられる、すなわち他律となる。以上が、簡単にまとめたカントの倫理哲学である。
カントの「道徳律」を医師集団に当てはめると「医師の職業倫理」となる。カントの「絶えざる反省」は、医師集団では「医師間の健全なる相互評価=peer review」となる。誤った治療にならないように「自戒」するのが「対診」や「セカンド・オピニオン」と呼ばれる「他医の評価」である。誤った治療に対する「自省」に相当するのが「剖検による診断・治療の反省(病理医による評価)」であり、誤った治療に対する「自律的評価制度・制裁制度」である。「医師間の健全な相互評価」が絶えず機能するとき、医師集団が「自律」できた事になる。専門職能集団としての自律、すなわちプロフェッショナル・オートノミーが成立した事になる。
【「其誤治なることを知て、之を外視するは亦医の任にあらず」】
当然のことながら、医師にとって最大の職業倫理違反は「誤った治療=誤治」である。究極の倫理違反は「誤治により患者を死に至らしめる」ことである。上の言葉は、「誤治すなわち倫理違反を知って、これを放置してはいけない」、すなわち「医師間の健全な相互評価」の重要性を言っているのである。
「医の世に生活するは人の為のみ、己がために非ずといふ事を其業の本旨とす」で始まる第一章以下、医師としての「道徳律」を述べているのが、緒方洪庵(1810-1863)の「扶氏医戒之略」である。上の言葉は、その最終章である第十二章後段に述べられている。最初に「道徳律」を述べ、最後に「絶えざる反省」を述べるこの構造は、上述したカント倫理哲学の「自律」と同じ構造を取っているのである。
同じ構造をとっている理由は、「扶氏医戒之略」の成り立ちを追うことで理解できるだろう。そのオリジナルは、ドイツの医師、フーフェラント(Ch.W.Hufeland, 1762-1836) の「医の倫理」である。1836年に「医学必携」の最終章として出版された。そのオランダ語訳本が日本へもたらされ、杉田成卿(杉田玄白の孫)により「済生三方付医戒」としてその全訳が出版された(1849年)。「医戒」部分の緒方洪庵による抄訳が「扶氏医戒之略」(1857年)である。「扶氏医戒之略」とは、扶氏=フーフェラント氏、医戒=杉田成卿の「医戒」、略=抄訳の意味である(文献1より)。
【フーフェラントの「医の倫理」はカントの倫理哲学の医療版である】
フーフェラントとカントとの実際の交流関係は、1796.12.6、1797.4.19、1798.2.6付けで「カント年譜」(文献2の付録)に記載されている。また、相互に与えた影響については、次のように述べられている。「カントとフーフェラントは互いに著述を通して自己啓発に努めていた。例えばフーフェラントの『長生法』はカントの『人間学』に、カント倫理と『判断力批判』はフーフェラントの『医の倫理』に大きな影響を与えている(文献1、83頁)」。
「自分のためでなく、他の人のために生きること、これが医師という職業の使命であります」。これは、フーフェラントの「医の倫理」の冒頭、「医師の使命」として述べられた言葉である。以下、医師としての「道徳律」が述べられている。最終章には、「万一その患者が間違った治療を受けていると分かったならば、もちろん患者の救済という医術の最高目的があるわけですから、同業のよしみを斟酌することなどはすべて後回しにして、この目的を果たすべきです」(文献1より)と、「医師間の健全な相互評価」の重要性を述べているのである。
まさに、フーフェラントの「医の倫理」はカントの倫理哲学の医療版といえるのである。杉田成卿の全訳を介して、緒方洪庵がその内容を意訳したのが「扶氏医戒之略」である。
適塾は、長崎でオランダ医学を学んだ緒方洪庵が大阪で開いた私塾である。橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉、大鳥圭介といった日本の近代化(いわば列強国からの日本の「自律」への動き)に大きな足跡を残した人々が巣立ったことで知られる。「扶氏医戒之略」が、これら塾生に大きな思想的影響を与えたことが考えられるのである。
