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vol 21 特効薬が使えない  肺動脈性肺高血圧症とフローラン

医療ガバナンス学会 (2010年1月24日 08:00)


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東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム 社会連携研究部門
上 昌広
※今回の記事は村上龍氏が主宰する Japan Mail Media(JMM)で配信した文面を加筆修正しました。
2010年1月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


昨年、村上紀子さんという女性と出会いました。ご家族が難病 肺動脈性肺高血圧症を発症した患者家族です。看病の傍ら、NPO法人 PAHの会を通じて、この病気に対する患者・家族を支援しています。
彼女曰く、問題は、「国内には、既に承認されたフローランという特効薬があるのに、十分に使うことが出来ない」ことです。
私は、悪性腫瘍を専門とする内科医です。肺動脈性肺高血圧症に関しては、研修医の時に勉強してから、ご無沙汰でした。村上さんとの出会いをきっかけに、久しぶりに、この病気を勉強してみました。
医学が急速に進歩し、この病気の治療法も変わりつつあるのに、我が国の患者が、その恩恵を十分に享受できていないことに驚きました。患者・医師・保険組合・製薬企業・厚労省が、ジレンマに悩んでいます。今回は、この問題をご紹介したいと思います。

【肺動脈性肺高血圧症】
肺動脈高血圧症の概要は、難病医学研究財団のHPがよくまとまっています。専門家向けには、2004年にNew England Journal of Medicine誌が総説を掲載しています。是非、ご覧ください。
難病医学研究財団:http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/030.htm
New England Journal of Medicine:http://content.nejm.org/cgi/content/extract/351/16/1655
肺動脈性肺高血圧症とは、従来、原発性肺高血圧症と呼ばれてきた難病です。発症率は100万人あたり年間1-2人と少なく、我が国の総患者数は8,000人程度です。25-35才の若年女性に好発することが知られています。
心臓から肺に血液を送る肺動脈の血圧が高くなり、放置した場合、右心不全へと進行します。フローランが開発されるまで、一旦症状が出れば、2-10年程度で死亡していました。
この病気の原因は、よくわかっていません。遺伝病ではありませんが、一卵性双生児や家族内に多発したケースが報告されています。一方、エイズや強皮症患者、食欲抑制薬内服者、およびコカインやメタンフェタミン使用者で発症しやすいこともわかっており、その発症には多数の遺伝子、免疫、環境要因が関係すると考えられています。

【フローランの登場】
肺動脈性肺高血圧症の治療を変えたのは、1973年、英国ウェルカム研究所のVaneらによる、プロスタグランジンI2(別名プロスタサイクリン)の発見です。この物質には、強力な血管拡張作用と血小板凝集抑制作用がありました。Vaneは、一連のプロスタグランジンの発見の功績で、1982年にノーベル生理医学賞を受賞します。
プロスタグランジンI2の薬剤開発は、ウェルカム社とアップジョン社が引き継ぎました。そして、1983年、人工透析の体外循環の血栓形成予防薬「フローラン」として英国で承認され、ウェルカム社が販売しました。
その後、1980年代半ばから、米国を中心に、フローランを肺動脈性肺高血圧症に投与する臨床研究が始まります。肺動脈性肺高血圧症では、血管拡張作用を持つプロスタグランジンI2(フローラン)の産生が低下し、血管収縮作用をもつトロンボキサンA2の濃度が高くなっていることが知られていました。プロスタグランジンI2を補充することで、肺動脈圧を下げると考えたのです。
この仮説は、多数の臨床研究を通じて証明されます。皮下に埋め込んだカテーテルを通じて、持続的にフローランを投与することで、息切れなどの自覚症状が緩和されたのです。患者のQOLは劇的に改善したと言われています。また、疾患の進行を抑え、根治治療である心肺移植までの期間を延ばすことが期待されるようになりました。
副作用は、血圧低下・紅潮・頭痛・顎痛・カテーテル感染などが知られています。多くは末梢血管の拡張によるものです。
この結果、米国では、1995年に原発性肺高血圧症(当時の名称)に対し承認されます。英国でも、1998年に人工透析以外に、原発性肺高血圧症(当時の名称)が適応追加されます。
我が国も、遅ればせながら、1999年に承認します。2000年には携帯用小型ポンプを用いて、在宅での持続注入が保険承認されます。
このようにして、フローランが、我が国の医療現場に登場しました。現在、我が国では、約300人の患者がフローランを使用し、2008年の年間売り上げは108億円(製品別売上順位122位)です。