日本の医療界の自律のために、もう一度、緒方洪庵の「扶氏医戒之略」を見直す必要があるのではないだろうか。ちょうど今年(2010年)は、緒方洪庵の生誕200年に当たっている。
【日本の医療界は「自律」できるのだろうか】
カント、フーフェラントの精神を引きついでいるであろうドイツの医療界の「自律」はどの様であろうか。現在のドイツでは、医師の行動規範であると同時に、制裁による強制力を持つ「医師職業規則(Berufsordnung)」があり、そして強制加入の職能団体である医師会が医師職業裁判所と連携した懲戒処分を行うという、「自律」した制度が成立している(文献3より)。
では、緒方洪庵の「扶氏医戒之略」を持つ日本の現状はいかがであろうか。残念ながら、「自律」には程遠い状況である。特に、「自律的評価制度・制裁制度」が機能していない、あるいは、無いに等しい状況である。以下に、日本の現状と「自律」への必要事項をまとめて述べる。
1)医師集団それぞれにおいて「自律的評価制度・制裁制度」を作ること;これ無くして「自律」は望めない。究極は「誤治による患者の死亡」の評価・制裁制度であり、これが無いために、国の組織すなわち「他律」的な「医療安全調査委員会」(仮称)が設置されようとしている。特に次の専門医制度の見直しが重要であろう。
2)専門医制度の見直し;多くの学会が専門医制度を持っている。しかし、「制裁制度」を持つ専門医制度は無い。たとえば最近のレーシック事件をみても、日本眼科学会が制裁を加えたとは聞き及んでいない。警察・検察まかせ、すなわち「他律」である。「眼科専門医」の信頼やいかに、である。
3)すべての「医師の職業倫理」の最後に、「誤治=倫理違反」に対する「医師間の健全な相互評価」の必要性を記載すること;これが無いために「健全な相互評価」を「個人攻撃」と捉える風潮があり、そのため「健全な相互評価」が抑えられているのが現状である。
4)受け皿を作ること;「誤治」に対する最高のモニターは患者およびその家族である。医師集団それぞれが「患者相談窓口」を作る必要がある。
5)病理解剖による診断・治療の反省;冲中重雄教授が最終講義「内科臨床と剖検による批判」(1963.3.4)において、誤診率14.2%と、「自らの反省のために苦い経験」をまとめて発表された(文献4)。病理医による臨床医に対する評価である。剖検率の低下に歯止めがかかっていないのが現状である。
6)対診、セカンド・オピニオンの勧め;「誤治」にならないための医師間の相互評価であり、「自己決定の医療」の時代においてはセカンド・オピニオンの勧めが、とくに重要な医師間相互評価である(文献5)。その意味合いを理解している医師は少ないのが現状である。
7)学部において、生命倫理だけでなく、「職業倫理」を教育すること;多くの医学部において、「医学概論」ないし類似の講義が行われている。しかし、その講義時間は縮小され(国家試験に関係ないから?)、しかも、その内容は生命倫理に偏重しているようである。
【おわりに】
「自律」への道は、一言で言えば、「誤治」に対する「医師間の健全な相互評価」である。これを制度化し、体質とすることである。「自律」なくして信頼回復も、ましてや尊敬されることも無いであろう。
【文献】
(1)杉田絹枝、杉田勇共訳「フーフェラント自伝/医の倫理」北樹出版,1998(初版第2刷)。
(2)有福孝岳、坂部恵、石川文康、大橋容一郎、黒崎政男、中島義道、福谷茂、牧野英二編「カント辞典」弘文堂、1997。
(3)岡嶋道夫「ドイツにおける医療倫理」2002、日本医師会雑誌128(3); 8-16頁。
(4)冲中重雄「内科臨床と剖検による批判」1997、「最終講義」実業之日本社 61-116頁。
(5)平岡 諦「対診とセカンドオピニオン」2006、「医の倫理ーミニ辞典」日本医師会発行、メジカルビュー社 40-41頁。
(大阪大学医学部 学友会会誌 29;107-111,2009に掲載)