【予想外の高容量が必要になったフローラン】
フローランは少量から開始し、各患者の肺動脈圧に併せて投与量を調整します。グラクソ・スミスクライン社(1995年にグラクソ社とウェルカム社が合併、その後、2000年にスミスクライン・ビーチャム社と合併)による薬剤添付文書には「1分間当り2 ng/kgの投与速度でインヒュージョンポンプにより、持続静脈内投与を開始する。(中略)1-2 ng/kg/分ずつ増量し、10 ng/kg/分までの範囲で最適投与速度を決定する。(中略)その後は最適投与速度で維持し、定期的に患者を状態を観察し症状に応じて投与速度を適宜調整する」と書かれています。この文面を読む限り、グラクソ・スミスクライン社は、10 ng/kg/分程度の持続投与を念頭においていたのでしょう。
ところが、フローランを使い続けると、しばしば反応が低下し、増量を余儀なくされることが分かってきました(tachyphylaxis)。このため、フローランの必要量は個人差が大きく、多くの患者で25-40 ng/kg/分程度の投与が必要です。中には、100 ng/kg/分を要する患者もいます。

【健保組合から見たフローラン】
ここで全く予期せぬ問題が生じました。それはフローランの費用です。フローランの価格は、1.5 mgバイアルで39,000円。非常に高価な薬剤です。10 ng/kg/分で1ヶ月間持続点滴をすれば、60万円の薬代がかかります。新薬としては、妥当な金額です。ところが、100 ng/kg/分なら1ヶ月で600万円、年間で7200万円かかります。
これは、医療費を支払う健康保険組合にとっては大きな負担です。健保組合の90%以上は赤字で、支出の圧縮に力を入れています。ところが、肺動脈性肺高血圧症の患者がフローランを使い始めると、年間で1億円近い出費になりかねません。健保組合にとって、フローランは財政を悪化させる「問題児」です。
このため、健保組合は、病院に対して「出来るだけ適正に使用する」ように要請します。もし、「適正」に使用していなければ、その費用を支払わない(査定)と主張します。
医療機関のレセプト(診療報酬請求書)は支払い基金が審査し、不当な請求に対しては医療機関への支払いを断ります。当然の振る舞いです。
ところが、問題は審査委員が、その医療の専門家とは限らないことです。多くの場合、専門家の治療を、専門外の医師が判断し審査をする事になります。このような場合、添付文書の記載は大きな意味を持ちます。

【病院から見たフローラン】
一方、病院経営者にとってもフローランは問題児です。主治医が患者の状態に併せてフローランを用いた場合、支払基金に査定され、多額の赤字を出す可能性があります。
自公政権下では医療費抑制策が続き、病院の大部分は赤字です(近年は、民間病院の平均が赤字です)。このような状況で、一人の患者のために、1億円の赤字リスクを背負うことは出来ません。
この結果、多くの病院では、十分量のフローランを処方出来ません。良心的な医師にとり、辛い状況です。

【患者から見たフローラン】
患者の視点からは、違った問題が見えます。
まず、そもそも、多くの患者はフローランの問題点を認識していません。健保組合、医師の抱えるジレンマを知らないまま、漫然と「標準的ではない」治療を受けています。私は、NPO法人PAHの会の活動は、このような閉塞状況を打開する原動力と期待しています。
ちなみに、この疾患は厚労省が「難病」に指定しているため、患者・家族の自己負担は軽度です。外来負担は、最大1万円程度です。この状況は、グリベックを服用する慢性骨髄性白血病患者とは対照的です。悪性腫瘍は、難病指定の対象外であるため、毎月の自己負担が5万円を超えることも珍しくありません。
ドラッグ・ラグと言っても、その実情は多様で、個別の対策が必要です。

【なぜ、こんな問題が起きたのか?】
なぜ、こんな問題が起きたのでしょうか?
実は、海外と比較して、我が国のフローランの薬価は飛び抜けて高いのです。前述の村上紀子さんによれば、1999年の承認時点で、0.5 mLバイアル(溶解剤付)の価格は、米国が19.1ドル、日本が21,735円、1.5 mgバイアル(溶解剤付)の価格は米国が38.2ドル、日本が37,994円です。実に10倍の差があります。
我が国の薬価は、製薬企業と調整して、厚労省が決めます。当時、一般的な原理原則に従い、原価算定方式で算定され、オーファンドラッグに指定されているので、高い薬価がついたと言われています。しかしながら、これだけでは、内外価格差を説明できません。どのような議論がなされたか、情報公開が必要です。
村上紀子さんは、フローランの開発を担当したグラクソ・スミスクライン社の辻本博史氏が「フローランを少量使用して患者の状態が改善したら離脱して、当時日本に承認されていた経口薬に切り替えることを想定していた」と語ったと言います。つまり、開発コストを少数の患者で回収することを念頭においていたことがわかります。
これは、当時の医学界の意見を反映したものだったのでしょう。ところが、フローランの研究は進み、多くの患者で、当初の想定を超えた投与量が必要になったこと、一旦、投与を始めた場合、休薬は大きなリスクを負うことが分かってきました。つまり、フローランは繋ぎの薬剤ではなく、長期の大量投与が必要という、グラクソ・スミスクライン社の開発担当者の思惑とは違った結論に落ち着いたのです。私の調べた範囲では、2000年代前半に、現行の投与方法が医学的コンセンサスとして確立しています。
厚労省、グラクソ・スミスクライン社、医療界には、それぞれの言い分があるでしょう。しかしながら、約10年間、難病を抱える患者・家族を、このような状態においてきたことは反省すべきです。これまでの経緯を総括し、早急に対策を考えなければなりません。

【どうすればいいか?】
まず、すべきは早急に健保組合の負担を解除することです。これには、幾つかの方法があります。健保組合への財政支援というのは、本質的な解決ではなく、今回は議論しません。
一つは、厚労省が薬価改訂時に再算定することです。これは、もっとも即効性のある解決法です。問題は、官僚は、製薬企業などの関係各所の調整に手間取る可能性が高いことです。世論が盛り上がらなければ、少しだけ下げて、「やったふり」で終わる公算が大です。
次は、ジェネリック医薬品の承認です。実は、フローランは、全ての特許が切れていて、ジェネリックの開発が可能です。ところが、現時点で、フローランのジェネリックを開発しているという話は聞きません。一般論ですが、売り上げが100億円程度で、オーファンドラッグ指定されているような薬剤を、ジェネリックメーカーは好みません。複数の企業が参入し、市場を食い合うことになるからです。また、通常の化学化合物と異なり、プロスタグランジン製剤は製造コストが高い注射剤です。多額の初期投資が必要です。このため、ジェネリックメーカーにとっても、開発の優先順位は低いと言わざるを得ません。
現実的な解決策は、プロスタグランジン製剤を製造・販売している企業が、第二世代のプロスタグランジンI2類似薬を開発することです。実は、これが進行中です。持田製薬が、2007年3月に米国ユナイテッド・セラピューティクス社から、フローランの後発品であるリモジュリン(treprostinil)の国内販売権を取得し、現在、臨床開発中です。この薬剤は、フローランと比べて、化学的に安定なため、皮下注射で投与することが可能です。患者のQOLを向上することが予想されます。ただ、副作用や有効性については、十分なデータが揃っているとは言えず、世界各地で臨床試験が進行中です。
問題は、この薬価です。一般的に後発品の薬価は、先発品の80%程度です。もし、リモジュリンが開発されても、薬価問題を踏み込んで議論しなければ、問題は解決しません。より一層の情報開示、および実情に併せた柔軟な対応が必要です。

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